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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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ハーフムーンヒル

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那覇新都心通り会の「新都心かわら板」に、「新都心ある記・ハーフムーンヒル」と書きました。
ハーフムーンヒル(半月形の丘)は米海兵隊の呼称で、陸軍はクレセントヒル、地元では「ウフドウムイ(大道森)」と呼ばれた丘です。
真嘉比小学校の南側にある(あった)山です。
放置された墓があちこちに立ち並んでいて、これまで足を踏み入れるような場所ではありませんでしたが、ここがシュガーローフ以上の激戦地で、日本兵の遺骨がまだ埋もれているとは、2008年におこなわれた市民参加の遺骨収集作業に加わるまで知りませんでした。
当日は「ガマフヤー」の具志堅さんの案内で、真嘉比壕や遺骨の発掘作業に立ち合いましたが、街中に現れた生々しい戦争の傷跡に誰しも息を飲む思いがしたはずです。
そこに横たわっていたのは、抽象化された「日本兵」ではなく、1人の肉体を持っていた個人、名前を持っていた亡骸でした。
新聞報道では、この地域に102名の日本兵が立てこもり、93人が死亡したと伝えています。

同地の収集作業は、しかし、新都心から松川方面に抜ける道路工事にせき立てられ、不十分なまま(まだ多くの遺骨が残ったまま)終了します。
具志堅さんたちの粘り強い活動がぎりぎりまでおこなわれていたことは、マスコミ報道などでご存知だと思います。
現在、ハーフムーンヒルの多くは道路に削り取られ、コンクリートに固められた法面をさらしています。
(三嶋)

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屋富祖大通り

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『しまたてぃ』連載の「戦後を歩くシリーズ4・屋富祖大通り」を、よくやく入稿しました。
2月に調査したものなので、思ったより時間がかかりましたが、まずはホッとしたところ。

同地は、言わずもがなキャンプキンザーとともに生きてきた町ですが、コザや金武のような「基地の町」の面影はほとんど残されていません。
人影もまばらな現在の大通りからは、かつて浦添の中心地といわれたほどにぎわったという話も、現実感がないように思われます。
しかし、町や人々の記憶をきちんと記録し後世に残すことは、よりよい未来を招来するために、どの地域にも不可欠な作業ではないでしょうか。
基地の返還が現実味を帯びはじめたこの時期だからこそ、先達の証言に耳を傾け、歴史に学ぶことがいっそう大事になると思われます。

われわれも、この機会を起点にした交流を継続し、さまざまな記録を残したいと考えます。
(三嶋)

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5.15とともに、北中城写真展が終わりました。

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 12日からおこなっていた琉米歴史研究会の写真展が、15日終了しました。
今回は(ボクが)思ったより来場者が多く、メモ紙に情報を書いてもらう方法も理解してもらえたようでした。連休中テンパっていた喜舎場さんも最終的には喜んでいたんで、めでたしめでたし。
 また、写真展に合わせて来沖した元米兵・ブルースさん(73歳)と、被写体の人たちとの感動的な再開シーンが何度もありました。
 当時の子供たちやその親・親戚などがひっきりなしに訪れては、ブルースさんと当時を懐かしんだりしていましたが、多くの先輩方が英語で気軽に話す光景には大変驚かされました。基地で働いていた当時の英語が、再開の喜びで一気によみがえったのか、気さくに英語で彼と話し、笑い、ハグしています。それは、戦後のウチナーンチュが再来したようで、あふれるバイタリティーをうらやましいような、まぶしいような気持ちでただ見とれていたのです。(三嶋)

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北中城写真展が始まりました。

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 琉米歴史研究会の写真展が、北中城の中央公民館で始まりました。昨年の知念体育館よりは会場が狭いので、余裕で構えていたところ土壇場で大慌て。夜中までかかってキャプションを追加する羽目に陥りました(いつもだけど)。
 あー眠い。データはできるだけ示したいし、調べても調べてもキリがないしで、キャプションに対してはいつもジレンマ。現地調査も今回はできなかったし、まだまだ不十分なんですよ。
 しかし、思いのほか入場者が詰めかけたのにはビックリ。また、たくさんの方の、熱いまなざしにもあらためて驚かされました。
 5,60年前の写真に、どこの誰でもない自分や家族の姿、シマの風景などを探す表情は誰も真剣で、何らかの痕跡を見いだして喜ぶ姿は、端で見ていても感動するものがあります。そこは通常の「写真展」ではなく、誰もが写真に入り込み、ある種の空気を共有する共感の場といえるのではないでしょうか。そして、そこに抜き難く伏流するのが沖縄戦ですね。(三嶋)

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那覇新都心の戦い

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 シュガーローフの戦いが、5月12日にはじまったということで、「新都心かわら板」5月号にそのことを書きました。
あちこちで紹介されているので、今更だとは思いますが、どんどん変わる周辺の景観を見ていると、「あの時、この場所」をたえず思い返すことは大事なことだと感じます。
 2000年12月に撮影したこの写真から、現在までの変わりようがわかると思いますが、遺骨・遺品の十分な調査・発掘もまたず、案内板ひとつを置いただけでことを済まして進められた再開発事業とは何だったんでしょうね。そして、その企図と構図は今も変わらないんですよね、きっと。
(三嶋)

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