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スムージーとフリオさんとユンタク会

 Category: ユンタク会, Myある記  Comment : 0


この日は昼から知念、佐敷、西原と走って、夜7時からユンタク会。
知念では木創舎の城間光雄さんたちと昼ご飯を食べ、佐敷では331号沿いでスムージーの店を営む玉城万美さんと軽くおしゃべり。
彼女の店で出している、スムージーって知ってます? 
付近の畑でとれた野菜や果物を使った、ヘルシーなジュース、でいいのかな? 美味しいですよ。
近くを通りかかったら試してみてください。「兼久」バス停近くです。


出来たてのスムージーと玉城さん


こちらも出来たての西原町役場。屋根の上にあるフリオ(ゴヤ)さんの作品を見たくて、車を止めました。
踊っているような赤やブルーの線が、彼らしいですね。ダンス好きだしなあ。
右側の角にある何かが夜には光る、とか何とか新聞にあったような気がする。
よく見ると形がサワフジの花に似ているけど・・・西原町の町木だから、それか? 
今度会ったら、聞いてみよう。

この日のユンタク会には、劇団伊良波の赤嶺啓子さんが登場。
「安里ある記」の報告のあと、玉那覇さん、砂川さん、國吉さんと芝居フリークたちが揃い、赤嶺さんを囲んでディープなウチナー芝居の話で盛り上りました。
これまで馴染みがなく、ウチナー口も分からないこちらは「・・・」。
う〜ん、悔しいなあということで、少しお勉強してみようと決心した次第。
とりあえず見てみよう!ということで、赤嶺さんたちが母の日公演を行う11日、パレット市民劇場まで、みんなで出かけることになりました。初体験だなあ!
(三嶋)

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金武町にある墜落機のエンジンと金武ダム

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墜落した飛行機のエンジンと、完成した金武ダムを見るために、久しぶりに金武町に行ってきました。
飛行機のエンジンとは、海底から引き揚げられた墜落機のもの。以前は役場の裏に置かれていたましたが、現在は別の場所にあります。
もらった資料によると、1998(平成10)年の5月、火力発電所の建設工事中に見つかり、海底から引き揚げられたようです。泥や貝殻が付着しているのはそのためですね。4枚のプロペラのうち2枚は折れ曲がり、錆だらけ。枯れたツタが全体に巻きつき、以前より劣化が進んでいるようです。
戦後の新聞にも、今のところ墜落の記事が見当たらないので、1945(昭和20)年前後に落ちた米軍機なのではないか、と勝手に思っていますが、詳しいことは分かりません(日本軍の特攻機かとも思いましたが、その可能性は低いようです)。



朽ちていくこの鉄の塊を見ていると物悲しくなるのですが、同時に、背後にある物語に興味が湧き、継続して調べたくなってきました。
このところかまびすしい、右寄りの言説や動きに利用されないかと懸念しますが、モノが残ったことは事実。都合の悪いモノであっても、事実を正確に見聞することでしか、歴史の本質には迫れないような気がします(大げさですね)。

飛行機のエンジンを見たあと、4月に完成したばかりの金武ダムに行きました。
工事中は億首ダムと呼ばれていたはずですが、完成を機にもとの名前にもどったようです(もともと小さな金武ダムがあった)。
ダムは国道329号を北上し、県道104号を左折すると俯瞰できますし、金武大橋の手前を左折すると、すぐ近くから仰ぎ見ることができます。


また、この場所からは、ダムの手前の川岸に残る、戦前の橋の残骸も見ることができます。近くにある案内板によると、1931(昭和6)年に架けられ、旧日本軍によって爆破された橋だったようです。


現役のコンクリート橋(これも結構古い)の向こうに、戦前の橋(写真中央左)が見え、さらにその奥に近代的なダムが並ぶ貴重なポイント。
ダム南東部の丘陵地には宿道(王府時代の幹線)があったし、東(下流)に走る金武大橋も含めると、ここは、さまざまな時代の道路と橋が密集した珍しい場所です。沖縄の土木建築の流れを学ぶにも、絶好の地ではないでしょうか。


解説板にあるモノクロの写真。美しいアーチ橋だったことが分かりますが、橋の名前は?
(三嶋)

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山の息吹

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名護市底仁屋の“蔓草庵”に行き、島袋正敏さんとユンタクしてきました。
やんばるの地はいつ来てもホッとしますが、新緑が輝くこの季節が、やはり一番イイように思います。底仁屋から大湿帯、源河にかけて広がる森林や、源河川の清流にしばし癒されました。


沿道に咲くイルカンダの花。モコモコとした赤紫色の不思議な姿で、海岸の岩にへばりつくカメノテを連想しました。ネットで調べると「イル」は「色」で、「カンダ」は「カヅラ」(カンダバー=イモの葉と同じですね)とか。ウチナー口が和名になったんですね。へぇー。


大湿帯に植えられているウメの実。沖縄でウメはあまり見かけませんが、調べると温暖な気候の樹木のようで、沖縄でも栽培を増やそうという方もいました。柔らかな黄緑色の実が美味しそうで、手を出しそうになりますが、獲(盗)ったらいけません。


リュウキュウアイ(たぶん)の畑。「藍染め」という言葉は聞きますが、本物のアイを目にする機会はそう多くないですね。
(三嶋)

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名護博物館が開館30周年を迎えました

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名護博物館は1984(昭和59)年、それまで名護市庁舎だった建物を利用し、リニューアルして開館しました。
 博物館の理念は、「ぶりでぃ(群手=みんなの手)」という言葉で表しているように、市民参加を基本としたものであり、地域の自然と暮らしに密着した活動を重視したものでした。
 それは、地方であることを逆手にとり、地域の固有性をもって中央に対峙するといった、1973(昭和48)年の「名護市総合計画・基本構想」、いわゆる「逆格差論」の流れに沿ったものだったと理解されます。市立博物館でありながら、「市立」の文字が入っていないのも、市民を中心に据えるというこだわり故でしょう。
 みんなで備品を作ったり、ペンキを塗ったりすることから形作られた博物館は、学校帰りの小学生や市民が気軽に立ち寄り、宿題をしたり打ち合わせやおしゃべりを楽しむ場所として今も親しまれていますが、その光景を見るにつけ、これこそ故・伊藤寿朗氏がとなえた、市民参加型を基本とする「第三世代の博物館」なのではないかとさえ思うのです。


記念式典。今にいたる博物館の骨格を形作った初代館長・島袋正敏さんも、功労者の一人として表彰されました。


これまでの歩みをふり返る展示会。

 手づくり感がいっぱいの名護博物館ですが、建物の老朽化と狭隘なスペースの解消策として、新館建設も急がれるところ。
 その際には、建物は新しくなっても、市民や関係者と築き上げてきた歴史やネットワークを基本に、地域に開かれたアクティブな博物館であり続けて欲しいものです。
(三嶋)

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伊平屋で山学校

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 名護博物館や友の会と、今年度進めている「やんばる山学校」プロジェクトで、伊平屋島に行ってきました。
 伊平屋行きの船は、この季節、結構ゆれるので気持ちはブルーでしたが、下船後に昼食をとると元気回復。目的地の我喜屋公民館を拠点に、写真展やワークショップの実施となりました。


我喜屋に残る現役のコンクリート製水路。やんばる各地で造られたようですが、1960年代にほとんどが使われなくなっているだけに、たいへん貴重だと思います。この日もきれいな水が流れていました。


田植えの準備が進む、水田近くの高台にある土帝君(トゥーテークー)。人形が残っている所は、たいへん珍しいのではないでしょうか。

 伊平屋小学校の3,4年生合同のワークショップ。名護博物館友の会の玉城一男会長と、我喜屋区長が集落の拝所や家屋、行事などを解説しました。
 平たいサンゴを積み上げた屋敷囲いと、赤瓦・セメント瓦屋根の民家が続く我喜屋の風景に、来訪者は誰しも驚嘆・感動の声を上げますが、地域の子供たちにもその素晴らしさや先人の歩みを伝えたいもの。地域や家族に誇りを持つことが、豊かさを身近に感じる出発点ではないでしょうか。
(三嶋)

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