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続アメリカ人の沖縄戦

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前回紹介した、デール・マハリッジ著『日本兵を殺した父』の続きです。

この本の後半、著者は沖縄に足を運び、父親とその仲間が戦ったシュガー・ローフや摩文仁などを歩き、沖縄戦を追体験しています。
そして、米軍が「ヒル27」と名付けた那覇市楚辺の丘を歩き、父親を苦しめた戦争後遺症(OTSD)の原因ともなった爆発現場を探し出します。

根気強く真実に肉薄する、その熱意には驚くほかありません。
DSCF8664
火炎放射器で焼かれた焦げ跡が見える、ヒル27に残る古い墓。

この本を読み終わり、著者が見つけたという現場を知りたくなったので、ボクも足を運んで古墓群の中を探してみたのですが、掲載された写真や文章だけではやはり突き止められず、やむなく引き返しました。
しかし、火炎放射器で焼かれたような焦げ跡が残る、古い墓があったので、現場は遠くないはずです。もう少し調べて、リベンジしたいと思いました。

それにしても、70年を経てなお多くの人々を苦しめる戦争の悲惨を思います。
家族をあの戦争で命を落とした人々や、苦しみながら戦後を生きた人々の魂は、はたして癒されたのでしょうか?

戦禍のなかで倒れた日米双方の兵士の多くは、仕方なく戦場に駆り出された市井の人々でした。勝者として帰還したにもかかわらず、それまでのような市民生活に戻ることが容易ではなかった著者の父親や、戦友たちの戦後を考えると、おびただしい数の人生を狂わす戦争を、呪わずにはいられません。
そして、一般市民も巻き込んで本土の「捨て石」となった沖縄では、今も戦後が続いています。
<三嶋>

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