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渡久地をあるく2

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本部町渡久地のレポート第2弾。
今回は一人でぶらつきました。

細い通路で区切られた町営市場のなか。
薄暗くて、足を踏み入れるのに躊躇しますが、若者が立ち上げたとおぼしき小さな雑貨店などあって、掘り出し物を捜す人にはいいかも。
町の衰退を食い止めるべく、いろんな企画やイベントが行われている所なので、少しでも貢献したいところでしたが、この日は(も?)金がなかったので、ヒヤカシに終わってしまいました(トホホ)。

街のなかで見つけた戦後史を物語る塀。
丸い穴が規則的に並ぶこの鉄板は、たぶん米軍が使っていたもの。正式名称は知りませんが、ぬかるみや滑走路などで、足下を固めるために敷き詰めていたものですね。たぶん。

満名川に架かる第一渡久地橋(昭和50年3月竣工)。
本部市場から北に抜ける古い方の橋ですが、もとはこちらが大通りで、蔡温時代に最初の木橋が造られています。
戦災にもあわず、戦後も石橋が残ったのですが、橋の向こう側の急なカーブを、米軍の大型トレーラが曲がり切れずに転倒したそうで、その後、新しい橋が渡久地十字路から北に続く道に架けられました。

満名川河畔。
1946(昭和21)年9月、戦後初の水産関係教育機関、沖縄開洋高等学校が開校した所です。
バラック小屋が2〜3棟と、米軍払い下げのコンセットがあるだけの貧弱な校舎でしたが、沖縄各地から集まった60名の若者たちが、海の男になる夢をもって勉学に励んでいたそうです。
しかし、学校はその後、那覇市泊に移転、沖縄水産高校と改称して再出発します。
本部町民は期待を裏切られ、肩を落としたといいますが、幻の学校を知る人も、今となってはほとんどいなくなったようです。

今回はこれまで。次があるかな?
<三嶋>

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