街中で見つけた桜島爆発の痕跡
2015年8月19日 Category: Myある記 Comment : 0
鹿児島県立図書館に初めて行った帰り、ぶらぶらと照国神社近くまでくると、石造の古い建物を見つけたので行ってみることに。
案内板を読むと、1883(明治16)年に造られた建築物で、役所や資料館などとして変遷をかさねたものの、現在は老朽化のため閉鎖されている様子。
歴史的建造物特有の雰囲気と存在感に興味がつきなかったのですが、現状は放置されている感が強く、「残念だなあ」と近寄って見ると、なんと、階段部分が途中で土に埋っていることを発見!
あれ〜? なんでかあ?
と考えたら、そう、犯人は桜島。
大正3年に起った大爆発の痕跡だったのです。
よく見ると、隣の石碑も上の方まで埋ってますね。
このところ元気な桜島は、この時警戒レベル4だったので、これを発見(!)した時には、少し不安になりました。
鹿児島には悪いけど、早く沖縄に帰ろうよ。
<三嶋>
知覧特攻平和会館は人が多かった
2015年8月18日 Category: Myある記 Comment : 0
時期が時期なので、混んでいるはずと思いながら(こちらも都合があるのでしょうがない)、鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れました。
案の定、会館内は大勢の人(いつもを知らないけど)で、遺書などを納めたケースに近づくのもままならず、遺品を確かめながら感慨にふける雰囲気も削がれた感じだったのですが、展示されている「飛燕」や「疾風」などを見て興奮。プラモデル少年だったころを思い出しました。
告白するとミリタリー好きで、反戦平和とのアンビバレントな関係が、今まで続いているといえるでしょう。
昭和30年代の少年漫画によく掲載されていた戦記物の影響なのか、それとも(衰えたとはいえ)男の持つ闘争本能かも知れませんが(共感する男子も多いのでは)、あんまり人に言えないのは確か(言っちゃったけど)。
知覧基地の跡地にある球場。樹木があるあたりが特攻平和会館。
写真手前側には、当時の弾薬庫が今も建っています。
知覧基地跡の周辺には、当時の建物も人家に混じっていくつか残されています。
これは飛行機の潤滑油やグリースなどを保管した「油脂庫」。米軍機の発射した弾痕が今も壁に確かめられます。
屋内で遺品を保管展示する以外に、こういった戦争遺跡をどのように保存・継承するかは、全国共通の課題でしょう。
日常とかけ離れた(と思われる)戦争や歴史を体感し、想像力を身に付ける教育の場にすることが、現状では有効な利用方法ではないでしょうか。ノスタルジーを煽るだけの単なる展示品・遺物の陳列ではなく、未来をつくるための教材として活用することが、今こそ必要な時ではないかと思いますね。
<三嶋>
行ってきました北海道
2015年8月17日 Category: Myある記 Comment : 1
昨日帰省先の北海道から帰ってきました。
やっぱり広大さと空気の澄み具合を感じます。
家の窓からの写真ですが右側の木々がまだ低かったのでもっと太平洋が見えていて、毎朝空と海の色で天気を予想して学校に通ったものです。
だんだんと我が家は自然に飲み込まれていきます。
写真ではイマイチ「広い」 が感じられませんね。
(佐藤)
バックナーのカメラ
2015年8月8日 Category: Myある記 Comment : 0
TBSのドキュメンタリー番組、「戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実」が、8月1日午後2時から放映されました。
(制作プロデューサー:佐古忠彦、ディレクター:吉岡功、出演:二階堂ふみ)
番組の柱となったのは、沖縄戦を指揮した米軍司令官サイモン・バックナー中将が、愛用のライカで撮影した48枚の写真で、琉米歴史研究会(喜舎場静夫代表)が以前、故バックナー中将の長男ビル・バックナー氏から、譲り受けていたものでした。
そこには沖縄各地の風景や住民の姿などとともに、戦闘中の米軍戦車の写真もあったのですが、これまで場所は特定できていませんでした。
しかし、今回の番組ではそこが、バックナー中将が戦死する直前まで立っていた、糸満真栄里の丘の南側であることが突き止められました。
戦車の砲撃を受け、家族を失った遺族の悲痛な話には胸を打たれましたが、バックナー中将の戦死で怒り狂った米軍が、報復として住民虐殺を行っていたという証言にも驚かされました。ベトナム戦争で大きな問題となった、ソンミ村の虐殺を思い出します。まさに戦場の狂気ですね。
番組制作にあたって、バックナー中将の長男ビル氏から送られてきたライカM3。
戦史に残る人物が愛用し、歴史を切り取った名機は、ズシリとした重量感があります。70年の年月が加算されているのでしょうか。
バックナー中将が撮影した48枚のカラー写真は、当時の沖縄の姿を鮮明にとらえています。
真栄里の丘で戦死する時も離さなかったカメラには、自分の墓の写真も残されていました。嘉手納基地内に埋葬された際、部下が撮影したものですが、自分のカメラで自分の墓を撮影するという皮肉めいた結果で、バックナーの沖縄戦は終わりました。
那覇のホテルで、届いたばかりのカメラを確認するディレクター・吉岡功氏(左)と、コーディネーターを務めた喜舎場静夫氏(右)
<三嶋>
活動クリップ 今帰仁村中央公民館
2015年8月7日 Category: Myある記, 活動クリップ Comment : 0
仲宗根ある記パート2の帰りに今帰仁村中央公民館を観てきました。
1975年に建てられたそうで、かなり趣のある建物で心惹かれます。
(下地)