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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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風樹館あるき

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今月の「ある記」は6月11日、風樹館見学であった。

風樹館は、企業家の金城キクさんが寄贈して出来た、琉球大学の資料館(博物館)。

首里から西原に移転して建てられた現在の建物は、建築家・金城信吉の設計。那覇市民会館の設計で知られるが、完成を見ることなく亡くなったため、最後の作品となったものである。

沖縄ある記の会員でもある、学芸員の島袋美由紀さん。
沖縄に棲む最大・最小の昆虫標本を見ながら、地域の特異性に納得。
風樹館にはさまざまな生き物の標本が置かれているが、代表選手はやっぱりヤンバルクイナだろうか。港川人がいた約1万8千年前には本島全域に生息し、飛ぶことができたと考えられているそうだ。過去の骨格には胸の所に筋肉を支える骨が見られ、現在の骨にはなくなっていることから推測されるようで、なるほどと感心する。

ジュゴンの骨とイノシシの骨を持って比べ、前者がはるかに重いのは、水中で生活する上で獲得した特性だとのこと。実際に触りながらの解説には説得力がある。なるほどねえ。

たくさん置かれている骨格標本はどれも美しい。小さく繊細なパーツが絶妙につながり、理に沿った動作を宿主に授ける様は、迷いと失敗ばかりの人間を嘲笑うかのようではないか。彼らのシンプルで潔い行動原理が、こんな時代だからかうらやましくもある。

ギリギリの人員と予算で、志と思いのある人々に支えられているこの風樹館。膨大な時間のなかで費やされてきた、地球の歴史や生物の営みに思いを寄せ、個人や国の利益で奔走する人々の愚かさを笑うには丁度いい、静けさに満ちた知的空間である。

<三嶋>

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さよなら首里劇場

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首里劇場が閉館するため、「内覧ツアー」をやるというので行ってきた。

天も味方したのか久しぶりに晴れ間がのぞき、集まった人たちの沈みがちな気持ちも、少しは救われたのではないだろうか。

ペンキも剥げ落ちて痛々しい

学生時代には、近くの当之蔵や赤平に住んでいたこともあったので、時々足を運んだ。「エデンの東」のリバイバル上映や、ベトコンのサイゴン解放のニュース映像など観た記憶が蘇る。

その後ピンク映画専門館になり、社会人になるとほとんど関わりがなかったが、無くなるとなると、それはそれで寂しくなるものだ。

舞台の両袖にしつらえられた花道が、芝居小屋だった当時を忍ばせる。
こんな形式の建物は、今ではどこにも残っていないだろう。
舞台裏に残るカマドの跡。
芝居を演じる劇団員は舞台裏に泊まり込み、この場所で自炊したとのこと。
すぐ外に井戸も残っている。
1階と2階の観客席。左右の通路に余裕があるのは、芝居の際に必要なのだろうか。当時のものと異なるが、座席に残る長い木のベンチには、当時驚かされたことを覚えている。2階席は復帰後に使われなくなったとか。消防法とか小難しい法律が、従来のやり方を許さなかったのだろう。

崩れかかった建物のあちこちを案内してもらっていると、沸き起こる人々の歓声や笑い声が、ふっと脳裏に浮かび上がる。辛い浮世をしばし忘れる地域のオアシスが、またひとつ消えてなくなった。

<三嶋>

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『アメリカ世の軌跡』校了

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昨年から制作していた書籍『アメリカ世の軌跡』が、ようやく校了となった。

いろんな人の協力を得て感謝にたえないが、何とか形にすることができると思うと、嬉しさがこみあげてくる。同時に、しっかりと氏名が残ることの怖さにも苛まれる。

書籍では、27年間の年表を柱にしているため、間違いは許されないと校正に多大な時間をかけた。しかし、それでも問題は出てくるであろうと、今から覚悟している。

復帰してよかったと考える住民が多くを占める沖縄で、復帰前の沖縄の姿は次第に遠ざかり、霞んでいくようである。

復帰前を体験はしていないが、同時代に思春期を生きていた自分は、当時の沖縄の状況を掘り起こし、どんな事が起こり、誰が何をしたのか、出来るだけ知りたいと思う。そして、それらを次の時代に残すことが必要だと考える。これからの社会をよりよいものにするためには、先達がつくった歴史に学ぶことが不可欠だからである。

そのためにも、身の丈知らずの思い上がりかもしれないが、日本ではなかった沖縄の姿を本書の年表と写真でご覧いただき、豊かになっていく暮らしぶりや地域の姿、今も変わらない基地、政治状況などを確認していただければ幸いである。

本当に、復帰してよかったんでしょうかね?

宣伝用のDM

<三嶋>

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与論島復帰ツアー

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来沖している町田忠昭さんたちと、与論島に行って来た。

町田さんは、「海上大会」の船に乗ることを希望していたが、コロナや健康のことも考慮して漁船への乗船は諦めてもらったとのこと。

しかし、何とか思いを叶えてあげたい方法を探したら、鹿児島~那覇のフェリーが、4.28の日には海上に集まっている船の周りを1周するというので、そちらに変更となり、ボクも同行することとなった次第。

与論島はボクも始めてだが、海上大会と復帰祝賀行列参加、かがり火見学、島内見学と中身の濃い予定を組んでもらい、充実したツアーとなった。いろいろとお世話をしてもらった民宿の女将さんや、案内してもらったまちづくりに汗を流す麓才良さんにも感謝である。

国頭の山並みを後ろに、北緯27度線上に集結した漁船。
海上大会の漁船に向け手を振る町田さん(左)。仲間が東京から持参した「沖縄解放」の旗を取り出し、漁船に向けて掲げた。
4.28の海上大会は、1963年の第1回大会(集会)に与論から向かい、波に翻弄されながら沖縄側から来た人たちとやっとの思いで交歓した、とその体験をガリ版刷りの報告書にまとめた町田さんにとっては、やはり特別の感慨があるだろう。高齢にもかかわらずいつまでもデッキに立ち続け、海上を見ていた姿が印象的だった。
与論島で行われた沖縄の本土復帰を祝う行列。中学校からサザンクロスセンターまで、強い日差しにもかかわらず、大勢の島の人たちが歩いた。
驚いたのは、日の丸の小旗が数多く見られたこと(写真には写っていないが)。沖縄で日の丸というと抵抗があるし、町内で見ることはほとんどないと思うが、日本の「尻尾」を見るようで複雑な気分に囚われた。
また、その後の式典で、参加者の多くがスーツ姿だったこと。西日が強い強烈な暑さのなかで、演壇の上も下も、オジサンたちの多くが汗をかきながら「形」を整えていく共同体意識にも、「日本」を意識せざるを得なかった。
与論城から眺めた沖縄島方面。写真ではあまりよく分からないが、思いのほか国頭の山々が近くに見え、沖縄本島北部と与論島との歴史的・民俗学的なつながりを実感した。
人の交流が日常的に行われ、同じ文化圏を形成していたのだろうと、素人のボクにも感じ取れた。そして、そんな古代から続く共同体に、国境を落とし込み、両者を隔てた政治とは何かと思わずにはいられない。その無情、理不尽さに改めて憤りを覚えた。
辺戸岬と呼応して燃やされていた「かがり火」の再現。大勢の住民が参加して「お祭り」のような賑やかさ。

今回の与論島訪問を通じて、4.28や5.15に関連する行事を、10年ごとではない観光イベントとして、毎年開催するとするのも一つの方法かも知れないと思った。地域活性化、まちづくりのためにも外から訪問客を呼び込み、ここを入り口にして「復帰と何か」を考えてもらうということもあるのではないだろうか。

とまれ、充実した与論島ツアーだったことは確か。お世話になった方々に感謝である。

<三嶋>

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町田忠昭さんと嬉野京子さん

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3月末から4月上旬に実施した「27度線をこえて~「復帰」をめぐる人々の足跡をたどる~」でも紹介した、東京で復帰運動に関わって来た町田忠昭さんが来沖された。

90歳を超える今もお元気で、県立博物館で開催されている復帰の展示会を訪れ、カメラマンの嬉野京子さんと歓談。

県立博物館の企画展に展示されている、嬉野さんの写真を前に、当時を振り返る町田さんと嬉野さん。
東京中野区の区議・中澤ひろや氏などとともに、廃品回収をする20代の町田忠昭さん(写真右)。むしろ旗には「沖縄・小笠原返還要求/沖縄・小笠原をベトナム侵略の基地にするな/四・二八海上大会代表派遣のため」の文字。

沖縄返還要求の行進に参加していた頃の嬉野京子さん。中澤ひろや氏のアルバムに「闘いは体で/口で語り、筆で書き、写真でそのものを知らせる。カメラをもって闘いを記録した彼女の功績は、極めて大きい」と書かれている。
辺戸岬で与論島を眺め、「祖国復帰闘争碑」の前に立つ町田さん。
復帰に対する思いを今も熱く語る様は、自他共に認める現役の「活動家」。

当時の若者が体を張り、情熱を傾け立ち向かったものは何だったのか。現在の沖縄の有り様は、彼らが望んだ姿だったのか。遅々として進まない現状を前に、個人の人生はあまりにも短く、はかないと思う。

それにしても、今もボクらの胸を打って止まない彼らの熱情を、ボクらは持ったことがあるのだろうか?

<三嶋>

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