手登根は寒かった
2015年1月17日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
って、どこも寒かったんですが。
昨日の名護に続いて今日は南城市。ご無沙汰していた佐敷の手登根で、調査歩きの第2弾といったところ。

写真だけ見るとここはどこ? 沖縄ではないみたいですね。
天気もいまいち、風もあって少々つらい歩きとなりました。

山側の道。
今は途切れていますが、かつては首里・佐敷から続く道が手登根から山頂に続き、反対側の知念につながっていたようです。 これが“ユックイヌヒラ(日暮れ坂)”と呼んだ道の一部かもしれませんが、他にも道があったそうなので、確証はありません。いずれも、当時の人は山頂部(アカバンタと呼んだ)まで登ると、一休みして知念に下って行ったんでしょうね。
今では樹木に覆われてはっきりしませんが、「掃除すると通れるはず」とのことなので、古道が復活すると面白いでしょうね。って、言うのは簡単ですが。

集落内で見つけた家の柵(?)。再利用で、ビール缶も浮かばれるのではないでしょうか。
こういった、暮らしの中から生み出されるアイデアやジンブン(知恵)、自由な手づくり感が、沖縄らしいところでは。何でもアリだし、何をしても許されるっていう解放感がありますね。
う〜ん、ビール缶恐るべし。
(三嶋)
久しぶりの名護
2015年1月16日 Category: Myある記 Comment : 0
名護琉米文化会館に勤めていた大山さんと一緒に、名護に行ってきました。久しぶりの名護です。
大山さんは現在名護市役所となっている場所にあった、名護琉米文化会館のスタッフとして、1951年から1953年まで働いていた方です。
その後、那覇の琉米文化会館に移動されたのですが、大山さんが働いていた当時のようすを、しかも現場で聞くことができたのは貴重です。当時の関係者は、大山さんによればほとんどいらっしゃらないそうなので、なおさらではないでしょうか。
また、当時、文化会館に植えられたというデイゴも1本確認でき、周辺の町のようすも歩きながら聞くことが出来ました。

味がある大南区のビル。消えかけた文字が壁に残っています。

現在の合同庁舎はもとの名護高校。その道向いに写真のスージグヮーがあり、この細い路地を高校生たちが行き交ったとか。同行した一夫先生によれば、「あまり変わってないなあ」とのこと。

セメント瓦を乗せた木造家屋が、周辺にはまばらに残っています。セメント瓦が多いのは、名護が発祥の地で、工場も多かったからでしょう。
かつてはこの辺から、北西方向に嘉津宇岳の山並みが見えたそうですが、現在は建物の影に隠れてほとんど見えなくなっています。
(三嶋)
大山ターンム(田芋)畑の散策と意見交換会
2015年1月9日 Category: Myある記 Comment : 0
宜野湾市大山で「ターンムfanクラブ」が主催する散策会と、意見交換会に参加しました。
昨年もこの時期に散策会が開かれ、おいしいムジ汁などを食べたので、今年もか?とちょっぴり期待しましたが、今回はサプライズなしで(そりゃそうだね)、真面目な話に終始しました。

少し肌寒い天気でしたが、歩けば汗ばむほどでイイ気持ちでした。

“クンジャン(国頭)アブシ(畦道)”とよばれる里道には、水路にかかる石橋(大きめの石を置いただけですが)が、今も残されています。
外野席にいるこちらとしては、何をどうすればいいのかよく分かりませんが、砂川さんが言ったように、大山のターンム畑は宜野湾の「宝」という以上に、沖縄の「宝」ではないかと思います。
年を追うごとに、栽培面積が小さくなっていくようですが、歴史や人の知恵、思いが詰まった畑を消滅させるのは寂しい話ですよ。でも、そのためには、情緒的な論ではなく、具体的で戦略的な実践こそ必要でしょうねえ。
そして、行政批判だけではなく、市民・県民としてどう地域の課題にコミットしていくか、が問われるでしょう(それは地域共通の問題ですね)。行政を当てにしない覚悟があるのかとか、自立とは何かとか、自問自答する毎日です。
(三嶋)
根謝銘グスクでストレスもすっきり
2015年1月9日 Category: Myある記 Comment : 0
大宜味に行って、謝名城の根謝銘グスク(ウイグスク)に行ってきました。
機会がなかったこともあって、これまであまり意識したことがなかったグスクですが、初めて行ってみて自分の不明を恥じました。
山の地形をうまく利用し、南部とは異なる石を使った造りなども興味深かったのですが、何よりグスク全体を覆う深閑とした空気感に打たれました。鳥の声だけが響く深い木立の中に立つと、当時の人々の面影が見えるような不思議な感覚に包まれたのでした。

少し急な石段を登った頭頂部に建つ神アシャギ。下界の煩わしさを忘れさせる、静けさにあたりは支配されています。

根謝銘グスクから見た喜如嘉の集落方向。あいにくの天気で視界が悪かったのですが、古宇利島や今帰仁が意外なほど近いことに驚きます。
グスクの下を流れる南北二つの川には、ヤマトや中国から来た交易船が遡ってきたのでしょう。奄美諸島や今帰仁との関係など、興味深い話もあるはずなので、これを機会においおい勉強したいと思います。

根謝銘グスクを奥に見る、喜如嘉のヒンバムイ(森)からの景観。
(三嶋)
『しまたてぃ』71号が刷り上がりました
2015年1月6日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
今回の「沖縄の戦後を歩く14」では、宜野湾市の大謝名三差路とその周辺を取り上げました。
宇地泊にあったキャンプ・ブーンとキャンプ・マーシー、普天間基地に隣接した大謝名は、その影響を受けて戦前の農村から一転、戦後になって急激に都市化した地域。現在の大謝名小学校付近から牧港川まで、田んぼが広がっていたことも、建物が建ち並ぶ現在の姿からは想像し難くなっていますね。
しかし、西に位置する宇地泊が、埋め立てと開発が進んで、このところ大変なにぎわい(三差路は十字路になったし)。大謝名は取り残された感が無きにしもあらずですが、暮らしの痕跡や人の思いが染みついた土地は、簡単には消えないもの。先輩たちの苦労や地域の戦後史を残し、この先も伝えてほしいと思います。

(三嶋)
