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特定非営利活動法人
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キャンプ端慶覧とデイゴ通り

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 普天間デイゴ通り(県道81号線)から、キャンプ端慶覧内の外人住宅街をスーミしてきました。2001年に撮影した当時と違い、返還に向けて、今はゴーストタウンになっているようです。
 基地内には戦前まで、新城、安仁屋、喜友名といったムラがありましたが、戦後米軍に接収されたため、住民は金網の外から、変わり果てた集落跡を眺めたといいます。
 ところで、このデイゴ通りには現在デイゴはほとんどありませんが、かつては400本もの並木が続いていました(ボクは見てないけど)。
 それは、普天間から焼失した松並木の再生を願い、ジロー・ベーカリーの店主・照屋さんがみんなに呼びかけて植樹したもので、松のかわりに県花の候補だったデイゴが使われたと「沖縄タイムス」1965.5.14にあります。
 デイゴの花が咲き乱れると、夏の到来を実感したものですが、害虫の被害が深刻なためか、最近はあまり見かけなくなりましたね。
(三嶋)

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ウガン森の住人

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 名護市許田のインターから、国道58号に降りてくるカーブの左側には、名護湾に突き出た森があります。
 地元でウガンムイ(御願森)と呼ばれるこの森に、自分たちで家を建て、自給自足に近い形で住んでいる夫妻の話が新聞に出ていました(沖縄タイムス1960.07.24)。
 人が住めるような所には見えないと思いつつも、以前から気になっていたので、浜降り(大潮)の翌日、現場に行ってみました。 
 で、海側から森を見上げながらグルッと一周したのですが、文字通り「取り付く島もない」状態。
 どうすれば、あんな所で暮らせたのか・・・まあ50年以上前の話だし・・・今度は地元の方に聞きに来ようかと思いつつ、不完全燃焼のまま引き揚げました。
 社会が豊かになりはじめた当時、世間の人たちとは逆にスローライフを志向した人がいたことに、ボクは軽い衝撃を受けたのですが・・・どなたか情報をお持ちの方はいないでしょうかね。
 森の頂きに近い場所に御嶽があったので、撮影させてもらいました。
(三嶋)

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沖縄の放送史

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 「新都心かわら板」にNHK沖縄放送局の事を書くため、豊見城市高安に行ってきました。ここから、現在地(おもろまち)には、2006(平成18)年に移転したとHPにあります。
 NHK沖縄放送局の前身は、戦時中、首里市山川町に造られたのですが、沖縄戦で廃局となったため、戦後沖縄の放送は、米軍と民間放送が牽引したようです。
 沖縄人による戦後の放送は、1950(昭和25)年、川平朝申氏らが立ち上げた琉球放送局(AKAR)が、米国民政府民の監視のもとで、旧具志川村栄野比から流した「琉球の声」でした。
 その後、いろいろあって1958(昭和33)年10月、琉球放送(RBC)が民間局として誕生し初放送。翌年には沖縄テレビがテレビ放送を開始。
 また、1960(昭和35)年には琉球放送がテレビ、ラジオ沖縄(ROK)がラジオ放送を開始しています。
 当時、NHKの番組は本土で録画したあと沖縄に空輸され、民間2局がスポンサー付で放映していました。朝ドラや紅白歌合戦にもコマーシャルが入っていたようですね。
 戦後沖縄の放送に関しては、宮城悦二郎著『沖縄・戦後放送史』や、川平朝申『終戦後の沖縄文化行政史』などの資料がありますが、沖縄ならではの戦後史のひとつだけに、聞き取りや記録を急ぐ必要があると思います。
(三嶋)

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サー(大宜味村塩屋区)を歩く

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 名護博物館友の会主催、「サー(大宜味村塩屋区)を歩く」に参加しました。
 朝から豪雨だったため、どうなるかとヤキモキしましたが、塩屋公民館に着くころには雨も上がり、その後の散策も調度いいぐらいの湿り具合で、無事に終了しました。
 公民館では、ウンガミ(海神祭)のビデオを見ながら、地元の米須さんの話を聞き、その後やんばる特製「ブナガヤ弁当」を食べたり、塩屋公民館で収集している写真を見たりして楽しくユウンタク。
 午後から屋古・田港・塩屋と散策しましたが、事前のレクチャーと米須さんのガイドがあったので、地域のつながりやウンガミについて、多少は理解できたような気がします。
 雨に洗われた森の緑を眺め、せせらぎの音を聞きながら、心地いいムラ歩きが楽しめました。
 塩屋区のみなさま、ありがとうございました。
(三嶋)

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東村の写真展が終了

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 東村の山と水の生活博物館で行われていた写真展が、31日(日曜日)で終了です。
 今回は、キャプションを追加・修正したぐらいしか手伝えませんでしたので、残念な気がしますが、宜野湾からはやはり遠いです(涙)。
 やんばるの体験者などから、あれこれ写真を見ながら話を聞きたかったのですが・・・
 しかし、メモしてもらった情報などもありますので、データベースに追加したいと思います。関係者のみなさまご苦労さまでした。
(三嶋)

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