金武町にある墜落機のエンジンと金武ダム
2014年4月25日 Category: Myある記 Comment : 0
墜落した飛行機のエンジンと、完成した金武ダムを見るために、久しぶりに金武町に行ってきました。
飛行機のエンジンとは、海底から引き揚げられた墜落機のもの。以前は役場の裏に置かれていたましたが、現在は別の場所にあります。
もらった資料によると、1998(平成10)年の5月、火力発電所の建設工事中に見つかり、海底から引き揚げられたようです。泥や貝殻が付着しているのはそのためですね。4枚のプロペラのうち2枚は折れ曲がり、錆だらけ。枯れたツタが全体に巻きつき、以前より劣化が進んでいるようです。
戦後の新聞にも、今のところ墜落の記事が見当たらないので、1945(昭和20)年前後に落ちた米軍機なのではないか、と勝手に思っていますが、詳しいことは分かりません(日本軍の特攻機かとも思いましたが、その可能性は低いようです)。


朽ちていくこの鉄の塊を見ていると物悲しくなるのですが、同時に、背後にある物語に興味が湧き、継続して調べたくなってきました。
このところかまびすしい、右寄りの言説や動きに利用されないかと懸念しますが、モノが残ったことは事実。都合の悪いモノであっても、事実を正確に見聞することでしか、歴史の本質には迫れないような気がします(大げさですね)。
飛行機のエンジンを見たあと、4月に完成したばかりの金武ダムに行きました。
工事中は億首ダムと呼ばれていたはずですが、完成を機にもとの名前にもどったようです(もともと小さな金武ダムがあった)。
ダムは国道329号を北上し、県道104号を左折すると俯瞰できますし、金武大橋の手前を左折すると、すぐ近くから仰ぎ見ることができます。

また、この場所からは、ダムの手前の川岸に残る、戦前の橋の残骸も見ることができます。近くにある案内板によると、1931(昭和6)年に架けられ、旧日本軍によって爆破された橋だったようです。

現役のコンクリート橋(これも結構古い)の向こうに、戦前の橋(写真中央左)が見え、さらにその奥に近代的なダムが並ぶ貴重なポイント。
ダム南東部の丘陵地には宿道(王府時代の幹線)があったし、東(下流)に走る金武大橋も含めると、ここは、さまざまな時代の道路と橋が密集した珍しい場所です。沖縄の土木建築の流れを学ぶにも、絶好の地ではないでしょうか。

解説板にあるモノクロの写真。美しいアーチ橋だったことが分かりますが、橋の名前は?
(三嶋)
山の息吹
2014年4月16日 Category: Myある記 Comment : 0
名護市底仁屋の“蔓草庵”に行き、島袋正敏さんとユンタクしてきました。
やんばるの地はいつ来てもホッとしますが、新緑が輝くこの季節が、やはり一番イイように思います。底仁屋から大湿帯、源河にかけて広がる森林や、源河川の清流にしばし癒されました。

沿道に咲くイルカンダの花。モコモコとした赤紫色の不思議な姿で、海岸の岩にへばりつくカメノテを連想しました。ネットで調べると「イル」は「色」で、「カンダ」は「カヅラ」(カンダバー=イモの葉と同じですね)とか。ウチナー口が和名になったんですね。へぇー。

大湿帯に植えられているウメの実。沖縄でウメはあまり見かけませんが、調べると温暖な気候の樹木のようで、沖縄でも栽培を増やそうという方もいました。柔らかな黄緑色の実が美味しそうで、手を出しそうになりますが、獲(盗)ったらいけません。

リュウキュウアイ(たぶん)の畑。「藍染め」という言葉は聞きますが、本物のアイを目にする機会はそう多くないですね。
(三嶋)
津堅島でチキンカツを食べる
2014年4月6日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
タウチナー口で“チキン”と呼ばれる、津堅島に行ってきた報告です(チキンカツもうまかったです)。
参加者が20名以上(子ども2名)あったので多少驚きましたが、ウチナーンチュにも結構新鮮だったかも。
いつでも行けるサ〜、と未経験者のあなた、今がお出かけには最高の季節ですよ(汗をかいて歩きましょう)。
それにしても、平敷屋で出会った人はみんな親切。コワイ顔のおじさんも話せば愉快で、笑顔も印象的でした。また、次回おじゃましましょうね。

津堅島には平敷屋の港から3、40分で到着。港の近くには、イイアンベーの陽を浴びて、デイゴがこれから花を咲かせようかというところ。害虫の蔓延で最近はあまり見ませんが、真紅の花が咲き誇るデイゴは、沖縄の夏に不可欠ですね。

津堅は言わずと知れたニンジンの島。今が最盛期ということで、大量のニンジンをあちこちで見ました。値段も驚くほど安いんですが量が多すぎて・・・ニンジン料理が何日も続くかと考えて、出した手を引っ込めました。

ニンジン畑で作業中の姿を撮影させてもらいました。鉄パイプを曲げて作った、細身のヘラが使われているのに興味を持ちましたが、邪魔してはいけないと思って次の宿題としました。
ここではかつて大根が名産で、“チキンデークニ(津堅大根)”は味がいいと評判だったようです。今ではつくられていないようなので、復活を期待したいところですが、素人が考えるほど簡単ではないんでしょうね。

集落の中で見つけた弾痕(と思われる)。津堅島は、1941(昭和16)年夏から中城要塞の重砲陣地となり、県下でもっとも早く軍事化された島でした。そのため多くの島民が軍に駆り出され(志願し)、激戦に身を投じることになったようです。
のどかなこの島で、69年前の闘いを想像することは難しいのですが、記憶を顕在化して次世代に架橋する努力を、狭間に生きるわれわれが成さなければならないと考えます。右傾化が著しい昨今、歴史を学び伝える不断の作業がいっそう必要だと思います。
(三嶋)
那覇市安里をめぐる
2014年3月22日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
次号の『しまたてぃ』68号の取材をかね、那覇市の安里周辺を歩いてきました。
年度末のバタバタで原稿が遅れ、かなり焦っていますが、久しぶりに良い天気になったし、気分転換もかねてあちこち遠征した格好です。

大道小学校そばの直線道路。ここは、陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊の射撃訓練場があった場所です。
分遣隊がここに練兵場と射的場を置いたのは、1890(明治23)年から6年間。現在の大道小学校から松川小学校にいたる、距離約650m・幅約30mの直線で、射撃訓練を行ったと松川公園内の石碑に解説があります。
今も「練兵橋」と呼ばれる橋(写真)や、東西を貫く直線道路の姿は、市街地に少なくなった戦前の姿を残す場所のひとつでしょう。
ちなみに、このあたり(大道地区)までがかつての安里村域で、分離したのは1920(大正9)年のことでした。

モノレール安里駅から真和志支所方面へ続く道にあって、安里川に架かる安里橋。栄町を含んでこの川までが安里となります。
すぐ下流には姫百合橋があり、上流には蛍橋があります。この辺では、戦後も泳いだり魚を捕ったりしたと聞いたことがあるので、かつてはホタルも乱舞する清流だったのでしょう。
ところで、安里橋はもともと崇元寺の近くに架かっていて、崇元寺橋とも呼ばれていました。1677年に掛け替えられた時には、全長70m以上あったといいますから、たいへん立派な石橋だったと想像されます。
しかし、沖縄戦で破壊され、戦後になると崇元寺橋として再建されました。で、安里橋はというと、直線で800m以上上流にあるこの地で再建されることになったのです。

現在の安里2丁目と牧志3丁目の境に架かる「ゆたかばし」。姫百合橋を越えて直角に流れを変える、安里川の下流に位置します。
竣工は1961年4月、と味のある手書き文字で刻まれていますから、昭和36年、東京オリンピックの3年前ですね。
橋の下流(写真奥)には、2011(平成23)年にオープンした蔡温スクエアがあり、周辺がモダンな街に生まれ変わるのに合わせて、河川工事もずっと続けられています。
この橋もあとわずかの寿命でしょう。今のうちですよ〜。
(三嶋)
底仁屋の展示展
2014年3月18日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
名護市の底仁屋(そこにや)地区で開催中の、アルバム展(写真展)に行ってきました。
昨年から取り組んでいる「やんばる山学校」プロジェクトの一環で、地域の文化祭に相乗りして展開したものです。
2月には集落歩きが雨天中止になり残念でしたが、昨年から交流を重ねて集めた写真や、手づくり地図なども公開して、展示会はまずまずだったのではないでしょうか(3月末まであるけど)。
何より、プロジェクトを通して地域の方を知ったのは大きいですね。今後もいろんな交流が出来そうで、楽しみです。

(三嶋)
