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窓のない家

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 最近、窓のない家を時折目にする。オシャレな雰囲気が漂っているが、通りに面した側に窓がない家である。

 そんな家を見ると何か落ち着かず、不快感といっていいような、不思議な気持ちは何だろうかと考えた。すると、それは窓がないことが、「周囲との関わりを拒絶する意志を示している」から、ではないかと思うに至った。

 周囲との調和が当たり前の社会では、家と周囲を隔てる発想はなかった。良し悪しは別として、そこにプライベートはなく、外界と屋内を隔てる壁はなかったといえるだろう。

 小津安二郎の名作映画『東京物語』には、通りをゆく近所のおばさんが、窓越しに室内の笠智衆と会話するシーンがあったと思うが、かつては家庭と外の世界を隔てる障壁は驚くほど低くかった。

 このような、すべてがさらけ出された生活空間ではなく、保安面からも個人・家族を守ろうとする住宅が求められるようになるのは、近代になってからだろう。

セメント瓦を屋根に乗せた、典型的な戦後の民家。南城市/2013年8月

 かつての社会は地域とのつながりが強く、地域全体が家族のような信頼の上に成り立っていた。それがユイマール(相互扶助)の仕組みを生み、保たれてきた。

 しかし、戦後に進んだ都市化が共同体の仕組みや意識を変え、同時に地域社会を支えていた絆も薄れてきた。受け継がれてきた行事や伝統芸能などの世界では、今もその関係は機能しているといえるが、都市型地域では消滅しており、ユイマールも死語になった状態だろう。

 しかし、だからといって、自ら地域との絆を断ち切ると宣言するのは、行き過ぎではないか。時代はここまで来たのか、とショックを受けたのである。

 厳しい自然条件や社会状況を経てきた沖縄では、自らが生きるためにも周囲との助け合いを不可欠としてきた。ジンブン(知恵)を生かしながら、手に入る素材でモノをつくり、助け合って生き抜いてきたのが沖縄ではなかったか。

 戦中・戦後もそうして人々は生き抜いてきた。そんな労苦の跡をながめたり、話を聞いていると、満ち足りた現在の社会が立ち行かなくなった時、われわれはどう乗り越えるのだろうかと、暗い予想をしてしまう。

国頭村奥で見たコンクリートの壁。バナナなどの大きな葉っぱを下に敷き、その上でセメントを捏ねて固めたため、葉っぱの形が残っている。2009年11月撮影。
面白い形の花ブロック。必然性だけでなく、そのなかにでも人は創造性を発揮する。
読谷村座喜味。2011年8月撮影。
保存か建替えかが話題の名護市庁舎。手作りのタイルなどがあちこちに配置され、機能性だけでない安らぎや落ち着きを与えてくれる。2010年9月撮影。
並木と一体化して道路沿いに設置されたベンチ。かつて人々はよく木陰に集い、たわいないユンタクに興じたが、そんなコミュニティーの姿が蘇る。宮古平良市。2014年7月撮影

<三嶋>

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