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『しまたてぃ』70号

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しまたて協会の『しまたてぃ』70号が刷り上がりました。
「沖縄の戦後を歩く」では、宮古のマクラム通りを取り上げていますので、ご覧ください。
7月に取材した時は夏真っ盛り。太陽光線が尋常じゃないほど強烈で、本島との距離を感じましたが、宮古の戦後史を調べていくと、ほんとに知らないことだらけだったことに驚かされました。やはり人間、自分の足下しか見ていないんだなあ(それも怪しいけど)と、実感させられた次第。


案内いただいた砂川幸夫さんは、宮古琉米文化会館や図書館などに長年勤められた方。
琉米文化会館に関しては以前から調べていたので、その体験談には引き込まれましたし、この施設が果たした役割の再評価が必要ではないかと痛感しました。
短い取材でどれだけ宮古の戦後史が語れたか疑問ではありますが、叱責やご指摘などもふくめた感想をお聞きしたいところです。
(三嶋)

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宮古は今日もハレだった

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『しまたてぃ』の取材で宮古に行ってきました。
マクラム通りと呼ばれる、平良港(漲水港)から市街地を抜けるメインストリートを歩き、聞き取りなどを行いましたが、あまりの暑さにビックリ。那覇と日差しが違う感じです。 
日陰を探しながらのヨタヨタ歩きで、どこまで語れるか不安ですが(ホントに)、そこも含めて出版されたら読んでね(まだ書いてもいないけど)。


今も通りに名を残すマクラムさんは、1946(昭和21)年10月、宮古に着任した南部琉球軍政官(中佐)でした。
米軍のエライさんですね。で、翌年に転出・再任され、その翌年(1948年)ごろ宮古を離れたようですが、現在までに分かったのはそれだけ。
正直、え〜っていう感じ。道路に名前まで付いた人の詳細が、よく分からないんですよ。
また、マクラム道路も、1947(昭和22)年9月に完成したとあるものの、港からどこまでか正確に分からない。南に位置する宮古島測候所(南部琉球軍政府があった)までか、途中の下里交差点あたりまでなのか・・・。


宮古市役所前のマクラム通り。このあたりは、戦前から県の支庁や警察署などが並び、「支庁前通り」とも呼ばれていたとか。
張り紙を見て、チルダイした体にケリを入れられましたが、暑いものは暑いしねえ。


こりゃあ、チルダイ気分が昂進するでしょう。笑うしかないですね。
(三嶋)

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