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喜瀬武原(キセンバル)をあるく

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一昨年、恩納村の集落あるきを2ヶ所(仲泊・字恩納)で実施しましたが、今回、その続きを喜瀬武原で行うことになり、事前調査に行ってきました。
歴史が浅い屋取集落ということは、前回調べて知っていましたが、「とはいえ今度は何か見つかるかも」と歩いてみた結果、期待は見事に打ち砕かれました。
う〜ん。
こうなれば、聞き込みしかないですね。

集落のほぼ中央。
のどかなキャベツ畑の向こうに見えるのが、キセンバル闘争で知られるようになったブート岳。
かつては住民や学生たちが激しい抗議運動をおこない、連日、新聞をにぎわしていたことを思い出します。体を張った彼らの抵抗に、喝采を送っていた人たちも多いでしょう。なので、“キセンバル”と聞くと、何か熱くなる気がしますね(ボクだけか?)。

かつての公民館。1階は売店です。
店の前の県道104号線を飛び越えて、かつては105mm大砲の実弾射撃訓練が行われていたのですが、実は小火器の射撃は今も続いていて、工事現場の騒音のような発射音が集落からも聞こえます。
そういえば、金武町に行った時も聞こえていたなあ。
日常に同化して見えにくくなっている戦争に、こちらも馴れてしまっているのだなと反省です。
<三嶋>

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渡久地をあるく2

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本部町渡久地のレポート第2弾。
今回は一人でぶらつきました。

細い通路で区切られた町営市場のなか。
薄暗くて、足を踏み入れるのに躊躇しますが、若者が立ち上げたとおぼしき小さな雑貨店などあって、掘り出し物を捜す人にはいいかも。
町の衰退を食い止めるべく、いろんな企画やイベントが行われている所なので、少しでも貢献したいところでしたが、この日は(も?)金がなかったので、ヒヤカシに終わってしまいました(トホホ)。

街のなかで見つけた戦後史を物語る塀。
丸い穴が規則的に並ぶこの鉄板は、たぶん米軍が使っていたもの。正式名称は知りませんが、ぬかるみや滑走路などで、足下を固めるために敷き詰めていたものですね。たぶん。

満名川に架かる第一渡久地橋(昭和50年3月竣工)。
本部市場から北に抜ける古い方の橋ですが、もとはこちらが大通りで、蔡温時代に最初の木橋が造られています。
戦災にもあわず、戦後も石橋が残ったのですが、橋の向こう側の急なカーブを、米軍の大型トレーラが曲がり切れずに転倒したそうで、その後、新しい橋が渡久地十字路から北に続く道に架けられました。

満名川河畔。
1946(昭和21)年9月、戦後初の水産関係教育機関、沖縄開洋高等学校が開校した所です。
バラック小屋が2〜3棟と、米軍払い下げのコンセットがあるだけの貧弱な校舎でしたが、沖縄各地から集まった60名の若者たちが、海の男になる夢をもって勉学に励んでいたそうです。
しかし、学校はその後、那覇市泊に移転、沖縄水産高校と改称して再出発します。
本部町民は期待を裏切られ、肩を落としたといいますが、幻の学校を知る人も、今となってはほとんどいなくなったようです。

今回はこれまで。次があるかな?
<三嶋>

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中村英雄さんと渡久地をあるく

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『しまたてぃ』の取材で、本部町健堅に住む中村英雄さんと、町の中心地である渡久地界隈を歩きました。
渡久地は、戦前から本部半島で一番のマチで、カツオ漁や町営市場、岸本食堂など、ネタはたくさんあります。
そこに、中村さんの体験談も加わるため、紙面に納まり切らないかも…と心配になりました。

本部に行く前に立ち寄った、名護市場にあるギャラリー「スケッチ」前の広場で食べた昼食。
隣の食堂から取り寄せた料理ですが、戸外でユンタクしながら、別け合って食べる味は格別でした。
※試みられる方は、ハンパナイ量なのでご注意を。

本部町市場の角に立つ復帰前の道標。起点羽地村、終点本部町とあり、側面にはR124(軍道124号)と刻まれています。
通りの向いの路地には、超有名店・岸本ソバがありますが、あいかわらず観光客でいっぱい。行列が途切れません。

ここから、中村さんと一緒に伊豆味線を歩き、満名川に出て、川沿いに市場に戻り、港まで往復というのがこの日のコース。
見どころ満載で、面白い所だらけという感じでしたが、88歳になる中村さんのシャベリと元気な姿が、一番の見どころだったかも。
ウミンチュのDNAか、追込み漁やダイビングで鍛えたせいか、丈夫な体と衰えない記憶力にはビックリでした。


渡久地港を歩く中村さん。
カツオ漁でにぎわった町も、今は1隻が漁を続けるのみとか。

マキが積み上げられた戦後の渡久地港(写真提供:NPO法人琉米歴史研究会)。
漁港であると同時に貨物の中継港でもあり、やんばると那覇をむすぶ重要拠点として機能していました。

まだまだ続きます(たぶん)。
<三嶋>

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久手堅の豊年祭

 Category: 沖縄ある記, Myある記, スクガー事業  Comment : 0


字知念の公民館で、地域作品展を先日行いましたが、そこで公開した写真の1枚が、久手堅で撮影されたものではないかと数人から指摘がありました。
そこで、この日、字知念の前城さんと確かめた次第で、その結果、指摘された通り、写真は久手堅にある知念中学校の、グランド付近だろうということになりました。

撮影ポイントを探す前城さん。
背後の山の形や、土手の位置などが新旧同じだと思われます。

NPO法人琉米歴史研究会が所有するこの写真は、撮影時期(1950年代初頭)しか情報がなかったので、場所が分かっただけでも嬉しい限り。
豊年祭の一コマと思われますが、同時に撮影されたらしい別の写真も残されているので、今後はそこに写る人たちの何人かでも、どこの誰かが判明するといいんですけどね。
<三嶋>

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「森のクラブ」の最終日

 Category: 沖縄ある記, スクガー事業  Comment : 0


地域散策や地域作品展とともに、昨年10月から実施していた「森のクラブ」が、この日をもって修了。10回続いたことになります。

子どもたちは底川の森で遊んだあと、大きなたき火を囲んで、焼き芋やお鍋に舌鼓をうちました。

沖縄でも、火や土や水といった、ナマの自然を遠ざけた暮らしが当たり前になった現在、自分が山や川で遊んでいた時代がはるか昔のように感じますが、わずか50年ではないかとも思います。「こんな社会に誰がした」と誰かを呪いたくもなりますが、回りに敵をつくって自分を肯定(あるいは弁解)しても、何も変わらないと気付きます。
まずは足下の現実に向き合い、誠実に対処することからしか、事態は変わらないのでしょうね。

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