天願を訪ねて写真確認
2016年11月25日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
11月に中城村で琉米歴史研究会の写真展を開催しましたが、その際、来場された年輩の女性に、撮影地不明の写真の場所を教えてもらっていたので、確認に行ってきました。
天願から撮影した安慶名方面。
地平線中央の丘が決め手になり、間違いないとのこと。中央の丘が安慶名グスクで、その下に闘牛場があります。そこから左に行くと安慶名十字路(当時は三差路)になります。
(写真提供:NPO法人琉米歴史研究会)
現在の風景はこんな感じ。少し角度が違ってしまいました。
話をうかがった女性の義父は闘牛に夢中だったようで、新聞社主催の闘牛大会で優勝し、商品としてアイスキーパーやヒーターなどをもらったことがあるとか。
また、周辺の人の多くは軍作業に従事していた、と写真を見ながらしきりに懐かしがっていました。
安慶名の反対側に位置する、海兵隊の基地キャンプ・コートニー。
ゲート前に並ぶ店舗。
うるま市東部の米軍基地は、普天間や嘉手納、辺野古などに隠れてかすみがちですが、米軍の土地接収や反対闘争、米軍機墜落事故や海水汚染、毒ガス移送など、基地がらみの重要事項が数多く発生した場所であることを忘れてはいけないと思います。
っていっても、自分も勉強不足で、あまり知らないんですけどね。
<三嶋>
活動クリップ 屋慶名大綱引き〜宮城島
2015年8月2日 Category: Myある記, 活動クリップ Comment : 0
旧暦6月15日の「6月ウマチー」に行われる屋慶名の大綱引きを見に行きました。
那覇方面は雨で心配してましたが、屋慶名は晴れ。天気同様、暑い綱引きでした。
帰りに涼を求めて宮城島へ寄り道。綺麗な景色で締められました。
(下地)
屋慶名綱引き
2015年8月2日 Category: Myある記 Comment : 0
屋慶名の大綱引きに行ってきました。
ここでは西と東の二カ所で、二日に分けてやるそうですが、前日の熱気を引き継いだのか、最終日のこの日もすごい盛り上り。
屋慶名の綱引きで面白いのは、東西の綱の上に、若按司のほかに地域の子どもたちを乗せ、みんなで道ジュネーするところでしょう。
綱の上で踏ん張る子供や泣き出す子供、それを見守りながら一緒に歩く家族など、地域が一体となって祭を楽しむ雰囲気があふれていました。
子供を綱の上に乗せ、通りを練り歩くのが屋慶名流。
綱引き前に、東西の若者たちが体をぶつけ合うガーエーで、気勢を上げます。
屋慶名では「ヤーサイモー」というようです。
沿道から撒かれる景気づけの水と汗で、みんなずぶ濡れです。
後方の人たちを置いてきぼりにして、雄綱と雌綱をつなぐ際の駆け引きが繰り広げられたあと、カヌチボウが入れられて接合すると、いよいよ綱引きがスタート。
大綱に取り付いた誰もが、力水と汗に濡れながら全力で引き合う1本勝負。
しばらくののち凱歌は西に上がりました。
屋慶名は1960(昭和35)年5月24日未明、チリ津波に襲われ集落の4分の1が水没しています。沿岸部に広がっていた水田が全滅し、稲作が途絶えた今、大綱引きのワラを調達することも容易ではないようです。
しかし、外部から取り寄せながらも地域一丸となってワラを綯い、大綱に仕上げてこの日をむかえたのは、人々の地域を思う気持ちが結集したからでしょう。
いつもは人影まばらな大通りですが、詰めかけた大勢の人々を見ていると、地域の意地と希望があふれているように感じたのでした。
(三嶋)
勝連城跡で考えたこと
2015年7月17日 Category: Myある記 Comment : 0
勝連城跡から帰って考えました。
名付けて「中城湾岸文化リンケージ計画」てのは、どうでしょうか?
中城湾を取り巻く地域が連携することで、湾岸地域の自然や歴史・文化を多様な視点で捉え、データの共有化や人材・ソフト面の交流などを通して、地域活性化につなげるというものですが。
中城湾をドーナツのように取り囲む市町村(うるま市・沖縄市・北中城村・中城村・西原町・与那原町・南城市)の教育委員会などが連携し、中城湾岸の自然や文化的価値を再発見することからスタートし、その魅力や新たな可能性を探ってはどうでしょうか。
行政だけでなく住民も巻き込んだ、地域おこしの一環として取り組んだら面白いと思うんですよね。
中城湾の北に位置する、勝連城跡から見た中城湾。
写真右に中城、遠くに知念半島(南城市)が見えます。
中城城跡付近から見た西原方面。
天気がいい日には、知念半島が意外なほど近くに見えます。
南側(南城市佐敷)から見た中城湾。
遠くに見えるのが勝連半島。
中城湾を見ながら琉球の歴史を考えると、「阿麻和利の乱」で知られる勝連城・中城城・首里城や、初めて琉球を統一した尚巴志の佐敷城、あるいは神の島・久高島などが、極めて近い距離にあることを実感します。
互いに見えるほどの距離なので、かつては湾を隔てた交流もあったのではないか? と思いますが、なかったのなら、これから仲良く連携を深めれば、きっとイイコトがありますよ(たぶんだけど)。
まだまだ美しく、豊かな中城湾を次世代に遺すためにも、今が新たなチャレンジが必要な時だと感じます。
(三嶋)
勝連城跡で再発見
2015年7月16日 Category: Myある記 Comment : 0
数年ぶりに勝連城跡に登ってきました。
屋慶名の取材で近くを通っても、“いまさら感”があって、ためらっていたのですが、思い切って決行(大げさ? でもピーカンの真っ昼間、大汗かいて頂上まで登るには、それなりの覚悟が必要でしょう)。
今回発見した一番のお気に入りは、この石積み(三の曲輪)。
巨大な船の先端みたいで、カッコイイと思いません?
石垣のうねるような曲線が見事で、ヨーロッパの城もこんな感じじゃない?(行ったことないけど)
城の南側から見上げるとこんな感じ。
青い空をバックにそびえる古城の姿は、雄々しく美しく「カッケー!」。
また、四角い穴が所所に配置されているのにも、今回はじめて気がつきました。中城城跡にもありますが、矢や石を敵に放つためのものでしょうか。
ドローンで撮ったらこんな感じ、ってウソです。
休息所前にあったレプリカ。ピカピカしすぎですが、周辺部を含めた全体像は分かります。
周辺整備が進み、案内板も設置された城内は、思った以上に気持ちよく(失礼!)、十分楽しめました。観光客だけでなく県民にも、もう一度、勝連城跡の探訪をおすすめしたいですね。
(三嶋)