沖縄の放送史
2013年4月3日 Category: Myある記 Comment : 0
「新都心かわら板」にNHK沖縄放送局の事を書くため、豊見城市高安に行ってきました。ここから、現在地(おもろまち)には、2006(平成18)年に移転したとHPにあります。
NHK沖縄放送局の前身は、戦時中、首里市山川町に造られたのですが、沖縄戦で廃局となったため、戦後沖縄の放送は、米軍と民間放送が牽引したようです。
沖縄人による戦後の放送は、1950(昭和25)年、川平朝申氏らが立ち上げた琉球放送局(AKAR)が、米国民政府民の監視のもとで、旧具志川村栄野比から流した「琉球の声」でした。
その後、いろいろあって1958(昭和33)年10月、琉球放送(RBC)が民間局として誕生し初放送。翌年には沖縄テレビがテレビ放送を開始。
また、1960(昭和35)年には琉球放送がテレビ、ラジオ沖縄(ROK)がラジオ放送を開始しています。
当時、NHKの番組は本土で録画したあと沖縄に空輸され、民間2局がスポンサー付で放映していました。朝ドラや紅白歌合戦にもコマーシャルが入っていたようですね。
戦後沖縄の放送に関しては、宮城悦二郎著『沖縄・戦後放送史』や、川平朝申『終戦後の沖縄文化行政史』などの資料がありますが、沖縄ならではの戦後史のひとつだけに、聞き取りや記録を急ぐ必要があると思います。
(三嶋)
サー(大宜味村塩屋区)を歩く
2013年4月1日 Category: Myある記 Comment : 0
名護博物館友の会主催、「サー(大宜味村塩屋区)を歩く」に参加しました。
朝から豪雨だったため、どうなるかとヤキモキしましたが、塩屋公民館に着くころには雨も上がり、その後の散策も調度いいぐらいの湿り具合で、無事に終了しました。
公民館では、ウンガミ(海神祭)のビデオを見ながら、地元の米須さんの話を聞き、その後やんばる特製「ブナガヤ弁当」を食べたり、塩屋公民館で収集している写真を見たりして楽しくユウンタク。
午後から屋古・田港・塩屋と散策しましたが、事前のレクチャーと米須さんのガイドがあったので、地域のつながりやウンガミについて、多少は理解できたような気がします。
雨に洗われた森の緑を眺め、せせらぎの音を聞きながら、心地いいムラ歩きが楽しめました。
塩屋区のみなさま、ありがとうございました。
(三嶋)
東村の写真展が終了
2013年3月30日 Category: Myある記 Comment : 0
東村の山と水の生活博物館で行われていた写真展が、31日(日曜日)で終了です。
今回は、キャプションを追加・修正したぐらいしか手伝えませんでしたので、残念な気がしますが、宜野湾からはやはり遠いです(涙)。
やんばるの体験者などから、あれこれ写真を見ながら話を聞きたかったのですが・・・
しかし、メモしてもらった情報などもありますので、データベースに追加したいと思います。関係者のみなさまご苦労さまでした。
(三嶋)
甲辰橋と甲辰小学校
2013年3月27日 Category: Myある記 Comment : 1
甲辰橋は、モノレール県庁前駅の西にある小さな橋で、1959(昭和34)年11月に完成しました。
54年前の橋が、沖縄の中心地に今も現役で存在していることに驚きますが、欄干はさすがにあちこち傷んで、痛々しい感じ。
橋を渡って「パレットくもじ」に向かうと、地下駐車場の入口右に「甲辰尋常小学校・甲辰国民学校跡」という石碑が、ひっそりと建っています。
甲辰小学校は、1904(明治37)年の甲辰(こうしん・きのえたつ)年に設置され(開校は翌年)た学校で、校名は日露戦争開始を記念して名付けられました。
国民の熱狂的な支持を受けた日露戦争は、沖縄では立派な日本人になるための「踏み絵」のような役割を果たしました。出兵者の約1割が死傷したものの、この戦争を契機に県内の就学率が上昇し(昭和2年に99%に達した)たことからも、皇民化教育が「成果」を挙げたことがうかがい知れます。
県外からの転勤族の子弟も多い甲辰小学校は、県内有数のエリート校でしたが、昭和19年8月には疎開船「対馬丸」に乗船した学童100人余が犠牲となり、那覇市の9割が焼失した同年10月の「十・十空襲」で完全に校舎を失ったまま、現在まで再建されることはありませんでした。
戦争の時代につくられ、戦争とともに消えていった学校の名は、社会や政治の要請によって教育や学校が、容易に変質してしまう事を今に伝える意味でも、忘れてはいけないでしょう。
甲辰小学校は二重の意味で「悲劇の小学校」ではないでしょうか。
(三嶋)
大城勝君の作品調査
2013年3月24日 Category: Myある記 Comment : 0
昨年亡くなった大城勝君の遺作展を、1周忌にあたる11月に開催しよう、と仲間で考えています。
そのため、作品が置いてある大宜味の実家までみんなで行って、調査しました。
天地・左右が分からない作品が多く、結構みんなで悩みました(笑)が、作品の質はどれも高いと感じました。
(三嶋)