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特定非営利活動法人
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5.15とともに、北中城写真展が終わりました。

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 12日からおこなっていた琉米歴史研究会の写真展が、15日終了しました。
今回は(ボクが)思ったより来場者が多く、メモ紙に情報を書いてもらう方法も理解してもらえたようでした。連休中テンパっていた喜舎場さんも最終的には喜んでいたんで、めでたしめでたし。
 また、写真展に合わせて来沖した元米兵・ブルースさん(73歳)と、被写体の人たちとの感動的な再開シーンが何度もありました。
 当時の子供たちやその親・親戚などがひっきりなしに訪れては、ブルースさんと当時を懐かしんだりしていましたが、多くの先輩方が英語で気軽に話す光景には大変驚かされました。基地で働いていた当時の英語が、再開の喜びで一気によみがえったのか、気さくに英語で彼と話し、笑い、ハグしています。それは、戦後のウチナーンチュが再来したようで、あふれるバイタリティーをうらやましいような、まぶしいような気持ちでただ見とれていたのです。(三嶋)

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北中城写真展が始まりました。

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 琉米歴史研究会の写真展が、北中城の中央公民館で始まりました。昨年の知念体育館よりは会場が狭いので、余裕で構えていたところ土壇場で大慌て。夜中までかかってキャプションを追加する羽目に陥りました(いつもだけど)。
 あー眠い。データはできるだけ示したいし、調べても調べてもキリがないしで、キャプションに対してはいつもジレンマ。現地調査も今回はできなかったし、まだまだ不十分なんですよ。
 しかし、思いのほか入場者が詰めかけたのにはビックリ。また、たくさんの方の、熱いまなざしにもあらためて驚かされました。
 5,60年前の写真に、どこの誰でもない自分や家族の姿、シマの風景などを探す表情は誰も真剣で、何らかの痕跡を見いだして喜ぶ姿は、端で見ていても感動するものがあります。そこは通常の「写真展」ではなく、誰もが写真に入り込み、ある種の空気を共有する共感の場といえるのではないでしょうか。そして、そこに抜き難く伏流するのが沖縄戦ですね。(三嶋)

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那覇新都心の戦い

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 シュガーローフの戦いが、5月12日にはじまったということで、「新都心かわら板」5月号にそのことを書きました。
あちこちで紹介されているので、今更だとは思いますが、どんどん変わる周辺の景観を見ていると、「あの時、この場所」をたえず思い返すことは大事なことだと感じます。
 2000年12月に撮影したこの写真から、現在までの変わりようがわかると思いますが、遺骨・遺品の十分な調査・発掘もまたず、案内板ひとつを置いただけでことを済まして進められた再開発事業とは何だったんでしょうね。そして、その企図と構図は今も変わらないんですよね、きっと。
(三嶋)

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第6回勉強会で座喜味を歩いてきました

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 14日(土曜)おこなった「座喜味あるき」の報告です。
 23年度事業の決算のつもりだったので、用意したルート図と資料をなぞりながら、楽しく終了することができました。参加はゲストを交えた6人。思ったより少数でしたが、ゆっくり会話しながらの歩きには、このぐらいの人数がいいのかもしれません。特に今回は若い女性の参加があったので、いつものオヤジたちがいつも以上に盛り上りましたし。
 しかし、想定した2時間コースが少し長すぎたようで、雨が落ちてきたこともあって急ぎ足になってしまいました。貧乏人の悪い癖。あれこれ詰め込みすぎて、ジタバタしすぎですね。反省。
 知識を与えること以上に、ゆっくりとした歩きそのものを楽しんでもらうにはどうするか、が今後の課題のような気がします。
(三嶋)

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新都心ある記1

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 先月の話になりますが、那覇新都心の通り会が発行している「新都心かわら板」に、コラム「新都心ある記」を連載しています。
 同地はこれまでもあちこち歩いてみましたが、やはりエリア内に戦前の痕跡はほとんどありません。御嶽や史跡の多くは、米軍に接収されなかった周辺部の土地にありますので、連載が続くとすれば、いずれ周辺部の紹介にならざるを得ないかもしれません。
 ちなみに初回は、組踊で知られるメカルシー(銘苅子)のカー(スグルクガー)を取り上げていますので、ご覧ください。
(三嶋)

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