前川途中報告
2014年2月28日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
現在、旧玉城村前川(メーガー)の地域マップ作りを進めています。
区長さんや地元の方々と、散策や聞き取りなどを行ってきましたが、位置の確認(道が碁盤目状なのでこんがらがるのです)のために、追加取材が必要でした。
完全ではないのですが、今回はその一部だけ報告します。
前川に残る戦跡、民間防空壕跡のひとつ。
民間防空壕は、沖縄戦を前に地域の家々・門中単位で掘られたもの。
雄樋川(マーヒーガー)沿いに、団地のように並んでいますが、同様のものをこれまで見たことがなかったので驚きました。メーガーヒージャー(前川樋川)と呼ぶ地域の産川も近くにあり、足場も整備されていますので、平和学習などには絶好の場所かと思います。
写真の場所は、足下が整備されていない南側で、火炎放射器の焦げ跡(?)や、茶碗のカケラなども生々しく残っていて、一人で行くにはちょっと勇気が必要ですね。
民家の壁に描かれたかつての風景。
クムイ(溜池)のそばには5本のマツの大木があり、その幹に幕を張って村芝居を行ったようです。マツ3本は40年ほど前まで残っていたとも聞きましたが、クムイも埋められた現在、描かれた風景は道路の位置以外、まったく過去のものとなっています。
村芝居の場所だったことから、この一帯はバンク(舞台)と呼ばれていたそうですが、沖縄各地で使われているこの「バンク」あるいは「バンコ」という言葉は、「銀行」の語源と同じ「腰かけ」や「カウンター」ではないか、とさる先生から聞いたことがあります。偶然、英語とウチナー口が同じになったのか、共通する何かがあったのか面白いですね。
道路際ギリギリに立つアガリ(東)のシーサー。
道路建設にあわせて移動させられたようで、何とも窮屈な感じのシーサー。近寄ると、沖縄戦の弾痕が体に残り、顔はほとんど欠けたひどい状態。村に入る災厄を、文字通り体を張って払いのけたのか、満身創痍のシーサーは痛々しい姿です。
(三嶋)