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南城市大里の西原地区をあるく

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南城市大里の西原(にしばる・にしばら)は、島添大里城跡の城下町(ムラ?)といえる場所。集落の南には、大里グスク以前のグスクとされるギリムイグスクがあることから、一帯は古い時代から人々が暮らしていたことが分かる。

また、周囲が崖に囲まれていて、隣ムラまでが遠いため、ガイドを頼んだ新垣一也さん(中城村教育委員会)が言うには、「陸の孤島」とか。他所との接触が少なかっため、古い時代の歴史が今に残り、家のつながりや信仰などの面でたいへん興味深いらしい。確かに、集落が小さいにもかかわらず、あちこちに拝所があり、今も大切にされているようだ。

いっぽう、集落のあちこちに沖縄戦の痕跡があることも驚きだった。一般にはあまり知られていないのではないだろうか。整備して受け入れの体制が整えば、平和学習などでも利用できるのではないだろうか。

集落から見た南側の風景。中央部の平地から丘陵地までの一帯は、戦後、米軍が「バックナー・ビル」と呼んでいた。写真では見えないが、右側に連なる丘陵地に大城グスクがあり、大里グスクと闘って敗れた話はよく知られている。
戦前に積まれた屋敷の塀に残る銃砲の跡。交戦の現場だったのだろうか、近くには日本兵の死体がいくつかあったとの住民証言もあるそうだ。
ギリムイグスクの中にある、鬼ムーチーの伝説に登場する鬼の住処を遥拝する拝所。ムーチーの話は首里の金城町が舞台と思われているが(ボクもそう思っていた)、実はこの下にある洞窟がほんとの舞台らしい。
ギリムイグスクの下に位置する旧日本軍の陣地跡。名前はない。石灰岩をくり抜いた造りで、ノミの跡が残る坑道に入り、二手に分かれた道の右側を抜けると、平良・仲程方面をのぞむ場所に出る。
集落内に残る見事な石積み。個人宅の塀で、戦前、移民でもうけた先祖が造ったという。写真に写る側面だけでも30mは超えて続いていると思う。そのスケールと美しさは圧倒的で、驚かされる。

西原は、事前に聞いていたように、拝所と戦跡が今も暮らしに溶け込み、日常の風景として存在する場所だった。祖先に対する敬いも、戦死者に対する供養も日常と一体化して息づき、安寧に満ちた静けさが集落を包んでいるように感じた。
<三嶋>

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