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特定非営利活動法人
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那覇のマチグヮー

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


次号の「しまたてぃ」で、那覇の新栄通りと平和通りを紹介するため、ここ数日、取材を重ねています。
この界隈は、戦後沖縄で一番活気があった地域で、多くのウチナーンチュに親しまれてきた庶民の買物エリアでしょう。
入り組んだ路地とひしめき合う店舗のいくつかを訪ね、いろいろな方の戦後史を聞いてみると、この地域も戦争を抜きに語れない場所のひとつだと、あらためて思います。

ガーブ川に蓋をして、1965(昭和40)年に完成した水上店舗。


第一牧志公設市場に連なり、市場中央通りに面したちとせ商店街ビル。
観光客や昼間から酒を飲む人でにぎわう飲食店街の上は、住居スペース。丸く切り取られた踊り場の開口部が、イイ雰囲気なので上ってみたかったのですが、近寄れなかったのが残念。


新栄通りのジャズ喫茶・ローズルーム。
学生時代には、近くにあったみつや書店の帰りに行ったものでした。「まだあったのか」と懐かしくなり、当時と変わらない雰囲気のなかコーヒーを飲んだのですが、時の経過をものともせず、淡々とあり続ける姿に勇気づけられた思いがしました。
<三嶋>

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名護市場のブリコラージュ

 Category: ユンタク会  Comment : 0


名護の公設市場の一角にオープンしたミニ・ギャラリー(?)が気になって、足をのばしました。
以前にも書いたと思いますが、開かれたアートを目指す美術家・宮城一夫氏が、一念発起してスタートしたもの。
野次馬連中の予想を覆し、毎日コツコツと頑張っているようなので、激励を兼ねたユンタクにお邪魔した次第。

何となく周囲に馴染んできましたね。
中身は相変らず雑然として、展示なのか何なのかよく分かりませんが、混沌とした空間全体が作品でもあるような……。

この日は掲示板の基礎にする木の枠を制作中。
集まった人たちが、ありものを使って作るのが、レヴィ=ストロース言うところの、いわゆるブリコラージュ。「野生の思考」がもともと鋭い沖縄の先輩爺さんたちが、嬉々として作業に取り組んでいました。

と、そういえば以前、県立博物館・美術館でおこなった展示会、「チュクイムジュクイ〜風土と建築展〜」が思い出されます。
考えたら沖縄の「チュクイムジュクイ」こそ、ブリコラージュそのものではないでしょうか。
廃虚からスタートした沖縄の戦後はすべてがブリコラージュで、ありあわせの物や道具を、知恵と工夫で使いこなしてきた結果が、今の暮らしを基礎付けているともいえるでしょう。

合理性や計画性より閃きや感覚を重視し、変更もよしとするゆとりこそ、私たちが失いつつある野生の感性だし、ウチナーンチュらしさが一番発揮できる領域ではないかと思うんです。
ただ残念なのは、復帰後の日本化のなかではそのような「野生の感性」が疎まれ、希薄になりつつあること。今こそ必要だと思うんですけどね。
<三嶋>

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焼きイモ焼けたけど

 Category: Myある記  Comment : 0


焼きイモの窯を作ったというので、知念の木創舎に行って様子を見てきました。

プロパンガスのボンベの胴体に、扉を付けた簡単なものですが、何となく本格的(?)
城間さん、前城さんの思いつきのようですが、何でも楽しもうとする精神には感心します。
が、美味しく焼くノウハウは誰も持ち合わせていなかったため、焦げたり、生焼けだったりで、時間をかけた割に結果はいまひとつ……。
リベンジしたいものですが、爺さんたちの気力はまだ残っているかな。
<三嶋>

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天願を訪ねて写真確認

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


11月に中城村で琉米歴史研究会の写真展を開催しましたが、その際、来場された年輩の女性に、撮影地不明の写真の場所を教えてもらっていたので、確認に行ってきました。
 
天願から撮影した安慶名方面。
地平線中央の丘が決め手になり、間違いないとのこと。中央の丘が安慶名グスクで、その下に闘牛場があります。そこから左に行くと安慶名十字路(当時は三差路)になります。
(写真提供:NPO法人琉米歴史研究会)

現在の風景はこんな感じ。少し角度が違ってしまいました。
話をうかがった女性の義父は闘牛に夢中だったようで、新聞社主催の闘牛大会で優勝し、商品としてアイスキーパーやヒーターなどをもらったことがあるとか。
また、周辺の人の多くは軍作業に従事していた、と写真を見ながらしきりに懐かしがっていました。

安慶名の反対側に位置する、海兵隊の基地キャンプ・コートニー。

ゲート前に並ぶ店舗。
うるま市東部の米軍基地は、普天間や嘉手納、辺野古などに隠れてかすみがちですが、米軍の土地接収や反対闘争、米軍機墜落事故や海水汚染、毒ガス移送など、基地がらみの重要事項が数多く発生した場所であることを忘れてはいけないと思います。
っていっても、自分も勉強不足で、あまり知らないんですけどね。
<三嶋>

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第4回「森のクラブ」を開催しました

 Category: 沖縄ある記, スクガー事業  Comment : 0


この日は「何でも木で作ろう」がテーマ。
木の切れっ端を使って、子どもたちの自由な作品作りが繰り広げられました。

女の子も夢中です。


ナイフやノコギリなどの道具が次第に日常から遠ざかり、自然の素材に触れあう機会も減少しつつある昨今。そこで培われる発想や閃き、達成感なども失われるのではないかと危惧します。

スクガーの森のたき火。
ナマの火を見ることも火を付ける機会も、現代の子どもたちはなくしつつあります。
子どもたちのそんな成長のチャンスを、私たちの社会は「危ない」を理由に奪ってきたのではないでしょうか。

火を見ると誰もが近寄ってきます。
無心に火を眺める贅沢をもっと味わいたいのですが、スタッフはそれどころではなく、動き回る子どもたちから目が離せません。
<三嶋>

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