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特定非営利活動法人
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アワセ・ゴルフ場跡

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アワセ・ゴルフ場跡に出来た、噂の巨大ショッピングモールに遅まきながら出かけ、評判通りのスケールに驚かされながら、結構楽しんできました。

しかし、この地が戦後すぐに造られた米軍のゴルフ場だったことや、「ライカム」が、Ryukyu Command(琉球軍司令部)に由来することも、いずれ忘れられるんでしょうか。
金太郎飴的なビジネス展開で、全国を席巻するショッピングモールでは、地域性は考慮されませから、自分たちの歩いてきたワダチ(轍)は、自分たちで残さなければ消えてしまうでしょう。
そのことを憂慮します。
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昭和30年頃、キャディーを務める少年。(写真提供:琉米歴史研究会)

戦前は北中城村比嘉の集落があった場所に、泡瀬ゴルフ場(アワセ・メドウ)が造られたのは1948(昭和23)年。約12万坪のコースは米人専用でしたが、その後は会員になれば日本人でも利用できるようになったようです。

写真のように、キャディーやボール拾いのアルバイトをする中学生は、一時100人もいたようで、学校でも問題になったと当時の新聞(沖繩タイムス1953.08.17)にあります。

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道を隔てたフェンスの中は、別世界が広がっていました。1996(平成8)年5月

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建設工事が始まった頃。2013(平成25)年6月

土地の記憶は、失われたあとに概して気づくもの。
自分たちの土地で、いつ、何があったのか。記憶を記録することが未来を創ると信じます。
<三嶋>

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古い船(日本)を動かせるのは、若い水夫ですね

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戦争を知らない世襲議員たちが進める、この国の未来は危機的な状態ですね。
拓郎の歌(知ってるかなあ)ではないけれど、未来の舵取りは古い水夫には無理でしょう。国の未来を決める制度設計に、もっと若い人がコミットできる状況をつくることが、潔い老人の態度ではないでしょうか。

てなことを思いながら、この日は、那覇市の与儀公園で行われた、安保法案と辺野古の新基地建設反対集会&デモに出かけました。
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最近の集会では、若い人や子供連れの人たちが増えているように感じます。
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組織に属さない個人や仲間が、手作りの主張をするのもいいですね。

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与儀公園から国際通りをデモ行進。

与儀公園といえば、復帰運動の頃(自分はいなかったけど)の熱気を、思い出した人も多かったのではないでしょうか。
あれから40年以上を経て、いまだ沖縄は日米両政府に振り回される、植民地状態が続いています。
治外法権下の沖縄が憧れ、「本土復帰」の推進力ともなった平和憲法が、今まさに瓦解しようとしています。
<三嶋>

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手登根エイサー

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ウークイの翌日行われる、手登根(南城市佐敷)のエイサーに出かけました。
古式ゆかしいエイサーと聞いていたので、堅苦しいものを想像していたのですが、公民館に集まってきた区の人たちは普段着のままでリラックスムード。ん(?)
開始予定の4時を過ぎ、20数人が集まったころヌール殿内に移動して開はじまり、そのあと6箇所ほどの拝所を回って、1時間半ほどで終了となりました。
実は1年ごとに規模の大小があるとのことで、今年は控えめ目な年だったようです。
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手登根エイサーの所作には気負いがなく、子どもから年よりまで誰でも自由に参加できるので、何となく本土の「盆踊り」を思わせます。
素朴で地味ですが、身近な死者の魂を鎮め、供養することがエイサーの起源だと考えれば、他者に見せる/見られるものではない、本来の姿が残っている、と同行した桜沢有理さんに教わりました。なるほど。目からウロコです。
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その日は、手登根在住の元ジャーナリスト、宮城鷹夫氏にもお会いすることができ、しかもご自身が昨年出版されたばかりの『時代の風音』(ボーダーインク発行)を頂いたのですが(ラッキー!)、その本によれば、手登根では戦前まで、「エイサー」のことを「ヤイサー」とか「ニンブチャー ベーシ(念仏囃子)」と呼んでいたそうです。
また、歌の始まりから念仏を唱え、それを4回もくり返す例は他にあまり例がない、と書かれています。元々は三線を使わず、カネ・太鼓・小太鼓・おどけ役のパーランクーでリズムを取りながら、男女が手踊りをしたそうなので、先祖供養であるエイサーの原型が、やはりここに残っているといえるようです。
<三嶋>

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ESLキャンプ2015見学

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(株)ドット・ソリュージョン/(NPO法人)琉米歴史研究会が実施する、「第8回 小学生・中学生宿泊英語学習プログラム(English Camp Program2015)」を見学しました。
1週間の宿泊プログラムは、前半が南城市の「玉城青年の家」で、後半が国頭村楚洲の「あさひの丘」で行われました。
それにしても、参加した子どもたち(小学5年生〜中学生)が、みんな楽しそうな表情なのが印象的。各国から招聘した先生たちと寝起きを共にした共同生活で、世代や地域を越えた交流もできたほか、英語に親しみ、楽しく学べたのが何よりの収穫だったようです。

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楚洲の「あさひの丘」から見た素晴らしい眺望。

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あちこちの国から来沖した専門の先生が、子どもたちと共に1週間を過ごすプログラム。

学校で受ける授業とは、明らかに違う子どもたちの表情が印象的で、「楽しく学ぶ」ことがウソではないことが分かります。この点だけを比較しても、日本の学校教育のイビツさや異常さが浮き彫りになるようです。
実見すると、「子供に戻って参加したい」と思う大人も多いはずですよ(ボクもだけど)。
<三嶋>

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南城市でキバナノヒメユリが咲いています。

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絶滅危惧種に指定されているキバナノヒメユリが今、見ごろをむかえています。
名前の通り小さな黄色い花は、日本産ユリの中で一番小さいそうですが、雑草に埋もれながらも、ひっそりと咲く可憐な姿は、まるでボクらを象徴しているようではないですか(ほんとか)

オヤジ連中と可愛い花の取り合わせは、ミスマッチのような気もしますが、南城市知念の「木創舎(きづくりや)」では21(金)・22(土)・23(日)の3日間、キバナノヒメユリ展示会を催します。
よかったらスクガー(底川)探索をかねて、足をお運びください。

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キバナノヒメユリは、沖縄島・久米島・渡名喜島に自生しますが、土地開発や採集によって数を減らしています。
南城市知念では、木創舎を営む城間光雄さんを中心に、「キバナノヒメユリを守る会」が結成され、啓蒙や普及活動に取り組んでいます。

今回の展示会では、会員が1年かけて育てたキバナノヒメユリを持ち寄りますので、是非ご覧戴き、よかったら声をかけて励ましてください。

■キバナノヒメユリ展示会
木創舎 8月21日(金)〜23日(日)

沖縄県南城市知念字知念1241-8
連絡先:城間光雄(TEL 090-4471-1190)

(三嶋)

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