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吉浜加那翁の胸像

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 うるま市勝連の平安名と内間の境、JA前の馬場跡に、吉浜加那という人物の胸像があります。
 平安名出身(明治16年生まれ)の吉浜氏は、1908(明治41)年6月18日、ブラジルのサントス港に入港した笠戸丸に乗っていた日本初のブラジル移民の中の一人です(781人のうち沖縄出身は325人)。
 翌年には、沖縄人として初めてアルゼンチンに入国し、20年近く現地で働きました。その間に氏は故郷・平安名から多くの人々を呼寄せ、同村の発展に尽くしたということです。
 この胸像は、アルゼンチンから20年後に帰村したあとも、村民の尊敬を集めた吉浜氏を讃えて設置されたもので、
1972(昭和47)年1月9日、盛大な序幕式が挙行されました。

 ボクはこの胸像をネットで知ったのですが、現地に行くと、何やらゴツゴツしたタッチに見覚えが・・・帰ってから調べると、やはり、学生時代の恩師・玉那覇正吉先生の作に間違いありません。タバコとニット帽を手放さなかった先生の姿を、久しぶりに思い出したのでした。
 それにしてもブロンズの像は古びて、あんまり手入れされていない感じです。

 胸像が立つ敷地の門の上には、ペンギン? しかもクチバシが折れてるし。片っぽうは破壊されてるし。アルゼンチンにゆかりということで、シーサーの変わりに置いたのか? 真相はナゾです。

 胸像のバックにある存在感タップリの建物。花ブロックも面白いし、垂直に屋上までのびる不定形の壁の意匠が、那覇市にあった少年会館(取り壊された)を思い出させます。

このところ、勝連方面にハマっているので、また、何かあればレポートしたいと思います。
(三嶋)

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戦後沖縄の原点を歩く〜石川ある記報告〜

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 先週の日曜日(5月25日)、『しまたてぃ』取材をかねた、石川の「ある記」を行いました。
 前半は小雨がパラつく天気でしたが、途中から雨も上がって何とか無事に終了することができました。案内していただいた石川部落会会長の松田盛市さんや、石川堂の富間博さん、うるま市教育委員会の宮里実雄さんに感謝です。
 お忙しいなか同行いただきありがとうございました。

 さて、当日はどうだったかですが、戦後史のアレやコレがぎっしり詰まった石川は、「オモシロ不思議な街」という印象でした。戦後の痕跡や昭和の名残りに加え、「戦後初」があちこちにあるので、懐かしいだけじゃない、生きた教材に出会える町といえるでしょう。知れば知るほど知りたくなりました。
 でも、案内や解説板などが少ないのが残念。
 今回名護から参加された玉城一男さんや宮城一夫さんが、仲間と一緒に名護の町中に取り付けたような、写真入りの案内板が石川にもあったらイイんじゃないでしょうか。そこに、ガイドの解説がついたら、もっと町歩きが楽しめますよね。

 集合した石川部落事務所からして、すでに築80年の文化財。

 松田さんの体験話も面白く聞く事ができました(ギャラリーからの質問やツッコミが多くて、やり難かったと思いますがお許しを)。

 規則的に並んだスージ道が石川の特徴。表通りから一歩なかに入ると、懐かしい風景があちこちに残っています。

 戦後初の新聞(ウルマ新報)が刷られた跡地。某銀行の駐車場になっていますが、何の表示もありません。これって結構悲しいですね(涙)。地域の誇りではないですか? 「R新報」さんも、先輩方に敬意を払う何かを残してもいいのでは? などと、みんなでつぶやいたのです(アナログで)。

まだまだ、書き足りませんが、詳しくは『しまたてぃ』65号に掲載予定(たぶん)ですので、ご覧ください。
(三嶋)

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屋慶名の街

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 伊計島で行われているアートプロジェクトに出かけてきました。屋慶名でもやっているということで、屋慶名大通り沿いにある、屋慶名琉映跡のアトリエ兼展示会場にも足を運びました。
 若い人たちの作品+率直な話しぶりに好感を持ったのですが、その作品に負けず劣らず面白かったのは、古い建物そのものであり、大通り沿いのたたずまい。
 エイサーを見に行ったことはあったものの、屋慶名はあまり馴染みのない土地でしたが、ウロウロしてみると、あれこれ気掛かりなものがやたら目に付き、今度ゆっくり歩きたいと思いました。
 写真は上から屋慶名琉映跡(その後は農協)、「区役所」だった名残が残る公民館、シャコガイが頭のシーサー、段差がありすぎる橋。面白いよね〜。
(三嶋)

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兼箇段に寄せる思い

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 名護市史編さん係のK氏の案内で、名護博物館友の会のメンバーと、うるま市の兼箇段(かねかだん)を歩きました。
 ここはK氏の地元ということで、興味深い場所やエピソードがテンコ盛り。
 いやあ、これだから、どんな地域も侮れない。そして、お会いする方みなさんが、地元に強い愛着と誇りを持っていることに、驚くと同時にうらやましくも思いました。小さな集落だからこそ、先祖に対する思いや地域の絆は、いっそう強まるのでしょう。
 また、集落の周りが、「抱護(ほうご=ホーグ)」と呼ばれる樹林で囲まれているという話は、嘉手納町屋良でも聞いていたので、ムラの概念や成り立ちを考える上で重要だと感じました。
 写真はK氏手づくりの集落マップ。ムラに寄せる愛情が充ち満ちています。
(三嶋)

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ベニヤ通り

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 「ベニヤ通り」という名前にひかれて、所用の帰りにうるま市まで行って来ました。安慶名交差点から少し南にあるスージグヮーです。
 が、あたりは何と再開発工事の真っ最中。立ち並ぶ古い家並みの途中まで、更地化されつつあります(行くなら今のうちですよ)。
 戦後がしのばれる通りに、赤瓦やトタン屋根の人家が残る風情は、わびしくも懐かしい雰囲気がいっぱいです。
 写真の建物は安慶名交差点そばの廃虚。映画館だったように見えますが・・・。(三嶋)

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