「津覇ある記」を開催します
2022年8月6日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
沖縄ある記の月一行事、地域散策を、今回は中城村津覇で開催します。8月14日「中城村・津覇ある記」ですね。
なので、おヒマな方は、誰でも是非ご参加ください。お金は取りません。



「津覇ある記」、時間は9時半集合で11時半までを予定しています。
集合場所は津覇小学校裏の駐車場です。
参加できそうな方はご連絡ください。よろしくお願いします。
<三嶋>

『アメリカ世の軌跡』が店頭に
2022年7月16日 Category: 案内 Comment : 0
『アメリカ世の軌跡』がいよいよ店頭に並びました。
今は那覇のジュンク堂だけのようですが、そのうち他の書店でも販売されると思います。
嬉しい反面、怖さも次第に感じてきました。
でも、今さらどうなるものでもないですし、開き直るほかないですね。

<三嶋>

安謝ある記
2022年7月13日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
毎月第2日曜日に実施している散策で、今月は那覇市安謝を歩いた。
以前に取材しているためボクが案内したが、みんな勝手にユンタクするので楽といえば楽だ(笑)。

<写真:三上一行>

最近まで営業していた内間商店は、戦後、配給所だった所。その向こうの赤瓦屋根の建物が獅子を納める獅子家(シーシヤー)。 この辺から少し南東側に行くと、米軍牧港住宅地区(マチナトハウジング=現在の那覇新都心地域)が位置するため、そのフェンスが学校のそばから環状2号線に向かって伸びていた。

<写真:安謝自治会>

<写真:沖縄県公文書館>

<写真:沖縄県公文書館>

<写真:沖縄県公文書館>
那覇新都心に隣接するだけに、安謝は古い集落から市街地へと変身しつつある。戦争や復帰前の記憶が薄れ、集落のつながりも希薄になりつつあるのかもしれない。しかし、地域の歴史は住民の共有財産であり、次世代に伝えるべき宝だけに、先達の歩みは伝えていって欲しいものだ。
安謝には龕屋(ガンヤー)も残っていて、行き場をなくした哀れを感じさせるが、その役割や歴史を記録し、次代に伝えることが重要だと思われる。

<三嶋>

『アメリカ世の軌跡』発刊です!
2022年6月26日 Category: 沖縄ある記 Comments : 2
お待たせしました!
昨年秋から制作していた書籍『アメリカ世の軌跡』がようやく完成し、発刊することが出来ました。

いや〜長かったですね。見るたびに誤植や言い間違いが見つかって、修正を繰り返したので、やたら時間がかかってしまいました。
しかし、沖縄の戦後から「復帰」までの政治・経済・社会の動きを、詳細な年表と写真で綴った書籍はこれまであまり見たことがないので、画期的ではないでしょうか。自画自賛になりますが、「復帰50周年」だからこそ、復帰以前の戦後を知る必要があると思い制作した次第です。
いろいろ突っ込みどころがあると思いますが、どうぞ手に取ってご覧ください。
<三嶋>

椿食堂と当之蔵界隈
2022年6月18日 Category: Myある記 Comment : 0
先日、首里にあった椿食堂の方の話が新聞に掲載されていたので、そういえば昔、撮影したことがあったと思い出した。
それで引っ張り出したのが以下の3点の写真。いずれも1995(平成7)年8月の撮影である。


自分はこの店より学校に近い食堂の方によく行った。確か230円の野菜炒めをよく食べていたように記憶している。椿食堂のメニューを見ると、「野菜おかず」が500円だから、約20年で2倍を超えるぐらいになる計算だ。

龍譚通り沿いが観光とのバランスをとりながら再開発され、モダンで綺麗な建物が並ぶ現在の「当之蔵」(「当蔵」?)に、残念ながらボクらが生活していた頃の雰囲気はあまり残っていない。
首里城にも琉大の痕跡はほとんどない(記念碑があるけど)ため、ろくでもない学校ではあったにせよ、「跡形もないのはどうよ」と天邪鬼の血が疼く。
アメリカ世の遺産(傷痕)にフタをしたいのか、と日本政府の思惑を勘繰りたくもなるが、いい悪いは別として、特異な大学があったことは歴史的事実だからねえ。
<三嶋>
