okiaruki

沖縄ある記

 

«Facebook
facebook.com/okiaruki

«Youtube
youtube.com/user/okiaruki

«Ustream ustream.tv/channel/okiaruki

 


特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

〒903-0801
那覇市首里末吉町2-141-60

■お問い合せ

info@okiaruki.com

ビーンクイクイで元気をもらう

 Category: Myある記  Comment : 0


 国頭村奥のビーンクイクイを見てきました。集落の長老をオケに乗せて練り歩く伝統行事で、他にあまり類をみないこともあって以前から気になっていました。
 普段は静かな山間の村もこの日ばかりはにぎやかで、誰もがハイテンション。
 祈りのあと始まった行列は、「ビーンクイクイ」と叫ぶ男性の声と太鼓に呼応して、全員が「エイヤサー」と掛け声を掛けながら練り歩きます。参加者は掛け声に合わせて軽くジャンプし、長老が乗るオケを担ぐ若者はその際、オケを一段高く差し上げるのですが、一連の動作は部落の広場につくまで、かなりの時間くり返されます。
 強い日差しのもと、汗だくで一連の所作をくり返すパワーに、こちらまで元気をもらったようでした。
 那覇あたりから駆けつけた村の出身者なども含め、大勢の人が踊り、声を出し、圧倒されるほどのエネルギーを発散させていました。


高齢者が圧倒的に多いため、熱中症で倒れるのではと心配しましたが、みなさんのタフネスぶりに脱帽でした。
(三嶋)

--------

 

小谷歩きpart3

 Category: Myある記  Comment : 0


 旧佐敷村(現南城市)の字小谷(おこく)は、「チンシワイドゥクル(ひざを割る所)」と歌われたほど坂の多い、山の斜面にある集落です。
 これまで、地元の方々と一緒に2回の地域歩きを行いましたが、忘れたり見ていなかった所が少なくないことに気がつき、3度目の調査を一人で行ってきました。
 これから、現場で集めた話や文献資料をまとめ、地域マップに落としていきたいと思いますので、請うご期待というところ。

集落に登る坂の途中にある、「美ら石」付近から見た佐敷津波古方面。中城湾を見下ろす絶景ポイント。かつては、眼下に広がる水田から坂を登って家路につく村人が、この場所できまって一休みしたとか。

小谷の代名詞といえる竹と石畳道。文化財にも指定されているものの、ここだけになってしまった石畳道の状態は「放置」に近く、県下に知られた竹細工も1960年代末には姿を消したようである。

山側の道。小谷の背後に迫る山の向こうは旧大里村稲福集落で、かつては山道を往来する関係にあった。が、本土復帰ごろから押し寄せた車社会の到来で、小さな山道は無用のものとなり、いつしか両村の交流は途絶えたようだ。
(三嶋)

--------

 

虫むしワールドユンタク会ビデオ

 Category: ユンタク会  Comment : 0


--------

 

虫むしワールドの報告で盛り上りました

 Category: ユンタク会  Comment : 0


 今回のユンタク会は、琉大風樹館の美由紀さんによる、コンベンションセンターで開催された「虫むしワールド」の報告。
 バグハウスも、風樹館内のビオトープ紹介動画や、虫の鳴き声を再生させるコンテンツを製作して一役買いましたが、好評だったと聞きとりあえず安心しました。
 報告では、久米島博物館学芸員の宮良さんが行ったワークショップの様子が、たいへん参考になりました。なかでも口から糸をはく、オリジナルのカイコのぬいぐるみは秀逸。子供たちも引きつけられていましたね。
 クワの葉やカイコ、糸、それらが合わさって織物ができ上がる工程や、そこに関わる人の知恵や努力といったものが、総合的に理解できるプログラムだと感心しました。
 島の特産品(久米島紬)を通して、動植物の生態や自然と一体となった島の暮らしが見えるだけでなく、博物館活動が地域の実生活に寄り添うように実施されている点でも、先進的ではないかと思いました。

写真は美由紀さんのサプライズ。世界で一番大きなゴキブリ(外国産)だそうです。大人しいカブトムシのような感じでしたが、苦手な方はごめんなさい。
(三嶋)

--------

 

安謝ある記

 Category: Myある記  Comment : 0


 『しまたてぃ』(66号)の取材を兼ね、那覇市安謝を歩いてきました。
 案内は、字誌編さん員の普久原さんにお願いしました。
 安謝は新都心と隣接するマチ、というイメージを持っていたのですが、道幅以外さほど戦前と変わらないという筋道を歩くと、あちこちの御願所が今も大切にされていたりして(龕屋が残っているのにはビックリ!)、ムラの面影が随所に垣間見える地域でした。
 奪われた土地に造られた目の前の米軍基地を尻目に、たくましく戦後を生き抜いた人々の証しは、今はもう時間とともに埋もれてしまったようですが、かつての商店街を歩くと、あまたの人々の話し声や笑い声が、行き交う車の狭間から立ち昇ってくるような気がしたのでした。


今も残る龕屋(ガンヤー=死者を乗せるガンをしまう場所)。入口はブロックでふさがれ、封印されたまま。


安謝小学校の東側に走る「学道(がくどう)」。かつては、南(写真手前)に進むと基地のフェンスに遮られた。


高層の安謝市営住宅手前、現在、墓地になっている中ほどを、かつて基地のフェンスが東西に伸びていた。

軍道1号線(国道58号)下のトンネルを抜けた、西側地区にあった安謝劇場の跡。
1号線のかさ上げ工事で東西に分断された安謝は、トンネルを挟んだ通りに繁華街が形成され、安謝港で働く人々相手の飲食店や、料亭・旅館などが軒を並べてにぎわった。
(三嶋)

--------