ジャーガル道の戦後2
2018年11月7日 Category: Myある記 Comments : 2
前回に続き、北谷町と沖縄市をむすぶ「ジャーガル道(謝苅道)」についての紹介。
ここに載せたモノクロ写真は1952(昭和27)年に撮影され、今年、NPO法人琉米歴史研究会に返還されたもの。地元の方々の話で、そのうちのいくつかは場所を特定することができた。
謝苅道を美浜に向けて下る人たち。
前回も紹介した町田病院の看板と、石段が左に見える。
上記の写真とほぼ同じ場所。「謝苅一区」のバス停が立っている。
左手の小高くなった場所に町田病院があったが、痕跡は何も見当たらない。
道路は舗装整備されただけで、戦前から変わらないと聞くが、新たな道路建設の準備が近くで始まっている。
町田病院があった裏手の路地。
現在も戦後とあまり変わらない雰囲気の路地。
先に進むと謝苅道の下をくぐるトンネル(水路)があるが、戦前に造られたものとのことだ。
写真の右手に見えるのは部落で使われたカー(泉川)。手作りの石碑には「吉原三班/泉川/1957年8月8日建設」の文字が刻まれている。
かつては暮らしに欠かせない場所だったのだろうが、今は省みる人もいないのか、ひっそりと雑草に埋もれようとしている。
沿道で出会ったと思われる少女たち。
場所は特定できないが、道路下に見える茅葺の家屋やカーブの雰囲気から、謝苅道であることは間違いないようだ。
戦後の貧しさの中でも笑顔を向ける子供たちに、同じく戦争を経験したであろう撮影者は、国を超えた希望の光を見出したのだろうか。
健在なら80歳近い年齢になっているはずのこの少女たちに、見覚えがないか地元で聞いてみたのだが、確たる情報は今もって得られていない。
<三嶋>
Comment
はじめまして。北谷出身。50歳東京在住の安次嶺と申します。
出身地の戦前戦後 どのような村だったのか興味があり検索していたところ 拝見させていただきました。
素晴らしく貴重な画像を公開して頂き大変感謝しています。
特に出身校の北谷中のあのガジマルがその当時からあったのは 感激です。
私の母やオバーが当時この光景を見ていたかと思うと 感無量です。
最後に。場所不明との子供の写真ですが
この場所ではないかと思いましたので
添付しておきます。
ありがとうございました。
指定した地点
〒904-0105 沖縄県中頭郡北谷町字吉原 県道24号付近
https://goo.gl/maps/nR7mTLr5qftTZwmF7
貴重なご意見をありがとうございます。
コロナの影響が薄れましたら、教えていただいた地点を訪ねてみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。