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特定非営利活動法人
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マーグとシンタ

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南城市大里でマーグとシンタを見てきました。
マーグはススキと竹で作られた円形のカゴ。女性が嫁入りの時に持参するもので、衣類入れとして使っていたようです。
シンタは、カマンタなどとも呼ばれる鍋の蓋(ふた)です。鍋の大きさに合わせてサイズはいろいろあるようです。これもススキと竹で作られています。
マーグもシンタも、かつて沖縄で一般的に使われた道具のひとつですが、1960年代から次第に実用品としての用途はなくなり、民芸品としての命脈も現在、ほぼつきようとしています。
自然から遠ざかる事が価値を持つとすり込まれ、高度成長期を過ごしてきた私たちは、在来資源を巧みに取り入れてきたシマの暮らしが、消滅しようとする間際にも立ちあっているようです。


周辺にあるススキと竹を使って編み上げられたマーグ。手に取ると思ったより重く、緻密に作られていることが分かります。直径約50cm。


大鍋(シンメーナービ)用の蓋、シンタ。取手もしっかりとした作り。合理的かつ美しい曲線を描いています。
(三嶋)

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知念ある記、怒濤の第3弾がスベる

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第3回の知念ある記を日曜日29日に実施しましたが、話を急ぎすぎたのかさすがに疲れたのか、ドタキャンもあって参加者は私一人。地元では10人ほどの方々が集まっていたので申し訳ない気分でしたが、みなさん楽しげだったので少しだけ救われた思いでした。
今回は、これまで行けなかった海岸寄りの地域を歩くのがおもな目的でした。時間が短く物足りない感じでしたが、地元でもあまり知られていない場所や伝承などをみんなで共有できたのは、収穫のひとつでしょう。
また、集落がある高台から海岸近くまで急坂を下り、再び登るだけで結構な運動になったのかと思いきや、ほとんどがこちらより先輩の方々、みなさん平気な顔をしています。小さな時分から坂を上り下りして鍛えた健脚故でしょうか。みなさん元気です。


集落の東部に位置する高台にある波田真殿(はだまトゥン)。先月の綱引きでは、終了後に綱の末端部を切り取り、ここで燃やして無事を報告していました。
殿は村の祈りが行われる場所で、北部の神アサギと同じと考えられています。


ナガラ墓。集落東にあるハンタマシと呼ばれるガケを下り(階段があります)、さらに少し下った道沿いにある墓。海岸に漂着した遺体を埋葬した場所ということでしたが、草木が繁茂して入口部は確認できませんでした。「ナガラ」は「流れ」だと思われます。


海岸近くにあり竜宮神を祀る拝所。かつては糸満漁民の流れをくむ集落・ハマヤーが近くにあり、旧暦3月3日の浜下りの日には、スクガラスなどを供えてみんなで祈っていたとか。現在は行われていないようです。

神山殿(トゥン)。アカギなどが生い茂る森の中にある拝所で、厳かな雰囲気が満ちています。殿には70cmほどの石柱が4本残っていて、赤瓦の破片も多数落ちています。背後には静謐な空間が広がり、その後ろの山はかつて風葬の場だったと聞きました。
(三嶋)

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第2回知念ある記

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南城市知念の字知念を歩いてきました。
前回お願いしていたこともあって、地元の方々10人ほどが参加されたので、あちこち歩きながらユンタクに花が咲きました。
残念だったのは、知念の方言をこちらがよく分からなかったことで、ニュアンスは伝わるんですが、仲間同士の会話を聞いていると、?が浮かぶばかり。う〜ん、ウチナー口は深いですね。


古い石積みと新しい家が混在しているような集落の中。夕方には、のんびりとしたアナウンスが拡声器から部落内に流れます。
字知念は北側にある平仲(ひらなか)と、南側の久美山(くびやま)に分かれています。写真は平仲の「中の道」そばにある拝所(根屋)から撮ったものです。


古い石積みで囲まれた知念ノロの屋敷跡。正面に見えるヒンプンは竹です。屋敷内にはノロが使ったというカーや、文化財指定のサキシマスオウノキが繁っています。この日はウルトラマンの顔に例えられる楕円形の実がたくさん実っていました。


久美山(くびやま)地域にある知念大屋(ウフヤ)の拝所。集落背後の山腹にある知念グスクの城主・知念按司と、知念ノロのウコール(香炉)を代々守ってきた家にある拝所です。知念按司の刀も伝わっていたそうですが、いつのころか盗まれたそうで、その替わりに泥棒が置いていったという錆びた刀らしきものが今も残っています。替わりの刀を置いていった泥棒って・・・律義なのか何ナノか不思議。


あちこちにたくさんあるヒヌカン(火の神)のひとつ。ヒヌカンのことは、知念ではカママーイとも言うそうです。平仲にも久美山にもたくさんあり、この日だけでも9ヶ所を確認しました。
数が多い分けを聞くと、昔から火事が多かったので、火の用心のためということでした。昔はカヤ葺き家が多く、火が着くとまたたくまに焼け落ちたとか。
しかし、知念に限らず、沖縄ではどこも同じ条件だったはず。なぜこれだけ火の神が多いのか、という疑問に対する答えとしては、少し弱い気がするんですが・・・。宿題です。
(三嶋)

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「知念ある記」が始まりました

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 南城市における地域マップ作りを、字小谷に続いて字知念でも始めています。
 合併する前は旧知念村知念なので、字は南城市知念知念となります。何だかン?と思いますが、字佐敷や字玉城もそれぞれ佐敷佐敷、玉城玉城となっています。地名にはそれぞれの土地に固有の歴史があり、人々の思いが込められていますから、行政の都合だけで簡単に変えるのには違和感を覚えます(そういえば、日本地名研究所所長で、地名にはひときわこだわっていた民俗学者・谷川健一氏も亡くなりましたね)。
 さて、字知念ですが、広すぎてまだつかみ切れないというのが正直なところ。地元の方にイロイロ教えてもらいながら、進めていこうと考えています。

公民館(コミュニティーセンター)で地域の人たちにあいさつ。

玉城の「受水・走水(ウキンジュ・ハインジュ)」と並び、稲作発祥の伝説があるウファカル。知念城跡から続く森を抜け、視界が開ける湿地帯にありますが、ここが水田だった!という場所はよく分かりませんでした。う〜ん、無くなったのでしょうか? 残念!
(三嶋)

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小谷歩きpart3

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 旧佐敷村(現南城市)の字小谷(おこく)は、「チンシワイドゥクル(ひざを割る所)」と歌われたほど坂の多い、山の斜面にある集落です。
 これまで、地元の方々と一緒に2回の地域歩きを行いましたが、忘れたり見ていなかった所が少なくないことに気がつき、3度目の調査を一人で行ってきました。
 これから、現場で集めた話や文献資料をまとめ、地域マップに落としていきたいと思いますので、請うご期待というところ。

集落に登る坂の途中にある、「美ら石」付近から見た佐敷津波古方面。中城湾を見下ろす絶景ポイント。かつては、眼下に広がる水田から坂を登って家路につく村人が、この場所できまって一休みしたとか。

小谷の代名詞といえる竹と石畳道。文化財にも指定されているものの、ここだけになってしまった石畳道の状態は「放置」に近く、県下に知られた竹細工も1960年代末には姿を消したようである。

山側の道。小谷の背後に迫る山の向こうは旧大里村稲福集落で、かつては山道を往来する関係にあった。が、本土復帰ごろから押し寄せた車社会の到来で、小さな山道は無用のものとなり、いつしか両村の交流は途絶えたようだ。
(三嶋)

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