手登根エイサー
2015年8月29日 Category: Myある記 Comment : 0
ウークイの翌日行われる、手登根(南城市佐敷)のエイサーに出かけました。
古式ゆかしいエイサーと聞いていたので、堅苦しいものを想像していたのですが、公民館に集まってきた区の人たちは普段着のままでリラックスムード。ん(?)
開始予定の4時を過ぎ、20数人が集まったころヌール殿内に移動して開はじまり、そのあと6箇所ほどの拝所を回って、1時間半ほどで終了となりました。
実は1年ごとに規模の大小があるとのことで、今年は控えめ目な年だったようです。
手登根エイサーの所作には気負いがなく、子どもから年よりまで誰でも自由に参加できるので、何となく本土の「盆踊り」を思わせます。
素朴で地味ですが、身近な死者の魂を鎮め、供養することがエイサーの起源だと考えれば、他者に見せる/見られるものではない、本来の姿が残っている、と同行した桜沢有理さんに教わりました。なるほど。目からウロコです。
その日は、手登根在住の元ジャーナリスト、宮城鷹夫氏にもお会いすることができ、しかもご自身が昨年出版されたばかりの『時代の風音』(ボーダーインク発行)を頂いたのですが(ラッキー!)、その本によれば、手登根では戦前まで、「エイサー」のことを「ヤイサー」とか「ニンブチャー ベーシ(念仏囃子)」と呼んでいたそうです。
また、歌の始まりから念仏を唱え、それを4回もくり返す例は他にあまり例がない、と書かれています。元々は三線を使わず、カネ・太鼓・小太鼓・おどけ役のパーランクーでリズムを取りながら、男女が手踊りをしたそうなので、先祖供養であるエイサーの原型が、やはりここに残っているといえるようです。
<三嶋>