綱引きpart2
2016年7月31日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
与那原の大綱曳をあとにして、帰宅途中のコンビニで一休みしていると、チンチキ、チンチキと鉦の音が聞こえます。
ン? とあたりを見回すと、どうやら道向いで何かやっている様子。
近づいて行くと、字宮城の集落で、どうやら綱引きが始まるようです。
そういえば、今日はあちこちで綱引き行われるはず。与那原に気がとられ、ここは気がつきませんでした。
近づいて行くと広場に人が集まっています。準備されている綱も見えます。
あわてて区長さんを探すとすぐに見つかったので、取材許可をもらって撮影しました。
この宮城部落は数年前に来たことがあったものの、詳しく知らないところ(なのに勝手なことを書くのは少々気が引けますが)。
雌綱と雄綱を合わせるシーン。なかなかうまくいかなかったので、カヌチ棒を入れた時には、すでに疲れていたのでは?
が、プログラム通りにいかないところも魅力だし、見物人や引き手ものんびりと待つのが風儀というもの。慌てるなということですね。
綱引き開始。多くの住民が集まり、必死で引き合います。真ん中で紅白の旗を持つのが宮城区長さん。
ここでは、綱引きが出来るほどの住民がいて、集落の結束もまだ維持されているようです。
が、旗頭を担ぐ若者たちはさほど多くないようで、都市化が進むなか、これらの行事がいつまで続けられるか分からないのではないでしょうか。
地域の若者にとって、いつの世もムラ社会は窮屈でしょう。しかし、それが地域のセーフティーネットとして機能していたことには、孤独死などが話題になるまで、あまり気付かなかったような気がします。
田舎から都市を目指し、個として生きる選択をした団塊世代が、今になって相互扶助的なかつての村社会を見直しているような気がします。虫のいい話のようにも思えますが、時代はくり返すのでしょうか。
だけど、最近は、最初から田舎を出ない(出られない)若者も増えているようで、それはそれで問題でしょう。いつの世も、「青年は荒野をめざす」存在であって欲しいですね。
<三嶋>