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甲辰橋と甲辰小学校

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 甲辰橋は、モノレール県庁前駅の西にある小さな橋で、1959(昭和34)年11月に完成しました。
 54年前の橋が、沖縄の中心地に今も現役で存在していることに驚きますが、欄干はさすがにあちこち傷んで、痛々しい感じ。
 橋を渡って「パレットくもじ」に向かうと、地下駐車場の入口右に「甲辰尋常小学校・甲辰国民学校跡」という石碑が、ひっそりと建っています。
 甲辰小学校は、1904(明治37)年の甲辰(こうしん・きのえたつ)年に設置され(開校は翌年)た学校で、校名は日露戦争開始を記念して名付けられました。
 国民の熱狂的な支持を受けた日露戦争は、沖縄では立派な日本人になるための「踏み絵」のような役割を果たしました。出兵者の約1割が死傷したものの、この戦争を契機に県内の就学率が上昇し(昭和2年に99%に達した)たことからも、皇民化教育が「成果」を挙げたことがうかがい知れます。
 県外からの転勤族の子弟も多い甲辰小学校は、県内有数のエリート校でしたが、昭和19年8月には疎開船「対馬丸」に乗船した学童100人余が犠牲となり、那覇市の9割が焼失した同年10月の「十・十空襲」で完全に校舎を失ったまま、現在まで再建されることはありませんでした。
 戦争の時代につくられ、戦争とともに消えていった学校の名は、社会や政治の要請によって教育や学校が、容易に変質してしまう事を今に伝える意味でも、忘れてはいけないでしょう。
 甲辰小学校は二重の意味で「悲劇の小学校」ではないでしょうか。
(三嶋)

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Comment

  1. […] ※参考:「甲辰橋と甲辰小学校」2013年3月27日 (三嶋) […]

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