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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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■お問い合せ

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中村英雄さんのサバニ

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本部町健堅の中村さんを訪ね、一緒に本部町立博物館へ行きました。
そこに展示されている、中村さんの兄さんが戦後、国頭村で造らせたサバニを見るためです。
中村さんは、兄や先輩たち6人でこの舟をかつぎ、名護の山を越えて東海岸に出ると、辺野古沖で漁をしたそうです。
え? 舟をかついで山を越え、大浦湾に……って、直線でも5〜6kmはありますよ! 簡単に言わないでください、とはじめて聞いた時は絶句したものです。

驚愕の苦労をしてまで山を越えたのは、本部周辺では砲爆撃で魚がいなくなっていたからで、辺野古ではスズメダイを大量に獲り、それをコメに変えると再び舟を担ぎ、本部に帰ってきたとか。
また、西海岸で漁が出来なくなる冬場には、塩屋湾から山を越え、東村川田の海で漁をしたこともあったとか(これも半端な距離ではありません)。
しかし、さすがにあまりのキツさに2年ほどで根を上げ、逃げ出したさと笑う中村さんでした。

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中村さんと博物館に寄贈されたサバニ。

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やはり中村さんが寄贈したカツオ漁に関する資料も、たくさん展示されています。
(三嶋)

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スクガーマーイ&工芸体験が無事終了

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11月21・22・23・28・29日に行った、「スクガーマーイ&工芸体験」ワークショップが無事終了しました。
ご協力に感謝です。
今回は商工会の協力で作ったチラシのせいか、予想以上の訪問者があり、嬉しいかぎり。お陰で休む間もなく働かされましたけど(笑)。
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集落に下りて行く小路。50年前の集落跡と、今どきの風力発電の対比が面白い場所です。
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ガイド役の城間光雄さんのトークは、知識もさることながら笑いもとれて聞き応え十分。
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集落跡のなかでもワーフールは一番人気。体験談を語る人も多く、笑いが絶えませんでした。
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工芸体験では竹笛とニクブクが人気。
竹笛は穴の調整や吹き方の習得が必要ですが、持ち帰ってもそれなりに楽しめるのでは。
ニクブク(ムシロ)は、こちら側がまだ未熟な点があって戸惑い、十分ではなかったと反省。ただ、「こんな感じ」は、少し分かってもらったのではないでしょうか。
つい60年ほど前まで家庭で作っていたモノや技術が、消えようとしていることの意味を考えてほしいと思います。

今回のワークショップには、ほとんど知られていないスクガー集落跡を知ってもらうとともに、自然との関わり方を地域で考えるきっかけにしたい(大げさですが)という思いがありました。

タイムスリップしたようなスクガーの村跡に足を踏み入れると、自然と共存していた当時の人々の暮らしを、誰しも想像するはずです。そして、自然から縁遠くなった現在の私たちの暮らしを、ふり返ってみてほしいと思います。
そこには、郷愁以上の何か、未来を生きるヒントのようなものが(おおげさですが)、あるように思うのです。

近世琉球の時代から1960年代まで、この地で営まれていた人々の暮らしは、戦後の社会・環境の変化によって失われ、その痕跡も木々に飲み込まれて消え去ろうとしています。
それは地域の歴史と文化の喪失だけでなく、後世への伝承を引き受ける努力の放棄を意味するでしょう。

城間光雄さんを中心とする「スクガーを守る会」では、跡地の保全と利活用を目指すとともに、そこで営まれた暮らしの記憶を(体験者がまだいらっしゃるうちに)、後世に残したいと考えているのです。
<三嶋>

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【ご案内】スクガーマーイが始まるよ

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南城市知念のスクガー(底川)集落跡を回る散策会と、附帯事業の工芸体験が今週末から始まります。
メインはスクガーマーイで、21日(土)・22日(日)・23日(祝)、28日(土)・29日(日)に実施。
時間は午前10時〜と午後2時〜。1日2回です。
参加費無料ですので、ほとんど知られていない「幻の村跡」散策を、この機会に是非どうぞ!

場所:ギャラリー木創舎 南城市知念字知念1241-8


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●スクガーマーイチラシPDF

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謝苅を歩きました

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『しまたてぃ』連載「戦後の沖縄を歩く」で、2回目の謝苅取材を行いました。
前回は晴天の暑い日で、10名が同行しましたが、今回は曇り時々雨という生憎の天気。
教育長の玉那覇さん、前町長の辺土名さんといった、偉い方々に案内してもらうということで、ビビリながらでしたが、何とか一巡りして終了。ホッとしました。

謝苅(ジャーガル)は、「ジャー」が「蛇」を連想させるのか、耳に残る独特の響きが気になりますよね(ボク一人かな?)。
しかし、こちらの勝手な思い込みとは関係なく、調べてみると、この地が沖縄の置かれたいびつな戦後史を映し出す、鏡のような場所のひとつだということが分かってきました。

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中央左の三角屋根が元の謝苅琉映、その右上の段々になった屋根がナポリ座跡。
頭の上を車が走るような狭隘な土地ながら、肩を寄せ合うように戦後を生き抜いてきた人たちの絆は強く、コミュニティは健在なようです。

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県道24号線が走る謝苅三差路。
シャッターを閉める店が多いなか、今も幸地書店が頑張って営業を続けています。中央の道に入るとすぐ左に旧ナポリ座が見えます。

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謝苅三差路の東南部に広がる住宅街。左の建物がユーフル屋(謝苅湯)跡。
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集落の南を流れる白比川の近く。この場所に、北谷町唯一の泡盛工場、「北谷長老」がかつてあったようです。近くにはダンスホールや料亭もあって、にぎやかな一角だったと聞きましたが、今ではウソのような静けさが広がっていました。

戦後、米軍基地に土地を奪われた北谷町の住民は、ほとんどが傾斜地の、小さな山間のこの土地に居住するしか術がなく、1万人を超える人々であふれたといいます。
現在は、若者や観光客でにぎわう西海岸と、沖縄市を結ぶ道(県道24号線)沿いにある通過点、といった認識しかないかもしれませんが、最近まで町役場もあった謝苅は、戦後の北谷町の政治・経済を支えてきた中心地でした。

道沿いにあった商店や飲み屋が減少し、多くの人でにぎわった通りに人影はまばらとなりましたが、混乱と困窮の戦後を生き抜いてきた、バイタリティーあふれる人々のDNAは今も息づいているはず。先人の労苦やジンブンを推進力に、明日を切り開いて欲しいと願いました。
<三嶋>

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太平橋(平良橋)の見学会

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首里平良にある太平橋(平良橋)で、発掘調査の現場説明会があるというので出かけてきました。現在の太平橋は、一昨年このコーナーで紹介し、もうすぐ無くなるよと書いたのですが、まだ残っていました(ははは)。
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2013年6月の太平橋(平良橋)。
もとの太平橋は、この橋のすぐ向こう(下流)にあったもので、川の両側に残る当時の痕跡を、今回は見学したということになります。

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石畳道の一部が残る橋の西側部分。大勢の歴史マニア(?)が詰めかけました。
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車が見える向こうの橋が現在の太平橋。すぐ手前(結構深い)が昔の橋の跡。
井戸
川の東側から出土したミーガー(新井)。
写真のずっと左側が、昔の橋のたもとになっていて、その場所で大量の赤瓦や焦げ跡が見つかったことから、ここには赤瓦の屋敷があって沖縄戦で焼けたのだろう、ということでした。
また、屋敷の西側にあったのが、共同井戸だったという写真のミーガーで、屋敷の住民も写真の手前から降りて利用していたと考えられるようです。

いやあ、70年の時を超えて現れた、生々しい生活痕が放つ存在感は相当なものがありますね。本物ですから。どんな人が、どんな思いで暮らしていたのか…。関係者がまだいらっしゃるかもしれませんし、想像がふくらみますね。
また、分かりやすい解説とともに担当者の熱意も伝わって、充実したひと時を過ごせました。素直に感謝したいですね。
<三嶋>

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