南恩納の取り残された橋
2014年9月8日 Category: Myある記 Comment : 0
大学院大学(OIST)の開学や、観光業の隆盛で活気づく、恩納村へ豊年祭を見に行きました。
おおかたの沖縄県民にとって、恩納村のイメージは、「沖縄本島の真ん中あたりの西海岸にあり、ホテルが並ぶキレイな所」というようなものでしょう(たぶん)。
しかし、伝統的な集落の景観や暮らしが、今も少なからず残っていることなどは、案外知られていないのではないでしょうか(知っていた?)。
車で通過するだけでは、何も見えていなかったんだなあ、と思い知らされたんです。
やっぱり歩かないと見えてこないんですね。いろんなことが。

那覇側から行くと、恩納バイパスにいたる交差点そばに残る「南恩納橋」。
まだ新しい感じですが、銘板には「1955」と刻まれていました。
昭和30年ということは、小生と同じ年齢の橋。で、このまま見捨てられようとしているのか・・・。
ひと事とは思えないわ(橋だけど)。

大勢の人が集まった瀬良垣の豊年祭。
立派(豪華)な公民館の玄関をステージにして、若手の区民が熱演を繰り広げます。観客も一体となり、地域総ぐるみで進む舞台を見ていると、強い絆でつながる地域の姿が感じられ、寄留民の身からすると羨ましいところ。
歌も台詞もウチナー口ですので、こちらはさっぱりダメですが、満月を背に野外で演じられる踊りや芝居に、地域がもつ“底力”をあらためて感じました。
しかし、いくつもの演目が終了してそろそろお開きかと思ったら、組踊「久志の若按司」の開始となってビックリ。
そして、上演時間が「2時間」とキッパリ言われて、またビックリ。この時間から2時間!
そ、それでは・・・と失礼を承知で会場を中座し、恩納村を後にしたのでした。
(三嶋)
「辺野古ある記」顛末記
2014年9月7日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
沖縄ある記の自主講座として、辺野古の集落内を実施しました。
が、当日は台風の影響で天気が変わりやすく、時おり強い雨が降るので途中で断念。あきらめて海岸に行けば、右寄りの人たちがテント村に詰めかけて日の丸を振り、一触即発といった状態。
辺野古の反対運動をそこで聞く予定でしたが、それどこじゃないので断念(どうしてくれるんだ!)。消化不良のまま名護博物館に移動して解散しました。ふ〜。多少の資料も作って準備していただけに、モヤモヤ感が残りましたが、これで終わりではないぞ、と誰に向けていいかはっきりしないままリベンジを誓った次第。
そのうちに「辺野古ある記」続編をやりたいと思いますので、その際にはみなさまの参加をお待ちしています。
と、こちらも、それまでには、もう少し現場を知らないといけないなと感じました。
政治の話、基地の話だけで語られる辺野古ですが、集落の歴史や暮らしに関する情報が、そこに欠けているように思うのは自分だけでしょうか。書物やネット情報だけでは分からない、地域の空気や住民の暮らしに視線を向け、そこにあった記憶やエピソードの断片を集め、みんなで共有する事が、何より大事なのではないかと考えるのです(えらそうに言ってごめんなさい)。

辺野古集落西側の通り。坂を登った右側に、「アップル・タウン」と名付けられた歓楽街(の跡)が広がっています。

辺野古公民館北側の森にある、ニーヌウタキ(子ノ御嶽)。
辺野古の人々は当初、辺野古川の南側の丘陵地(前上原)に住みついたとされ、そこから子(北)の方角にあるこの地に移転したそうです。現在の集落はここからさらに東側に広がっていて、クシヌウタキ(後御嶽)が作られました。

突然の大雨に追われ、神アサギに避難。ガイドを買って出た玉城一男さんの話を、地図を見ながら聞く。
(三嶋)
今帰仁のチニブ(竹垣)が美しい
2014年9月4日 Category: 沖縄ある記 Comment : 1
われわれ沖縄ある記は、今年も南城市商工会のプロジェクトに参加しています。その中のミッションのひとつが、旧佐敷町小谷(おこく)ですすめている、バーキ(竹かご)作りを生かし地域活性化です。
小谷はかつて“竹の里”として知られ、どの家庭でも竹製品を作り、那覇や糸満などで売っていたそうです。
しかし、竹が省みられなくなって久しい今、竹をもとに地域の活性化を図ることは、(予想通り)たやすいものではなく、何とかきっかけをつかみたいとアレコレ試行錯誤している状態。
そんなおり、今帰仁村今泊の集落で、伝統的なチニブ(竹垣)を復活させたと知ったので、見に行ってきました。
案内していただいた(お忙しい中ありがとうございました)、NPO法人「今帰仁グスクを学ぶ会」の山内さんによると、地域の人たちと一緒に何ヶ月もかけて作ったそうですが、フクギ並木とマッチした見事な竹垣を見ると、その苦労もうなずけました。

沖縄では、戦後も各地の集落で見られたチニブですが、今やそのほとんどは“絶滅”したようです。
今泊では、体験者の聞き取りや編み方などをみんなで研究し、工夫を重ねながら完成させたとか。屋敷内が見えることの是非や、風通しなどの問題も考慮した結果、現場では二種類のチニブを取り付けてみたそうです。

今泊は、フクギ並木が残る伝統的な集落として知られた所。小道の両側に、約40メートルに渡って取り付けられたチニブがいっそう趣を増していて、たいへん美しいと感心しました。
(三嶋)
工房巡礼記01「SPEC PROJECT」
2014年8月30日 Category: コレな〜に Comment : 0
那覇市首里山川町にある、SPEC PROJECTショールームで、オリジナル・スピーカー「HADO」を試聴してきました。
この動画で、実機のサウンドを体験して頂く事はできませんが、マエストロ小島さんの「HADO」誕生秘話をお楽しみ下さい( ^ω^ )/
そして、是非、お気に入りのCD持参でショールームの扉を開いて下さい。
普段、聴き慣れた音楽の、真の音色を発見して頂ければ幸いです(^ ^)
![]()
名護博物館の企画展
2014年8月29日 Category: Myある記 Comment : 0
名護博物館で、自主企画展「生物の移動展」が始まっています(8月15日〜9月28日)。

同博物館では、やんばる全域を視野に入れたさまざまな活動や展示会を、積極的に展開しています。当初から、市民参画の開かれた博物館を目指すという方向性が明確に打ち出され、 “ブリディ(みんなの手)”という一語に込められたその精神は、開館30年になる今も受け継がれているといえるでしょう。
今回の展示会でも、名護博物館友の会が、学芸員の依頼に応えてさまざまなサポートをしていると聞きました。

古くて狭い展示会場ですが、さまざまな努力の跡が見て取れます。
角に見える鳥のはく製が乗っている義岩は、友の会の人たちが手づくりとか。博物館学芸員と友の会との連携は、博物館活動を維持する上で欠かせません。それは、これからの博物館や行政に求められる体制だろうと思いますが、同館ではすでに30年前から実践していることに改めて驚かされます。

展示会の受付は名護博物館友の会がボランティアで引き受けています。
写真は名護博物館友の会会長の玉城一男さんと、会員の親川明美さん。
名護博物館の、玄関から中庭に抜けるアプローチの心地よさは、来館したことがある方がみな一様に語るところですが、誰もが自由に出入りできる融通無碍な雰囲気と、そこで交わされる地元の人たちの楽しげなユンタクが、この博物館の宝の一つではないかと感じます。
管理や規制が行き過ぎて、ただでさえ高い敷居をますます高くしていたり、入館者数を気にするあまり出来合いのウケル展示会を呼んだり、広告に過剰な力を入れる事例が増えているように感じることが多い昨今、地元に密着した名護博物館の姿勢に、博物館活動の原点をみるような気がしたのでした。
(三嶋)
