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ジャーガル道の戦後2

 Category: Myある記  Comments : 2


前回に続き、北谷町と沖縄市をむすぶ「ジャーガル道(謝苅道)」についての紹介。

ここに載せたモノクロ写真は1952(昭和27)年に撮影され、今年、NPO法人琉米歴史研究会に返還されたもの。地元の方々の話で、そのうちのいくつかは場所を特定することができた。

謝苅道を美浜に向けて下る人たち。

前回も紹介した町田病院の看板と、石段が左に見える。

上記の写真とほぼ同じ場所。「謝苅一区」のバス停が立っている。

左手の小高くなった場所に町田病院があったが、痕跡は何も見当たらない。

道路は舗装整備されただけで、戦前から変わらないと聞くが、新たな道路建設の準備が近くで始まっている。

町田病院があった裏手の路地。

現在も戦後とあまり変わらない雰囲気の路地。

先に進むと謝苅道の下をくぐるトンネル(水路)があるが、戦前に造られたものとのことだ。

写真の右手に見えるのは部落で使われたカー(泉川)。手作りの石碑には「吉原三班/泉川/1957年8月8日建設」の文字が刻まれている。

かつては暮らしに欠かせない場所だったのだろうが、今は省みる人もいないのか、ひっそりと雑草に埋もれようとしている。

謝苅道と撮影位置図

沿道で出会ったと思われる少女たち。

場所は特定できないが、道路下に見える茅葺の家屋やカーブの雰囲気から、謝苅道であることは間違いないようだ。

戦後の貧しさの中でも笑顔を向ける子供たちに、同じく戦争を経験したであろう撮影者は、国を超えた希望の光を見出したのだろうか。

健在なら80歳近い年齢になっているはずのこの少女たちに、見覚えがないか地元で聞いてみたのだが、確たる情報は今もって得られていない。

<三嶋>

 

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Comment

  1. 安次嶺 より:

    はじめまして。北谷出身。50歳東京在住の安次嶺と申します。
    出身地の戦前戦後 どのような村だったのか興味があり検索していたところ 拝見させていただきました。
    素晴らしく貴重な画像を公開して頂き大変感謝しています。
    特に出身校の北谷中のあのガジマルがその当時からあったのは 感激です。
    私の母やオバーが当時この光景を見ていたかと思うと 感無量です。
    最後に。場所不明との子供の写真ですが
    この場所ではないかと思いましたので
    添付しておきます。
    ありがとうございました。

    指定した地点
    〒904-0105 沖縄県中頭郡北谷町字吉原 県道24号付近
    https://goo.gl/maps/nR7mTLr5qftTZwmF7

    • mishima より:

      貴重なご意見をありがとうございます。
      コロナの影響が薄れましたら、教えていただいた地点を訪ねてみたいと思います。
      今後ともよろしくお願いします。

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