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熱中症にも負けず、「天底あるき」無事終了

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


 天底(あめそこ)は、今帰仁村の集落である。

 屋我地島につながるワルミ大橋はあるが、観光の目玉になるようなモノは見当たらない農村である。そんな「何もない」地域の散策に、クソ暑いなか、はたして人は集まるのだろうか? と正直不安だったが、あにはからんや当日はいつものメンバーが顔をそろえ、ホッとした。

 「何もない」地域にも歴史はあるし、人が住んでいれば物語はあるものだ。

 どんな地域であっても「何かある」のである。そのことに、人は気づけないだけなのではないか? と考える。

 地域には地域ならではの暮らしがあり、悲喜こもごものドラマがあるものだ。その「面白さ」は、身近すぎて気がつかないこともあろう。外部の眼だからこそ、新鮮に映る時もあるのだ。

 地域を歩き、地域の人々と交わる魅力は、そこにあるのではないだろうか。ガイドしていただいた小浦建夫さんの話を聞きながら、そんなことを改めて感じた次第である。

ワルミ大橋から見た海。遠くに古宇利島と橋、左奥に運天港が見える。
写真右手の島が屋我地島。
その海岸に見える三角形の砂地が、沖縄に初めて伝えられた塩田の跡という。

 製塩を伝えた人物は、運天に渡来したと伝えられる源為朝に同行した僧侶・開山長老(かいざんちょうろう)。ワルミ大橋に続く、ワルミ小橋の下にあるティラガマという洞窟で生涯を閉じたという。

 製塩に関わる拝所のせいか、ティラガマは、製塩が盛んだった南隣の湧川の人たちが、今も拝んでいるという。

ワルミ小橋の下にあるティラガマで、小浦さんの話を聞く。
氏によれば、ワルミ小橋はティラガマを避けるために設計変更され、
カーブしているらしい。

 この日は熱中症を警戒して、車での移動を実施。ワルミ大橋付近から、集落発祥の地とされるクシムイの杜に移動する。ムラウチの南側に位置する、草深い場所である。

 神アサギや御嶽、根神屋、ノロ殿内が近距離に集まっているため、順番に回りながら小浦さんの話を聞く。

ヌンドゥンチ(ノロ殿内)と、説明する小浦さん。
コンクリートの階段の上にある天底御嶽。女性や区長が登って拝んでいるらしい。
かつては短い参道の両側に、マツの並木があったという。

 文献を読むと、天底はもともと本部間切内の呉我山(伊豆味)にあったムラで、1719年、現在地に移動したという。蔡温が行った集落整備事業の一環だったのだろう。

 しかし、天底ノロの権限は強く、1713年の『琉球国由来記』によると、天底だけでなく伊豆味と嘉津宇も管轄し、大正時代まで馬に乗って各地の拝所をまわり、祭祀を執り行っていたという。

御嶽の近くに置かれた神アサギ。きれいに草が刈られた広場があり、
静謐な空間をつくり出している。
1990(平成元)年に行われた神アサギでの行事。
(写真:『なきじん研究』11号・2002年)

 神アサギから西の方に道を下ると、チマチスジノリが自生するという産井、アミスガーがある。

 シマチスジノリは、長さ20~30cmの細い糸状の姿をした淡水産の藻の一種だという。

 発見したのは、地元の天底小学校で教鞭をとった大城長二郎先生。1931(昭和6)年のことで、1955(昭和30)年、天然記念物として県から指定された。

 事前調査で訪れた際、この泉で何事かを祈る親娘らしい人影をチラリと見たが、アミスガーは今も地域の人々の信心を集める、崇高な場所なのだろう。それだけに水質が悪く、水量も乏しいような現在の姿を見ると、何とかならないものかと残念である。

1964(昭和39)年のアミスガー。現在、シマチスジノリはアミスガーから消滅しつつあるとされ、井戸を使わなくなったことや日光不足、水脈の変化などがその理由だという。
(写真:『なきじん研究』11号・2002年)
現在の天底公民館。裏手にはかつて天底馬場があり、
地域内外から見物人が集まったという。
公民館で一休み。冷たいお茶や手作りのお菓子に生き返る。(写真:久部良)

 最後に公民館に帰って来て一休み。冷たい飲み物や手作りのオヤツという、予期せぬ歓待に疲れを忘れて喜ぶ。

 また、地域の方にも参加してもらい、しばらくみなさんでユンタク。自然や人の暮らしが垣間見え、楽しいひと時を過ごすことができた。小浦さんの気配りに感謝である。

 暑い日差しに恐れをなしていたが、美味しいオヤツにお話もいただき、終わってみればたくさんの笑顔。「何もない」所はどこにもない、と確信したのだった。

<三嶋>

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