那覇市安里をめぐる
2014年3月22日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
次号の『しまたてぃ』68号の取材をかね、那覇市の安里周辺を歩いてきました。
年度末のバタバタで原稿が遅れ、かなり焦っていますが、久しぶりに良い天気になったし、気分転換もかねてあちこち遠征した格好です。
大道小学校そばの直線道路。ここは、陸軍熊本鎮台沖縄分遣隊の射撃訓練場があった場所です。
分遣隊がここに練兵場と射的場を置いたのは、1890(明治23)年から6年間。現在の大道小学校から松川小学校にいたる、距離約650m・幅約30mの直線で、射撃訓練を行ったと松川公園内の石碑に解説があります。
今も「練兵橋」と呼ばれる橋(写真)や、東西を貫く直線道路の姿は、市街地に少なくなった戦前の姿を残す場所のひとつでしょう。
ちなみに、このあたり(大道地区)までがかつての安里村域で、分離したのは1920(大正9)年のことでした。
モノレール安里駅から真和志支所方面へ続く道にあって、安里川に架かる安里橋。栄町を含んでこの川までが安里となります。
すぐ下流には姫百合橋があり、上流には蛍橋があります。この辺では、戦後も泳いだり魚を捕ったりしたと聞いたことがあるので、かつてはホタルも乱舞する清流だったのでしょう。
ところで、安里橋はもともと崇元寺の近くに架かっていて、崇元寺橋とも呼ばれていました。1677年に掛け替えられた時には、全長70m以上あったといいますから、たいへん立派な石橋だったと想像されます。
しかし、沖縄戦で破壊され、戦後になると崇元寺橋として再建されました。で、安里橋はというと、直線で800m以上上流にあるこの地で再建されることになったのです。
現在の安里2丁目と牧志3丁目の境に架かる「ゆたかばし」。姫百合橋を越えて直角に流れを変える、安里川の下流に位置します。
竣工は1961年4月、と味のある手書き文字で刻まれていますから、昭和36年、東京オリンピックの3年前ですね。
橋の下流(写真奥)には、2011(平成23)年にオープンした蔡温スクエアがあり、周辺がモダンな街に生まれ変わるのに合わせて、河川工事もずっと続けられています。
この橋もあとわずかの寿命でしょう。今のうちですよ〜。
(三嶋)