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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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名護のセミナーに参加しました

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名護市の中央図書館で開かれた、地域誌・字誌作りに取り組んでいる人たちの報告会。
沖縄は市町村をはじめとして、あちこちで多くの地域史が作られています。セミナーでは、実際に関わってきた人たちの苦労話や問題提起などもあって、いい刺激を受けました。

そして、行政やアカデミックな視点ではなく、日常の延長で地域を記録・蓄積することの重要性と、その方法論の検討が必要ではないかと感じました。
というのは、既存の市町村誌や字誌が、みんな同じような形態で作られていることに、ボクは以前から不満を抱いていたからです。
布張りのハードカバーに金箔の背文字、ケースに入った分厚く重い書籍といった従前のスタイルは、いかにも扱い辛いですし、一般の読者・住民に優しくありません。記念品として本棚にしまっておくとか、研究者などの利用を想定しているのなら別ですが、もう少し手に取りやすい形態やスタイルがあってもいいと思うのです。
このことは、「沖縄ある記」にも関わる課題であって、アウトプットだけを切り離して論じるのではなく、情報のインプットや加工、アーカイブなどについても同時に考える、包括的な取り組みが不可欠でしょう。
さまざまなメディアが発達した今日、コスト・パフォーマンスを最大化する手法と、そのための方向づけが立ち上げ時から求められるべきです。


写真は2014年3月に発行された、『新大宜味村史・ビジュアル版 わーけーシマの宝物』。
大宜味村内にある17の集落を、A4判・100ページほどの紙面でコンパクトに紹介しています。写真や地図などの情報が豊富で、ゆかりの人物やエピソードなども読みごたえ十分。
村史発刊は、民俗とか自然、沖縄戦、移民などのテーマごとに、それぞれ数年がかりで発刊されることが多いようですが、各巻は詳細すぎるがゆえに時間と経費がかかり、難しい内容は住民にも十分理解されていないように見えます。
この大宜味村のビジュアル版はその欠点を補い、今後の出版事業に対する住民の理解を得る効果もあるのではないでしょうか。
地域が急速に変容する今日、住民が地域を知るための出版が、まずは求められているように感じます。
(三嶋)

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川は流れる

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那覇市内を流れるガーブ川沿いを歩くと、かつて仲宗根美樹(分かるかな?)が歌ってヒットした、「川は流れる」のイメージが浮かんできます。
「わくらばを/今日も浮かべて/街の谷/川は流れる〜」という歌で(知らないか?)、「わくらば」って何?と思ったものですが、ハスキーな声で物憂げに歌われる川のイメージは、暗い心情を映すメタファーとして子供心に残りました。


そして、そのイメージにピッタリなのが、沖映通りの地下を流れ、ジュンク堂のビルの前で地表に顔を出すガーブ川。
しかし、このところ周辺ではいろいろな工事が進んでいる様子。この風景も近いうちに変わるのではないでしょうか。
汚い川がイイという分けではありませんが、何でもかんでもキレイでオシャレな空間になると、息苦しくなるのも事実なんです。
生来の卑しさや貧しさに天の邪鬼も味方して、小奇麗なものを見ると「ケッ!」とか毒づきたくなるんですわ。


新しいビルが建設されるそばの岩陰で、放置されたようにみえる墓がありました。
墓標には「故陸軍輜重兵上等兵呉屋喜次郎之墓」と刻まれています(「輜重兵」はWikipediaによると「しちょうへい」と読み、兵站業務を専門とする兵士とのこと)。
ガーブ川と沖映通りの間にある間隙に、ポッカリと空いたこの異空間は、近いうちに取り壊されるのでしょう(たぶんだけど)。
「生者は死者に患わされることなかれ」とも言いますが、70年前に戦死したこの方のことは誰かが覚えているのでしょうか。遺族も途絶えた墓が、彼の存在を証明する唯一のモノだとすれば、その喪失は、国のために戦死した魂が、「公」によって再度殺されることを意味しているようで、暗い気持ちになりました。


ガーブ川の側にあった、今では珍しい、子どもがたむろする商店。
コンビニに取って代わられて随分たちますが、地域交流の拠点だったマチヤグヮーは、地域のセーフティーネットとして大きな役割を担っていたと今にして思います。
わたしたちは、どこで間違えてしまったんでしょうね。
(三嶋)

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県庁前通りの移り変わり

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『しまたてぃ』の取材が続いています。
今回は、戦後世代の話を聞こうと、わが沖縄ある記の玉那覇善秀さんと、その高校時代の同級生(久高さん・真栄田さん)に同行いただき、ハーバービュー通りまで歩きました。
現在、県庁が建っている場所には、アメリカ世の時代、行政府ビルがありました。
1953(昭和28)年4月、米国民政府が「琉球住民に献呈する」として建設したもので、1・2階を琉球政府、3・4階を米国民政府が使っていました。屋上には星条旗が翻っていたそうです(いかにも“占領”ですね)。
沖縄初のエレベーターもあって話題となり、近所の小学生たちは乗りに来たそうです。


ハーバービュー通りから見た県庁前通り。
現在の県庁前通りは政府前通りとよばれ、中央分離帯がある広い道路でしたが、当初は行政府ビル(現在の県庁)の前までしかなかったそうです。
アメリカのお偉いさんを乗せたでっかいアメ車も、ここでUターンするしかなかったとの話ですが、1954(昭和29)年6月に立法院ができたころ、ハーバービュー通りまで道が延びたのではないかという話でした。


県庁前通りから北に路地を入ると、かつての雰囲気が漂う変形の十字路があります。その角を左折すると“病院通り”、右の角には「松尾市場」があったそうです。
周辺には、琉球政府に出張で来る人が定宿にした旅館もあり、その奥は “ハーバービュー”とよばれた売春地帯でした。
“ハーバービュー”は西の行政区域と、東にある那覇高校との間にはさまれた空間で、近くの米軍基地の兵隊を相手にした飲食店が並び、戦争未亡人などが相手をする歓楽街でした。
現在の街並みから、隠微で危険な香りを漂わせていた当時の歓楽街の姿は想像できませんが、戦後史の断面として記録しておくことは重要でしょう。名もない庶民の姿は、表の歴史から抜け落ちるものですが、どんな人でも生きていた証は残したいものではないでしょうか。そして、そんな人たちの積み重ねで「今」があることを、忘れてはならないような気がします。


戦後の一時期、“ハーバービュー”とよばれた歓楽街の周辺は、沖縄戦の際に激戦が繰り広げられた場所でもあります。当時の弾痕も確認される戦前のレンガ塀は、戦後の混乱期を乗り越え、今にいたるまでこの路地裏にあって、何を見つめてきたのでしょうか。
(三嶋)

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戦火に消えた小学校

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『しまたてぃ』の取材で、県庁前から久茂地交差点まで歩いてきました。
案内は知り合いの増村さんと、渡名喜さんという同級生コンビと、先月も名護に同行していただいた大嶺昇さん。
大嶺さんと渡名喜さんは、現在バスセンターの敷地となっているあたりでともに生まれ、ご近所付き合いがあった一つ違いの先輩と後輩。二人とも、近くにあった甲辰小学校に通っていたので、学校跡地に建つ石碑も訪ねました。


左から増村さん、大嶺さん、渡名喜さん。
甲辰小学校は久茂地川のすぐそば、現在のパレット久茂地あたりからその西側にかけてあったのですが、1944(昭和19)年の十・十空襲で焼失し、その後、再建されることはありませんでした。
大嶺さんと渡名喜さんはその少し前(対馬丸が沈められた8月22日あと)、潜水母艦迅鯨で鹿児島に到着し、宮崎で疎開生活を送っています。
また、天妃小学校に通っていた増村さんは、十・十空襲のあと家族とともに疎開船で鹿児島にたどり着き、大分で疎開生活を送ったそうです。


久茂地川にかかる甲辰橋は、1959(昭和34)年11月竣工。「甲辰」の名は、この橋にしか残されていないようです。
日露戦争開戦の年に設置され、十・十空襲で消滅した甲辰小学校は、軍国主義教育とともにあった学校といえます。戦後再建されなかったのも、そんなことが影響したのでしょうか。
無論、それは80歳を超えた当時の子どもたちには関係のない話で、跡形もなく戦火に消えた学校は、彼らの脳裏に今も生きているといえるでしょう。

※参考:「甲辰橋と甲辰小学校」2013年3月27日
(三嶋)

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旧正月だけど津堅島

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例年より遅い今年の旧正月、なぜか津堅島で散策となりました。
日曜日も重なって人が多いだろうとの予測通り、フェリーは満杯。
普段は本島などに居る島の出身者たちも、この日ばかりは故郷に帰って正月を祝うのでしょう。大きなバックや、お土産らしき荷物を抱えた人たちが多いようでした。


大漁旗も掲げられ、華やいだ雰囲気が島のあちこちにあふれていました。


港が見える小高い場所に、漁師のおじさんたちが集まっていました。
普段から波の様子を見に来る場所らしいのですが、今日は正月休みなので女性陣が料理を作っている間は、ここでビールを飲みながらユンタクしているとのこと。
そこへ見知らぬ女子大生が乱入したので、多少驚いたようでしたが、百戦錬磨(?)のお父さんたちは破顔一笑。自分の子どもほどの年娘たち相手に、大盛り上がり。
彼女たちも普段はあまり接することがない人たちだけに、仕事の話や島の暮らしに興味をそそられた様子で、質問の嵐。しかし、一番クイツキがよかったのは、「ここでは伊勢エビがいっぱい食べられるよ」との言葉。
島の未来を考えると、エビで嫁を釣る婚活もアリですね。


港から続く学校前の通り。
普段は人通りの少ない通りも、この日ばかりは通行人がぐっと増え、空気も華やいだよう。やはり、若者や子どもがいると、それだけで地域が明るくなります。


ロシアではありません。走れるかどうか疑問ですが、かなりイケテル感じの車。いいですね〜。
よく見ると、ワイパーには松の小枝が挟んであります。正月飾りですね。


民家の塀や門の上でよく見かけた、シャコガイの魔除け。
こっちは中身に魅かれます。食べたいですね〜。
(三嶋)

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