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タイムラプス動画 嘉数高台公園

 Category: Myある記, 活動クリップ  Comment : 0


梅雨が明けたら試してみようと思っていたタイムラプス動画。
慰霊の日も近いので、近場の嘉数高台で撮影してきました。


タイムラプス動画とは一定間隔で撮影した写真を高速再生した動画です。
ちなみに今回は2秒ごとに30分ほど撮影した900枚の静止画を30秒の動画にしてます。
(入りのシーンはiPhoneで、左に旋回しているシーンはGoProです。)
試しで撮ったので、あまり時間をかけていないけど、時間をかければもっと面白い動画が作れそうです。
(下地)

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大山ターンム(田芋)畑の散策と意見交換会

 Category: Myある記  Comment : 0


宜野湾市大山で「ターンムfanクラブ」が主催する散策会と、意見交換会に参加しました。
昨年もこの時期に散策会が開かれ、おいしいムジ汁などを食べたので、今年もか?とちょっぴり期待しましたが、今回はサプライズなしで(そりゃそうだね)、真面目な話に終始しました。


少し肌寒い天気でしたが、歩けば汗ばむほどでイイ気持ちでした。


“クンジャン(国頭)アブシ(畦道)”とよばれる里道には、水路にかかる石橋(大きめの石を置いただけですが)が、今も残されています。

外野席にいるこちらとしては、何をどうすればいいのかよく分かりませんが、砂川さんが言ったように、大山のターンム畑は宜野湾の「宝」という以上に、沖縄の「宝」ではないかと思います。
年を追うごとに、栽培面積が小さくなっていくようですが、歴史や人の知恵、思いが詰まった畑を消滅させるのは寂しい話ですよ。でも、そのためには、情緒的な論ではなく、具体的で戦略的な実践こそ必要でしょうねえ。
そして、行政批判だけではなく、市民・県民としてどう地域の課題にコミットしていくか、が問われるでしょう(それは地域共通の問題ですね)。行政を当てにしない覚悟があるのかとか、自立とは何かとか、自問自答する毎日です。
(三嶋)

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『しまたてぃ』71号が刷り上がりました

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


今回の「沖縄の戦後を歩く14」では、宜野湾市の大謝名三差路とその周辺を取り上げました。
宇地泊にあったキャンプ・ブーンとキャンプ・マーシー、普天間基地に隣接した大謝名は、その影響を受けて戦前の農村から一転、戦後になって急激に都市化した地域。現在の大謝名小学校付近から牧港川まで、田んぼが広がっていたことも、建物が建ち並ぶ現在の姿からは想像し難くなっていますね。
しかし、西に位置する宇地泊が、埋め立てと開発が進んで、このところ大変なにぎわい(三差路は十字路になったし)。大謝名は取り残された感が無きにしもあらずですが、暮らしの痕跡や人の思いが染みついた土地は、簡単には消えないもの。先輩たちの苦労や地域の戦後史を残し、この先も伝えてほしいと思います。


(三嶋)

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大謝名取材記

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『しまたてぃ』の取材で大謝名を歩きました。
案内は、地元の天久さんと同級生の崎間さん。大らかな天久さんとツッコミの崎間さんは、博識かつ名調子の絶妙のコンビ。楽しく学ばせてもいながら、大謝名三差路や市場通り、メーヌカー、黄金宮等々を歩く事が出来ました。


メーヌカーの解説板の前。パイプラインと、大謝名小学校の間にはさまれた空間は、通りの喧騒を忘れさせるオアシスです。勢いよく水が流れ落ちるカーは、子供たちの生きた教材として多様な利用が可能でしょう。
かつてはガジュマルの大木が木陰をつくったと聞きましたが、現在はありません。


天久さんの門中墓と、その近くにある旧日本軍陣地跡(写真中央右の穴)。沖合の艦船を攻撃する大砲もあったとの話ですが、詳しくは分からないようです。
この墓の南側には、沖縄戦における激戦地のひとつ嘉数高地があるので、この陣地はその前哨戦となった場所ではないでしょうか。
天久さんは、米軍が沖縄本島に上陸した1945(昭和20)年4月1日が、嘉数国民学校への入学式だったとのこと。しかし、その予定がかなうわけもなく、弾雨の中を逃げまどって嘉数高地手前のガマで捕虜になったとのこと。戦後、収容所から帰村して、小学校に通えるようになった時には、4年生になっていたそうです。


天久門中の墓から見た海。かつては水田が広がる先に海岸が見えたのでしょう。
米軍に捉えられ、ガマから出てきた天久さんは、沖合を埋めつくす米艦船の数に圧倒されたと語っていました。


旧県営鉄道(ケービン)嘉手納線の路線跡。国道58号と並行して走る、県営大謝名団地横の小道。写真右手前に大謝名駅があったとのことですが、当時を物語るものは何も残っていません。
戦前に那覇までケービンに乗ったことがあるという天久さんも、汽車のスピードに驚いた記憶しかなく、駅舎の形などまったく覚えていないとのこと。鉄道ファンならずとも、その片鱗でも聞けたらと思いましたが、残念。
詳しい話は『しまたてぃ』に書きましたので、そちらを読んでください(出し惜しみしてスンマセン)。
(三嶋)

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大山ターンムを味わう

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 「大山田芋ファンクラブ」の仲村さん夫妻に誘われて、2回目のターンム畑散策を行いました。 
 参加者が集まるか気になっていましたが、結果的には50人ほども集まっていただいたので一安心。前回の南側半分に続いて、今回は残りの北側を散策しました。
 また、前回、「実際にターンムを食べたい!」と無茶振りしていたところ、見事に応えていただき感謝。蒸かしたばかりの熱々のターンムを頬張り、ムジ(田芋のクキ)汁に舌鼓を打ってみんな大満足でした。
 案内は前回同様、宜野湾市文化課の呉屋義勝さんと生産者の伊佐實雄さん。
 地元ならでは、生産者ならではの、とっておきの話を披露していただき、面白可笑しく体験することができました。
 感謝です。

生産者の方にも声をかけてもらい、話をすることもできました。


ホテルやら商業施設やらがすぐ近くに迫っていても、一歩足を踏み込むと、自然いっぱいの別世界。


熱々のムジ汁が体に染みました。伊佐さん手づくりのターンムを提供していただいたとか。

 年々、小さくなっている田芋畑ですが、実際に畑を歩き、生産者の話を聞くと、いろいろ分かってきました。長い年月をかけて畑に注がれた知恵や工夫、愛情といったものは、単純に経済性だけでははかれないほど重く、尊いものだと思います。
 また、地域の自然と、人々がいかに折り合いをつけて暮らしてきたのかを学ぶことは、これからの環境を考える上でも重要でしょう。
 まだまだ奥が深い大山の田芋畑。これからも、いろんなことを学び、楽しみたいと思いますが、そのためにも、何とか残して欲しいものです。
(三嶋)

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