安里川の南が海だった話
2014年3月10日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
『しまたてぃ』の追加取材で、安里に行ってきました。
今回は特に、おもろまちから続く新しい道路が、安里大通り(又吉道路・崇元寺通り)とクロスする安里一丁目交差点を紹介。
交差点の南側にある御嶽が、これまでよく分からなかったのですが(何の表示もないし)、それが「浮縄(ウチナー)の御嶽」だと真栄里泰山さんに教えていただきました。
金丸を国王(尚円)に推挙したことで知られる安里大親が、この場所で釣りをしながら、金丸とクーデター計画を練ったという話や、ここが「沖縄(ウチナー)」の語源とする説もあるようで、そんな重要な場所という認識がなかったこちらはビックリした次第。
慌てて再訪し、よく観察したのですが、以前の場所から移動したせいなのか、歴史を伝えるものは何もなく、目の前をたくさんの車が通過するのみ(みんなもたぶん知らないハズ)。
また、そばを流れる安里川は、遠い昔は海の一部で、このあたりが港だったようです。
海を干拓した場所が対岸の牧志で、真栄里氏が小学生時分(1950年代)までは田んぼだったそうです。
しかし、現在マックスバリューが見える付近に、水田が広がる風景を想像することはかなり難しい作業ですね。
2004(平成16)年当時(上)と、現在の安里一丁目交差点。上の写真の左端に写る、「外間金物店」だけは今も健在。
「浮縄の御嶽」。安里川を越えた向こう側に、かつては水田が広がっていました。
安里一丁目交差点の北西側に残るムラガー跡。戦後まで住民の暮らしを支えた命の水ですが、交差点が建設される際、その真ん中に位置する井戸は埋められ、現在の位置に祠が造られたようです。
(三嶋)