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特定非営利活動法人
沖縄ある記
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スーパーお婆ちゃんの絵画展

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カジマヤー(97歳)のお祝いと、絵画展が同時に某ホテルで開かれたのは昨年のこと。
お婆ちゃんの名は、當間ヨシさん。
那覇で生まれ、戦後、国際通りでブティックを経営して成功し、東京に移ってから本格的に習い始めた絵を、数年前まで描いていたというスーパーお婆ちゃんです。

骨折を機に沖縄に帰って来たのですが、今年の旧正月のころから、県立博物館・美術館で個展を開催し、図録も作りたいという話が具体化し始め、沖縄ある記でお手伝いすることになった次第です。

那覇市内の自宅で観た當間ヨシさんの作品は、「お婆ちゃんの絵」から思い浮かぶような、素朴なタッチのものではなく、明確なテーマで表現も大胆でモダン。水々しい色使いや繊細なタッチは、年齢を感じさせません。
これが、80〜90歳の人の絵でしょうか。しかも、絵を描き始めたのが72歳と聞いて、二度ビックリ。
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マスコミに取り上げてもらったこともあって、初日から大勢の人が詰めかけて大盛況。
訪れた人は、「元気をもらった」「自分もがんばらなくちゃ」と語っていました。いくつになっても人は挑戦できるし、それが新たな活力になるというメッセージが、共感を呼ぶのでしょう。

大胆でビビッドな色使い、計算された画面構成・構図は、並の「後期高齢者」には出来ないのではないでしょうか。
沖縄初と言えるブティックを国際通りに開き、第一線でバリバリと仕事をこなしながら、一流のファッションセンスを磨き、身に付けたからではないかと想像するのです。
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當間ヨシさん、長女の宮里郁子さんと。
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自然への語らい
F130(194×162cm) アクリル 2002年(83歳)
20160209當間ヨシ017
道しるべ
S100(162×162cm) アクリル 2006年(87歳)
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まわり道
164×164cm アクリル 2009年(90歳)

<三嶋>

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金武町を歩く

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『しまたてぃ』76号のため、金武を取材していますが、実際に歩いてみると、いかに何も知らなかったか身に染みます(いつものことですが)。
機会がなかったといえばそれまでですが、金武といえば反射的に「基地の町」や移民といったワードが浮かぶだけ。頼りない情報だけで、付け焼き刃がどこまで通用するか、いつも以上に “キンチョー”しました(おいおい)。

しかし、住んでいる人の話は、聞けば聞くほど面白くなります。
それが地域を歩く醍醐味でしょうね。座学の知識とリアルな体験の合致や、ズレも得難いものですが、皮膚を通してしか伝わらない現場の空気を体で感じることも、地域を学ぶには不可欠な気がします。
そのためにも、単なる「情報」ではない何かを感じる、センサーのようなものを鍛えることが、結構重要な気がするんです。
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金武町役場の下を通る道路は、戦前の県道だったということです。
どうりで中途半端に道幅が広いし、と思ってました。今は駐車スペースに使われていますが、かつては綱引きも行われた、メインストリートだったようです。
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「基地の町」のイメージがある金武町ですが、大通りから集落に足を踏み入れると、そこに広がっているのは沖縄の農村風景。
田畑をバックに、赤瓦の屋根や石積みが、意外なほどあちこちに残っていることに驚きました。
まだまだ奥が深い金武町。これからも機会があれば歩きたい所です。
<三嶋>

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安里公民館の勉強会

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県知事を激励し辺野古新基地建設に反対する、「安里・大道・松川の島ぐるみの会」による勉強会が、安里公民館で開かれるというので出かけました。
年輩方が大勢詰めかけ、辺野古や現在の政治状況を憂える切迫感に満ちていました。
社会が大きな曲がり角に来ている今、何をどうしていいか判断に逡巡してしまいがちですが、そんな時には先達の肉声を通して、歴史を俯瞰してみることも有効だと感じます。
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遺骨収集活動を続ける「ガマフヤー」の具志堅隆松さん。
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モノレールおもろまち駅の東にのびる高台あたりが、米陸軍がハーフムーン・ヒルとよんだ丘。
新しい道路(那覇中環状線)の建設で丘は削られ、写真のような風景が現在は眼下に広がっています。
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上の写真と次の写真は、2008年6月22日、ハーフムーン・ヒルで行われた遺骨収集作業の様子。
具志堅さんの呼びかけで、大勢のボランティアが参加して行われた結果、日本兵の遺骨のほか手榴弾や銃弾、遺品なども発見されました。
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すぐ近くに位置するシュガーローフ・ヒルでは、貯水タンク建設や道路工事が急ピッチで進められた結果、収集できない遺骨がまだコンクリートの下には埋っていると具志堅さんは悔やみます。
が、遺骨収集の思いは世代を越えて引き継がれ、コンクリートの下に眠る遺骨も、いつかは陽の光を浴びる時が来るでしょう、と意外なほど明るく話されます。
そう、何かを成す人は、自らの大変さは語らず、明るい未来を語るんですね。
<三嶋>

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ヤンバルの「山野草観察&試食会」

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名護博物館友の会主催の「山野草観察&試食会」に参加し、春の新鮮な緑を、目と胃袋で味わってきました。
県営中城公園学芸員の比嘉正一さんと、名護博物館友の会理事で栄養士の、宮城都志子さんという専門家お二人も一緒なので、心強いこと。
この際なのでイロイロ聞こうと思ったのですが、何を訪ねていいのか分からないことに気づき、これほどまでに自然との距離が遠のいているのかとアキレた次第。

草花の名前や役立ち情報をそのあと教えてもらって大変面白かったのですが、草木の名前などをすぐ忘れてしまい、情けないことこの上なし。記憶力の衰えもさることながら、薄っぺらな知識はやはり身に付かないということでしょうか。

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教えられるまま、手近な草を食べたりしながら、源河川周辺を楽しく歩きました。

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面白い話を山ほどお持ちの比嘉正一さん(県営中城公園学芸員)。

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摘んできた草や葉を使い、旧源河小学校の教室で調理。

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真ん中のパスタはホウビカンジュとクワの葉入り。右下はシャケとツルナの混ぜご飯。
左手前はタラの葉とクワの葉の天ぷら。奥に見える緑はオオタニワタリの味噌炒め。
その他ツワブキのフキ味噌もあって、野草パーティーは盛り上りました。
<三嶋>

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ジャーガル(謝苅)の写真を発見

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琉米歴史研究会にある写真のなかで、昭和30年代の謝苅を写したものを見つけたため、現地で確認してきました。
今も建物が残るナポリ座(昭和28年ごろ開館)が写っているので、間違いなしですね。『しまたてぃ』75号で謝苅を取り上げたばかりだったので、それに間に合わなかったのが残念。
北谷町謝苅は、今は沖縄市から美浜に抜ける通過点のように思われていますが、戦後は北谷町の中心地としてにぎわった場所です。狭隘なこの地で、戦後を生き抜いてきた年輩の方も多いでしょう。
しかし、戦後の記憶が薄れつつあるのはこの地も例外ではありません。生の声を残せる時間は刻々と失われつつあります。

Okinawa 1958-1959 011
1958〜59(昭和33〜34)年の謝苅。「ジャーガル道」の奥に小さくナポリ座が見えます。
<写真提供:琉米歴史研究会>

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上の写真とほぼ同じ角度。

<三嶋>

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