天願を訪ねて写真確認
2016年11月25日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
11月に中城村で琉米歴史研究会の写真展を開催しましたが、その際、来場された年輩の女性に、撮影地不明の写真の場所を教えてもらっていたので、確認に行ってきました。
天願から撮影した安慶名方面。
地平線中央の丘が決め手になり、間違いないとのこと。中央の丘が安慶名グスクで、その下に闘牛場があります。そこから左に行くと安慶名十字路(当時は三差路)になります。
(写真提供:NPO法人琉米歴史研究会)
現在の風景はこんな感じ。少し角度が違ってしまいました。
話をうかがった女性の義父は闘牛に夢中だったようで、新聞社主催の闘牛大会で優勝し、商品としてアイスキーパーやヒーターなどをもらったことがあるとか。
また、周辺の人の多くは軍作業に従事していた、と写真を見ながらしきりに懐かしがっていました。
安慶名の反対側に位置する、海兵隊の基地キャンプ・コートニー。
ゲート前に並ぶ店舗。
うるま市東部の米軍基地は、普天間や嘉手納、辺野古などに隠れてかすみがちですが、米軍の土地接収や反対闘争、米軍機墜落事故や海水汚染、毒ガス移送など、基地がらみの重要事項が数多く発生した場所であることを忘れてはいけないと思います。
っていっても、自分も勉強不足で、あまり知らないんですけどね。
<三嶋>