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特定非営利活動法人
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安里川の南が海だった話

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 『しまたてぃ』の追加取材で、安里に行ってきました。
 今回は特に、おもろまちから続く新しい道路が、安里大通り(又吉道路・崇元寺通り)とクロスする安里一丁目交差点を紹介。
 交差点の南側にある御嶽が、これまでよく分からなかったのですが(何の表示もないし)、それが「浮縄(ウチナー)の御嶽」だと真栄里泰山さんに教えていただきました。
 金丸を国王(尚円)に推挙したことで知られる安里大親が、この場所で釣りをしながら、金丸とクーデター計画を練ったという話や、ここが「沖縄(ウチナー)」の語源とする説もあるようで、そんな重要な場所という認識がなかったこちらはビックリした次第。
 慌てて再訪し、よく観察したのですが、以前の場所から移動したせいなのか、歴史を伝えるものは何もなく、目の前をたくさんの車が通過するのみ(みんなもたぶん知らないハズ)。
 また、そばを流れる安里川は、遠い昔は海の一部で、このあたりが港だったようです。
 海を干拓した場所が対岸の牧志で、真栄里氏が小学生時分(1950年代)までは田んぼだったそうです。
 しかし、現在マックスバリューが見える付近に、水田が広がる風景を想像することはかなり難しい作業ですね。



2004(平成16)年当時(上)と、現在の安里一丁目交差点。上の写真の左端に写る、「外間金物店」だけは今も健在。


「浮縄の御嶽」。安里川を越えた向こう側に、かつては水田が広がっていました。


安里一丁目交差点の北西側に残るムラガー跡。戦後まで住民の暮らしを支えた命の水ですが、交差点が建設される際、その真ん中に位置する井戸は埋められ、現在の位置に祠が造られたようです。
(三嶋)

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しまたてぃPlus更新情報

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しまたてぃPlusの連載「沖縄の戦後を歩く」に【石川銀座・栄・南栄通り】【安謝トンネル通り】を追加しました。
下記のリンクからご覧下さい。


しまたてぃPlus

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名護博物館が開館30周年を迎えました

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名護博物館は1984(昭和59)年、それまで名護市庁舎だった建物を利用し、リニューアルして開館しました。
 博物館の理念は、「ぶりでぃ(群手=みんなの手)」という言葉で表しているように、市民参加を基本としたものであり、地域の自然と暮らしに密着した活動を重視したものでした。
 それは、地方であることを逆手にとり、地域の固有性をもって中央に対峙するといった、1973(昭和48)年の「名護市総合計画・基本構想」、いわゆる「逆格差論」の流れに沿ったものだったと理解されます。市立博物館でありながら、「市立」の文字が入っていないのも、市民を中心に据えるというこだわり故でしょう。
 みんなで備品を作ったり、ペンキを塗ったりすることから形作られた博物館は、学校帰りの小学生や市民が気軽に立ち寄り、宿題をしたり打ち合わせやおしゃべりを楽しむ場所として今も親しまれていますが、その光景を見るにつけ、これこそ故・伊藤寿朗氏がとなえた、市民参加型を基本とする「第三世代の博物館」なのではないかとさえ思うのです。


記念式典。今にいたる博物館の骨格を形作った初代館長・島袋正敏さんも、功労者の一人として表彰されました。


これまでの歩みをふり返る展示会。

 手づくり感がいっぱいの名護博物館ですが、建物の老朽化と狭隘なスペースの解消策として、新館建設も急がれるところ。
 その際には、建物は新しくなっても、市民や関係者と築き上げてきた歴史やネットワークを基本に、地域に開かれたアクティブな博物館であり続けて欲しいものです。
(三嶋)

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前川途中報告

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 現在、旧玉城村前川(メーガー)の地域マップ作りを進めています。
 区長さんや地元の方々と、散策や聞き取りなどを行ってきましたが、位置の確認(道が碁盤目状なのでこんがらがるのです)のために、追加取材が必要でした。
 完全ではないのですが、今回はその一部だけ報告します。


前川に残る戦跡、民間防空壕跡のひとつ。

 民間防空壕は、沖縄戦を前に地域の家々・門中単位で掘られたもの。
 雄樋川(マーヒーガー)沿いに、団地のように並んでいますが、同様のものをこれまで見たことがなかったので驚きました。メーガーヒージャー(前川樋川)と呼ぶ地域の産川も近くにあり、足場も整備されていますので、平和学習などには絶好の場所かと思います。
 写真の場所は、足下が整備されていない南側で、火炎放射器の焦げ跡(?)や、茶碗のカケラなども生々しく残っていて、一人で行くにはちょっと勇気が必要ですね。


民家の壁に描かれたかつての風景。

 クムイ(溜池)のそばには5本のマツの大木があり、その幹に幕を張って村芝居を行ったようです。マツ3本は40年ほど前まで残っていたとも聞きましたが、クムイも埋められた現在、描かれた風景は道路の位置以外、まったく過去のものとなっています。
 村芝居の場所だったことから、この一帯はバンク(舞台)と呼ばれていたそうですが、沖縄各地で使われているこの「バンク」あるいは「バンコ」という言葉は、「銀行」の語源と同じ「腰かけ」や「カウンター」ではないか、とさる先生から聞いたことがあります。偶然、英語とウチナー口が同じになったのか、共通する何かがあったのか面白いですね。


道路際ギリギリに立つアガリ(東)のシーサー。

 道路建設にあわせて移動させられたようで、何とも窮屈な感じのシーサー。近寄ると、沖縄戦の弾痕が体に残り、顔はほとんど欠けたひどい状態。村に入る災厄を、文字通り体を張って払いのけたのか、満身創痍のシーサーは痛々しい姿です。
(三嶋)

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今月のFMレキオ「沖縄ある記アワー」報告

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 毎月の第3金曜日、午後3時から4時までは、FMレキオ(那覇新都心)が放送する「沖縄ある記アワー」の時間。
 これまで会長の國吉さんに誘われて一緒に番組を進めてきましたが、あまりにも気を抜きすぎていたかと反省し(遅いけど)、今回から國吉さんを差し置いて、ボクが仕切るような形にしました(独断で)。
 ということで今回の企画を考えていたら、先日、大山田芋ファンクラブとコラボしたことを思いだし、同会の仲村さん夫妻をゲストにユンタクすることにしました。
 結果はまあ・・・(笑)。いつものようにタドタドしく、お聞き苦しかったと思いますが、ご容赦ください。
 しかし、とにかく、あちこちで頑張っている人たちがいるので、少しでもその活動を知らせ、情報交換のきっかけになれば嬉しいと感じています。
 また、こちらも大いに刺激を受けますし、頑張らなくちゃと気合いが入ります。
 さて、次回は何を喋ろうかな?

左から仲村さん夫妻・筆者・國吉さん
(三嶋)

FMレキオ

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