はじめの放送局
2020年4月4日 Category: Myある記 Comment : 0
インターネットの普及で、世界はずいぶん狭くなったと感じる昨今だが、敗戦ですべてを失った戦後の沖縄では、情報が入らないなかで、人々は島流しにあったように感じていたらしい。
そんななか、一般向けのラジオ放送が1949(昭和24)年5月16日に復活する。
しかし、この日は2時間のテスト放送で、本放送は翌年1950(昭和25)年1月21日から始まった。米国民政府民間情報部にいた川平朝申を中心に進められたもので、琉球放送局、AKARと呼ばれた。
その戦後はじめてラジオ番組を送信した場所が、具志川村栄野比だったことを知る人は、今では少なくなっているようだが、その建物は一部が今も残っている。

戦後間もない頃の栄野比の家
(写真:沖縄県公文書館)
昨年、里帰りされた、沖縄のアナウンサー第1号となる川平朝清さんに確かめると、東恩納博物館のW・A・ハンナさんが住んでいたこの家に、自分もしばらく住んでいたとのこと。写真に見える家の奥側が少し高くなっていて、送信所があった。

現在も残る栄野比の家
前述のハンナさんと親交があった、琉米歴史研究会の喜舎場静夫さんによると、この家は、ハンナさんが身長に合わせて入り口や天井を高くさせたとのことで、なるほど、その通りの作りになっているし、一般の琉球家屋と異なる石積みの壁があるなど、当時の忍ぶ部分があちこち残っていて面白い。
家の裏側には暖炉と煙突も残っているが、防音工事で壁が作られたため現在は見えなくなっているらしい。

同じ家の前で撮影された上原栄子さん
(写真:琉米歴史研究会)
撮影時期など詳細情報が分からない写真だが、川平朝清さんの話から上原さんと確認することができた。
那覇の辻遊郭で育った彼女は、戦後、料亭「松乃下」を開業したり、自身をモデルにした演劇「八月十五夜の茶屋」で話題となった人物。
何気なく見ていた写真に、予想外の有名人が写っていて驚かされたが、敗戦直後は沖縄の中心地だった石川や栄野比のにぎわいが、かすかに浮かんでくるようである。
<三嶋>
「谷茶あるき」が終了
2020年3月27日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
3月22日(日曜)、「谷茶あるき」を実施した。
谷茶は恩納村で一番小さな字のため、どのくらい参加者があるか心配したが、糸満、那覇から来る人もいれて20名弱が集合。ちょうどいいぐらいの人数に安心し、いつものようにユンタクしながらみんなで歩き回った。

谷茶集落の入り口を流れるメンカーに掛かる谷茶橋。道路はかつての県道。河口では戦前、山原船2隻が入って来るほどの広さだったという。手前にある新しい橋の建設記念碑には、1923(大正12)年11月建立と刻まれている。

集落を流れるもう一つのせせらぎ、シリンカーを見ながら地元の年配者の話を聞く。
もう少し東に行くと戦前に造られたミージマ橋があり、明治の大火を被った後は、この橋より東側に人家が広がったと文献にある。

静謐な空間が広がる「お宮」。御嶽に次ぐ集落の拝所とされ、行事の際に拝まれているが詳細はよく分からない。

小さな集落のため、見て回るのにさほどの時間はかからないが、地元の方の話を聞いていると、いろんなエピソードが出てきて面白い。地元でないと味わえない出会いと体験であった。
<三嶋>
石嶺写真展&公民館カフェ開催
2020年3月24日 Category: 沖縄ある記, 活動クリップ Comment : 0
一般社団法人沖縄しまたて協会の支援事業のひとつ、「写真展&公民館カフェ」を3月15日、石嶺1区の本字集会所で開催した。
同地区では、さる2月6日に実施した「石嶺あるき」に次ぐもので、前回からの告知もあってか多くの方々がお見えになり、にぎやかな1日となった。

朝早くから多くの方が訪れた。

子どもや若い人たちの姿が少なくなかったのも、嬉しい傾向。

現在、石嶺町全体の人口は約22,000人だが、もとから石嶺に住んでいる方は約1000人ほどと聞く。人口が多い割に地元意識が薄いといわれる原因は、そんなところにあるのだろう。
しかし、1960年代から移住者が増え、那覇のベッドタウンとして急激に開発が進んだ今日、地域の伝統や住民同士のつながりを求める住民も増加しているように思う。
みんなかつての時代が懐かしく、つながりを求めているのだろう。

展示された1959年ごろの石嶺風景。
左右に走る道路が現在モノレールが通る大通り(首里市道2号線と呼ばれた)。耕作地がほぼなくなった、現在の状態からは想像もつかない田園風景に驚かされる。
当時を思い出して懐かしむ声が、多くの来場者から聞こえてきた。
<三嶋>
恩納村の谷茶をあるきます
2020年3月7日 Category: 沖縄ある記, 案内 Comment : 0
恒例になった恩納村の村歩き。
来たる3月22日(日曜日)、恩納村谷茶で開催です。
同地は恩納村で一番小さな字とされ、普段は人影もまばらですが、高台の御嶽とそこを取り巻くように流れるせせらぎが、独特の雰囲気を醸し出しています。
この機会に是非、かつての農村の姿を想像してみてください。

<三嶋>
宮城一夫遺作展
2020年3月3日 Category: Myある記 Comment : 0
新館建設が進行中の名護博物館で、開催中だった「宮城一夫の楽しき日々」を観てきた。
早いもので、一夫先生が亡くなってそろそろ1年。
突然の訃報に驚かされ、その後も時々思い出しているのだが、今では予告なしに終末を迎えたのも先生らしいと受け入れるようになってきた
。世間の常識を笑い、世人を驚かせ、人生を最後まで楽しみ尽くしたような気がするのだ。



2012年6月撮影

2019年3月
展示会では少年時代から晩年まで、彼の作品や関わりのある人々の文章などがコンパクトに、かつ分かりやすく展示されていた。
12、3年前からの作品や創作の思いしか知らなかっただけに、若い頃の前衛作品が観られたことは収穫。
数年前からは市営市場で私設ギャラリー「スケッチ」をオープンし、市民と共生したアートの姿が見え始めていただけに、志なかばで倒れたことは心残りだったと思う。
しかし、彼の思いはこれからの名護の人たちが、必ずや引き継いでいくと確信したのだった。
<三嶋>
