キャンプ端慶覧とデイゴ通り
2013年4月15日 Category: Myある記 Comment : 0
普天間デイゴ通り(県道81号線)から、キャンプ端慶覧内の外人住宅街をスーミしてきました。2001年に撮影した当時と違い、返還に向けて、今はゴーストタウンになっているようです。
基地内には戦前まで、新城、安仁屋、喜友名といったムラがありましたが、戦後米軍に接収されたため、住民は金網の外から、変わり果てた集落跡を眺めたといいます。
ところで、このデイゴ通りには現在デイゴはほとんどありませんが、かつては400本もの並木が続いていました(ボクは見てないけど)。
それは、普天間から焼失した松並木の再生を願い、ジロー・ベーカリーの店主・照屋さんがみんなに呼びかけて植樹したもので、松のかわりに県花の候補だったデイゴが使われたと「沖縄タイムス」1965.5.14にあります。
デイゴの花が咲き乱れると、夏の到来を実感したものですが、害虫の被害が深刻なためか、最近はあまり見かけなくなりましたね。
(三嶋)