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金武町を歩く

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『しまたてぃ』76号のため、金武を取材していますが、実際に歩いてみると、いかに何も知らなかったか身に染みます(いつものことですが)。
機会がなかったといえばそれまでですが、金武といえば反射的に「基地の町」や移民といったワードが浮かぶだけ。頼りない情報だけで、付け焼き刃がどこまで通用するか、いつも以上に “キンチョー”しました(おいおい)。

しかし、住んでいる人の話は、聞けば聞くほど面白くなります。
それが地域を歩く醍醐味でしょうね。座学の知識とリアルな体験の合致や、ズレも得難いものですが、皮膚を通してしか伝わらない現場の空気を体で感じることも、地域を学ぶには不可欠な気がします。
そのためにも、単なる「情報」ではない何かを感じる、センサーのようなものを鍛えることが、結構重要な気がするんです。
IMGP5467
金武町役場の下を通る道路は、戦前の県道だったということです。
どうりで中途半端に道幅が広いし、と思ってました。今は駐車スペースに使われていますが、かつては綱引きも行われた、メインストリートだったようです。
IMGP5503
「基地の町」のイメージがある金武町ですが、大通りから集落に足を踏み入れると、そこに広がっているのは沖縄の農村風景。
田畑をバックに、赤瓦の屋根や石積みが、意外なほどあちこちに残っていることに驚きました。
まだまだ奥が深い金武町。これからも機会があれば歩きたい所です。
<三嶋>

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金武町にある墜落機のエンジンと金武ダム

 Category: Myある記  Comment : 0


墜落した飛行機のエンジンと、完成した金武ダムを見るために、久しぶりに金武町に行ってきました。
飛行機のエンジンとは、海底から引き揚げられた墜落機のもの。以前は役場の裏に置かれていたましたが、現在は別の場所にあります。
もらった資料によると、1998(平成10)年の5月、火力発電所の建設工事中に見つかり、海底から引き揚げられたようです。泥や貝殻が付着しているのはそのためですね。4枚のプロペラのうち2枚は折れ曲がり、錆だらけ。枯れたツタが全体に巻きつき、以前より劣化が進んでいるようです。
戦後の新聞にも、今のところ墜落の記事が見当たらないので、1945(昭和20)年前後に落ちた米軍機なのではないか、と勝手に思っていますが、詳しいことは分かりません(日本軍の特攻機かとも思いましたが、その可能性は低いようです)。



朽ちていくこの鉄の塊を見ていると物悲しくなるのですが、同時に、背後にある物語に興味が湧き、継続して調べたくなってきました。
このところかまびすしい、右寄りの言説や動きに利用されないかと懸念しますが、モノが残ったことは事実。都合の悪いモノであっても、事実を正確に見聞することでしか、歴史の本質には迫れないような気がします(大げさですね)。

飛行機のエンジンを見たあと、4月に完成したばかりの金武ダムに行きました。
工事中は億首ダムと呼ばれていたはずですが、完成を機にもとの名前にもどったようです(もともと小さな金武ダムがあった)。
ダムは国道329号を北上し、県道104号を左折すると俯瞰できますし、金武大橋の手前を左折すると、すぐ近くから仰ぎ見ることができます。


また、この場所からは、ダムの手前の川岸に残る、戦前の橋の残骸も見ることができます。近くにある案内板によると、1931(昭和6)年に架けられ、旧日本軍によって爆破された橋だったようです。


現役のコンクリート橋(これも結構古い)の向こうに、戦前の橋(写真中央左)が見え、さらにその奥に近代的なダムが並ぶ貴重なポイント。
ダム南東部の丘陵地には宿道(王府時代の幹線)があったし、東(下流)に走る金武大橋も含めると、ここは、さまざまな時代の道路と橋が密集した珍しい場所です。沖縄の土木建築の流れを学ぶにも、絶好の地ではないでしょうか。


解説板にあるモノクロの写真。美しいアーチ橋だったことが分かりますが、橋の名前は?
(三嶋)

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