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海中道路の先にある宮城・上原集落をあるく

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


 8月の定例あるきは、かつての与那城村(現うるま市)の宮城島。

 この島は、小生が来沖した1974(昭和49)年に初めて連れて行ってもらったところである。それがちょうど50年前ということに気づいて、年の経つ早さに驚かされたのだが、島の裏側にある集落の佇まいや、細い坂道がうねうねと続く姿から、ずいぶん遠くに来たような、うら寂しい気持ちになった(島の人には失礼だが)ことは、薄らと覚えている。

シヌグ堂展望台から見た上原集落。左側奥に伊計島が見え、手前に池味湾が見える
電柱がずらりと並ぶ海中道路。左に平安座島、右に浜比嘉島が見える。
CTS(石油備蓄基地)闘争は、地域に禍根と環境破壊を残して終わていた。1995(平成7)年5月

 そのごこの地には何度も来たが、辺土名島・宮城島・伊計島と走るとつい宮城島をスルーしてしまう事が多く、立ち寄った記憶も乏しい。

 そのため、あらためて宮城島をあるきながら、知らない場所を訪ね、地元の人の話を聞いてみたいと考え、小学校跡地に建つコミュニティーセンターに行き、区長さんに話を聞いてみたのである。

 すると、地元の有志で観光案内の組織をつくっているというので、ガイドをお願いし、一緒に宮城・上原集落を散策してみたのである。

コミュニティーセンター敷地に建つ、宮城小学校閉校記念碑。
宮城小学校と隣の宮城中学校は、2012(平成24)年廃校となった。現在、島の子どもたちは平安座島にある、「うるま市立彩橋(あやはし)小中学校」に通っている。
周辺4つの島の小中学校はすべて廃校となり、地域の学校は彩橋小中学校だけである。
宮城集落。中央右の大きな施設が宮城コミュニティーセンター。
上原・宮城の公民館も老朽化のためここに移動しているため、二人の区長が同じ建物にいる。
宮城集落内。たいへん暑い日が続く毎日である。
家の中に引きこもっているのが賢明だ。通りに人影もない。
スンチナーと呼ぶ広場の展望台から見た池味集落と漁港。
海中道路が建設される以前は、この入江の右側にある桟橋(写真には写っていない)から、
与勝半島の屋慶名に渡る船が出入りした。
上原のメインストリート(?)に建つ新里商店。
店の前を西に向かい、坂道を登り切ると、
島とは思えないような広い耕作地がある高台(イーバル)に出る
宮城島で一番有名と思われるヤンガー。
ムラのカーには水量に応じて百千萬億の名が割り振られ、2番目に水量が多いこのカーは「萬川」とも呼ばれた。確かに水量が豊富で澄み切っており、まとまった雨がしばらく降っていないこの日も、溢れるほどの水が下のグムイ(池)に流れていた。
集落よりも高い、山の中腹にあるハルガー。
ムラで1番の水量があることから「億川」とも呼ばれた。ここから小学校や集落に水が引かれ、タンクに溜められ、簡易水道として利用されていた。

 最近は、コロナ禍の反動とも思えるほど沖縄中が喧しく、あちこちで観光客の姿を目にしない日はないほどだが、海中道路を渡った島々では、表の通りから一歩中に入ると、昔ながらの静かでおだやかな風景が広がっていた。

 しかし、少子高齢化がすすむ昨今、島チャビ(離島苦)の悲哀を味わってきたこの地では、橋が架かって利便性が高まったものの人口減少が続き、空き家も増えている印象だ。

 「限界集落だよ」という言葉も聞いた。確かに、学校がなくなり、若者が家を離れた地域に取り残された高齢者は、どうしろというのだろう。

 政治や行政批判を繰り返してもラチが明かないが、厳しい環境のなかで生き抜いてきたシマの歴史や住民の気持ちを考えると、腹立たしさや悔しさ、悲しさ、諦めなど、割り切れない思いがフツフツと湧き上がる。

 ただ、コミュニティセンターに集って夏休みを過ごす地域の子供たちの駆け回る姿は、危機的状況を何度も乗り越えてきたであろう住民の血を受け継ぐものであり、そのバイタリティーや明るさに希望が見える思いがした。

 それは宮城島だけの話ではない。沖縄に住む誰にも当てはまる事ではないだろうか。

<三嶋>

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