おきかる(ボリビア移民展)ビデオの完成
2014年9月18日 Category: コレな〜に Comment : 0
沖縄ある記が取り組む、「おきかる」ビデオシリーズの、ボリビア移民編がようやく公開の運びとなりました。
モノ資料がないコンテンツをいかに作るかが、今回の隠れた課題でしたが、今のところ解決策を見出せたとはいえないところ。
ビジュアルや話術、キャラクターなどを問題にし始めるとキリがありませんし、手間も時間もかかるとなると、お手軽な映像コンテンツを、みんなで制作するというコンセプトも成立しなくなる気がします。そこが悩みどころですが、楽しみながら乗り越えたいもの。ワイワイ言いながらね。
映像製作を楽しみたい人は、いませんか?
どなたでも結構ですので、その気になった方は、ご連絡ください。
(三嶋)
鹿児島あれこれ
2014年9月14日 Category: Myある記 Comment : 0
鹿児島に行ってきました。
学生時代に船で沖縄と往来していた時は、西鹿児島駅と鹿児島港を使っていましたが、市街地はほとんど知らなかったのでいろいろ新鮮でした。

写真は鹿児島県立博物館の体験室。通りの角で偶然見つけ、ふらっと入った自然史博物館ですが、充実した資料と、何より入館料無料にビックリ。博物館は本来タダが基本ですが、現実はどの館も当たり前のように入館料を徴収してますよねえ。図書館はタダなのに・・・。原点を貫く鹿児島県立博物館の姿勢に共感しました。

鹿児島市内のオシャレな路面電車。欧米の町角のようではないですか。人の目の高さで、ゆったりと走るこれこそ、沖縄が目指す鉄軌道ではないでしょうか。

島津氏の別邸だった仙巌園(せんがんえん)に行き、確か修学旅行で来たなあと思い出しながら歩いていると、猫を祀る神社を発見。
“カワイイ”ブームに乗った新手の神社かと思いきや、「文禄・慶長の役」で朝鮮に出兵した際、時刻を測るために連れて行った猫たちを祀る神社とか。軽く見てすまんすまん。
猫の目を時計変わりに見る方法が書いてあったのでパチリ。猫好きの人は試してみては(もう知ってるか?)
(三嶋)
南恩納の取り残された橋
2014年9月8日 Category: Myある記 Comment : 0
大学院大学(OIST)の開学や、観光業の隆盛で活気づく、恩納村へ豊年祭を見に行きました。
おおかたの沖縄県民にとって、恩納村のイメージは、「沖縄本島の真ん中あたりの西海岸にあり、ホテルが並ぶキレイな所」というようなものでしょう(たぶん)。
しかし、伝統的な集落の景観や暮らしが、今も少なからず残っていることなどは、案外知られていないのではないでしょうか(知っていた?)。
車で通過するだけでは、何も見えていなかったんだなあ、と思い知らされたんです。
やっぱり歩かないと見えてこないんですね。いろんなことが。

那覇側から行くと、恩納バイパスにいたる交差点そばに残る「南恩納橋」。
まだ新しい感じですが、銘板には「1955」と刻まれていました。
昭和30年ということは、小生と同じ年齢の橋。で、このまま見捨てられようとしているのか・・・。
ひと事とは思えないわ(橋だけど)。

大勢の人が集まった瀬良垣の豊年祭。
立派(豪華)な公民館の玄関をステージにして、若手の区民が熱演を繰り広げます。観客も一体となり、地域総ぐるみで進む舞台を見ていると、強い絆でつながる地域の姿が感じられ、寄留民の身からすると羨ましいところ。
歌も台詞もウチナー口ですので、こちらはさっぱりダメですが、満月を背に野外で演じられる踊りや芝居に、地域がもつ“底力”をあらためて感じました。
しかし、いくつもの演目が終了してそろそろお開きかと思ったら、組踊「久志の若按司」の開始となってビックリ。
そして、上演時間が「2時間」とキッパリ言われて、またビックリ。この時間から2時間!
そ、それでは・・・と失礼を承知で会場を中座し、恩納村を後にしたのでした。
(三嶋)
「辺野古ある記」顛末記
2014年9月7日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
沖縄ある記の自主講座として、辺野古の集落内を実施しました。
が、当日は台風の影響で天気が変わりやすく、時おり強い雨が降るので途中で断念。あきらめて海岸に行けば、右寄りの人たちがテント村に詰めかけて日の丸を振り、一触即発といった状態。
辺野古の反対運動をそこで聞く予定でしたが、それどこじゃないので断念(どうしてくれるんだ!)。消化不良のまま名護博物館に移動して解散しました。ふ〜。多少の資料も作って準備していただけに、モヤモヤ感が残りましたが、これで終わりではないぞ、と誰に向けていいかはっきりしないままリベンジを誓った次第。
そのうちに「辺野古ある記」続編をやりたいと思いますので、その際にはみなさまの参加をお待ちしています。
と、こちらも、それまでには、もう少し現場を知らないといけないなと感じました。
政治の話、基地の話だけで語られる辺野古ですが、集落の歴史や暮らしに関する情報が、そこに欠けているように思うのは自分だけでしょうか。書物やネット情報だけでは分からない、地域の空気や住民の暮らしに視線を向け、そこにあった記憶やエピソードの断片を集め、みんなで共有する事が、何より大事なのではないかと考えるのです(えらそうに言ってごめんなさい)。

辺野古集落西側の通り。坂を登った右側に、「アップル・タウン」と名付けられた歓楽街(の跡)が広がっています。

辺野古公民館北側の森にある、ニーヌウタキ(子ノ御嶽)。
辺野古の人々は当初、辺野古川の南側の丘陵地(前上原)に住みついたとされ、そこから子(北)の方角にあるこの地に移転したそうです。現在の集落はここからさらに東側に広がっていて、クシヌウタキ(後御嶽)が作られました。

突然の大雨に追われ、神アサギに避難。ガイドを買って出た玉城一男さんの話を、地図を見ながら聞く。
(三嶋)
今帰仁のチニブ(竹垣)が美しい
2014年9月4日 Category: 沖縄ある記 Comment : 1
われわれ沖縄ある記は、今年も南城市商工会のプロジェクトに参加しています。その中のミッションのひとつが、旧佐敷町小谷(おこく)ですすめている、バーキ(竹かご)作りを生かし地域活性化です。
小谷はかつて“竹の里”として知られ、どの家庭でも竹製品を作り、那覇や糸満などで売っていたそうです。
しかし、竹が省みられなくなって久しい今、竹をもとに地域の活性化を図ることは、(予想通り)たやすいものではなく、何とかきっかけをつかみたいとアレコレ試行錯誤している状態。
そんなおり、今帰仁村今泊の集落で、伝統的なチニブ(竹垣)を復活させたと知ったので、見に行ってきました。
案内していただいた(お忙しい中ありがとうございました)、NPO法人「今帰仁グスクを学ぶ会」の山内さんによると、地域の人たちと一緒に何ヶ月もかけて作ったそうですが、フクギ並木とマッチした見事な竹垣を見ると、その苦労もうなずけました。

沖縄では、戦後も各地の集落で見られたチニブですが、今やそのほとんどは“絶滅”したようです。
今泊では、体験者の聞き取りや編み方などをみんなで研究し、工夫を重ねながら完成させたとか。屋敷内が見えることの是非や、風通しなどの問題も考慮した結果、現場では二種類のチニブを取り付けてみたそうです。

今泊は、フクギ並木が残る伝統的な集落として知られた所。小道の両側に、約40メートルに渡って取り付けられたチニブがいっそう趣を増していて、たいへん美しいと感心しました。
(三嶋)
