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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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手登根エイサー

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ウークイの翌日行われる、手登根(南城市佐敷)のエイサーに出かけました。
古式ゆかしいエイサーと聞いていたので、堅苦しいものを想像していたのですが、公民館に集まってきた区の人たちは普段着のままでリラックスムード。ん(?)
開始予定の4時を過ぎ、20数人が集まったころヌール殿内に移動して開はじまり、そのあと6箇所ほどの拝所を回って、1時間半ほどで終了となりました。
実は1年ごとに規模の大小があるとのことで、今年は控えめ目な年だったようです。
DSCF8381
手登根エイサーの所作には気負いがなく、子どもから年よりまで誰でも自由に参加できるので、何となく本土の「盆踊り」を思わせます。
素朴で地味ですが、身近な死者の魂を鎮め、供養することがエイサーの起源だと考えれば、他者に見せる/見られるものではない、本来の姿が残っている、と同行した桜沢有理さんに教わりました。なるほど。目からウロコです。
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その日は、手登根在住の元ジャーナリスト、宮城鷹夫氏にもお会いすることができ、しかもご自身が昨年出版されたばかりの『時代の風音』(ボーダーインク発行)を頂いたのですが(ラッキー!)、その本によれば、手登根では戦前まで、「エイサー」のことを「ヤイサー」とか「ニンブチャー ベーシ(念仏囃子)」と呼んでいたそうです。
また、歌の始まりから念仏を唱え、それを4回もくり返す例は他にあまり例がない、と書かれています。元々は三線を使わず、カネ・太鼓・小太鼓・おどけ役のパーランクーでリズムを取りながら、男女が手踊りをしたそうなので、先祖供養であるエイサーの原型が、やはりここに残っているといえるようです。
<三嶋>

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南城市でキバナノヒメユリが咲いています。

 Category: Myある記, 案内  Comment : 0


絶滅危惧種に指定されているキバナノヒメユリが今、見ごろをむかえています。
名前の通り小さな黄色い花は、日本産ユリの中で一番小さいそうですが、雑草に埋もれながらも、ひっそりと咲く可憐な姿は、まるでボクらを象徴しているようではないですか(ほんとか)

オヤジ連中と可愛い花の取り合わせは、ミスマッチのような気もしますが、南城市知念の「木創舎(きづくりや)」では21(金)・22(土)・23(日)の3日間、キバナノヒメユリ展示会を催します。
よかったらスクガー(底川)探索をかねて、足をお運びください。

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キバナノヒメユリは、沖縄島・久米島・渡名喜島に自生しますが、土地開発や採集によって数を減らしています。
南城市知念では、木創舎を営む城間光雄さんを中心に、「キバナノヒメユリを守る会」が結成され、啓蒙や普及活動に取り組んでいます。

今回の展示会では、会員が1年かけて育てたキバナノヒメユリを持ち寄りますので、是非ご覧戴き、よかったら声をかけて励ましてください。

■キバナノヒメユリ展示会
木創舎 8月21日(金)〜23日(日)

沖縄県南城市知念字知念1241-8
連絡先:城間光雄(TEL 090-4471-1190)

(三嶋)

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不思議な実と神谷げんまい

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玉城さんとその仲間が手登根を散策するというので、ボクも佐敷まで行ってきました。
生憎のぐずついた天気でしたが、歩けないほど降ることもなる、ワイワイとみなさん楽しんだようです。
特に面白かったのは、道の途中で見つけた雑草の実。

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黄褐色の地に、焦げ茶の細かい斑点がある7〜8mmほどの実が、びっしりと付いているんです。何かな〜と見ていると、参加者の一人が、「子供の時によく食べたよォ」と言うので、恐る恐る口にしてみると……。フワフワとした不思議な食感のあと、かすかな甘味と酸味がやって来るではありませんか。
「ん〜、意外といけるかも」と、口にした人たちも同じような意見。
だがしかし、肝心の名前を聞くと、誰も知らないとのこと。「え〜!」
先輩たちが子供のころは、とにかくお腹を満たすのが先出、名前を覚えるどころではなかったのかとも思いますが……。
ちなみに、今はヤギのエサとか。

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手登根の神谷さんのお宅で見せてもらった、「神谷げんまい」の空き瓶(汚れたままでスミマセン)。
この商品は神谷さんのお父さん、神谷秀亀氏が「神谷牛乳」とともに生産していたもの。かつては佐敷周辺のみならず、那覇の公設市場でも売られていたそうです。

昨年、95歳で天寿をまっとうされたお父さんは、戦後、素人ながら手登根で牛を飼い始めたことでも分かるように、かなりユニークな方だった様子。お元気な時にお会いしたかったですねえ。
それにしても、ユニークな人物やエピソードが、まだまだあちこちに埋もれています。やっぱり地域は面白いですねえ。
(三嶋)

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スクガーの今後

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字知念の「木創舎」に有志が集まり、城間さんを中心にスクガーの今後について話し合いました。


当日の午前中の霧。いつもは見える沖縄電力の風車も見えません。
写真中央を左右に走る道が、佐敷手登根から山越えで知念に至る唯一の道。
同じルートではありませんが、山越えの道は王府時代から戦後まで複数あったようで、これまでも何回か書きましたが、かつての道を蘇らせて先人の暮らしを学ぶ、体験学習などに利用できないかと考えています。


テッポウユリと、高校生時分(1960年代)までスクガーに住んでいたという照喜名さん。
現在は、時間がある時には屋敷跡に通い、畑を耕す日々を送っている照喜名さん、咲き始めたテッポウユリを見つけ嬉しそう。
(三嶋)

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手登根の拝所と小谷の報告会

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小谷で開かれる報告会に招かれたので出かけてきました。
時間が多少あったので、手登根や字佐敷などを回り、以前、案内してもらった御嶽も確認してきました。


写真は、詳しいことはよく分かりませんが、地域で一番古い御嶽とのこと。
以前、地元の神事を任されているという大城チヨ子さんに案内してもらった時、「土地は神様から預かっているもので、人間のものではない」、「われわれは神様の土地を借りて住まわせてもらっているのだから、神様への御参りを欠かしてはいけない」と話されていた言葉が蘇りました。


小谷公民館で開かれた報告会&慰労会。
一昨年から始まった南城市商工会の事業をきっかけに、小谷は見違えるように活性化しつつあります。
何よりすばらしいのは、地元のお年寄りたちが積極的に参加し、地域散策のガイドなどを買って出たこと。バーキ作りで知られ、「竹の里」として名を馳せたかつての思い出やプライドが蘇ったようで、訪れるたびに村がキレイに、明るくなっています。
持続的な展開がこれからの課題でしょうが、こちらも出来る限りフォローしたいと思った一夜でした。
(三嶋)

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