戦後が続く天願を歩いて
2024年10月30日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
10月に行った「天願あるき」実施報告。
台風接近で、9月の散策が出来なかったせいか、いつも以上に参加者が多く、配布マップが足りなくなる嬉しい悲鳴。
また、区長をはじめとする地元の方々の参加も多く、かつてのエピソードなどで盛り上がり、楽しく歩くことができた。地域の皆様に感謝である。
地区では丁度、月に一度の大掃除の日だったため、人手を借りて迷惑をかけたが、それにもかかわらず親切に対応していただき、恐縮した次第。そのこともあって、天願は開放的で、明るい地域だなあという印象を強く受けた。
天願は戦後沖縄の、出発点のひとつとなった場所である。
地域の歴史は古く、戦前までのどかな農村だったが、戦時中から米軍が広範囲にわたって占領し、現在のキャンプ・コートニーに引き継がれている。
戦後、天願の人々が、収容所からムラに戻れるようになったのは、1945(昭和20)年10月以降だが、すでに軍の管理下に置かれた集落に、住民はバスなしでは自由に出入りすることは出来なかった。
1947(昭和22)年には、軍で働く人たちのための住居を百軒つくることが許され、「百軒部落」と呼ばれた集落に、11月2日から人々が移り住んだ。
現在、天願地区にある米軍基地は、字の70パーセントほどを占めるという。戦前の集落は基地に取られたため、行事などで墓や御嶽に行く場合、役所の許可を得て入らなければならない煩わしさがある。
軍用地にまつわる話には借地料に関するものも絡むが、センシティブな事柄だけに、気軽に尋ねるのはためらわれた。米軍に対する抵抗・協調の意識が個人の中にも渦巻き、現在進行形なのだろうと想像したからである。
しかし、天願がどんな歴史を背負い、何があった場所なのかを受け取り、記録することも、沖縄の戦後史の一断面を、風化させることなく伝える一助になるだろう。
地元の方々の笑顔を思い浮かべながら、わずかではあっても沖縄の戦後史の一部を窺い知れたことに、感謝した次第である。
<三嶋>