前川・底川・知念調査を実施
2014年1月18日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
南城市で関わっている地域資源調査で、前川・底川・知念を回ってきました。
底川と知念は地図もつくりましたので、とりあえず終了ですが、前川(メーガー)はまだあいさつだけでしたので、ほとんど初めて。
区長さんと数人の方に案内していただきましたが、印象に残ったのは石積みの多さ。屋敷囲いやヒンプン、ワーフール、石畳道など、あちこちにたくさんの石積みを確認し、その精緻な技術や多大な労力に驚かされました。

ガンガーラの谷に通じるヒージャー(樋川)の前。集落で一番重要な泉で、かつては毎日ここから水を汲み、坂を登って部落まで運んだということです。
坂の上部には、家族や門中で入ったという民間防空壕が川に向かっていくつも並んでいます。足場も整備されているので、平和学習などに利用されているとのことでした。

前川の集落内に残る石畳道と屋敷囲い。
石を運んだり積んだりする気長で難儀な作業は、農閑期や天気が悪い時に続けられたとのこと。
天気のいい日は農作業だし、いったいいつ休んだの?

字知念の底川(スクガー)で発見した昔のレンガ。
先月の忘年会でも底川には来ましたが、歩くたびに何か見つかる所です。このレンガはサイズが今のものと違う、と参加者の一人。つなぎがセメントのようだし、戦後のものでしょうか。

字知念の集落を下りて行った先、畑のわきから林を抜けると、きれいな海岸が目の前に現れます。
でも、残念ながら護岸はコンクリート・ブロックで固められているので、みんなガッカリ。少し前までは白砂の自然海岸だったようですが。
本土にはない白い砂浜は、沖縄がほこる地域資源のひとつだと思いますが、埋め立てや護岸工事で、その多くが姿を消してしまいました。価値観は時代によって変わります。無くなってから気付いても、自然環境は取り返しがつきません。
人工物を自然に戻す公共工事を、市民も参画しながらみんなで実践するようなことも、考えていいんではないでしょうか。
(三嶋)
回想法の講演会
2014年1月15日 Category: Myある記 Comment : 0
名護の「やんばる山学校」プロジェクトで実施した、回想法の講演会にたいへん刺激を受けました。
「高齢者を元気にする回想法」というテーマで、日本福祉大の来島修志先生がお話になりましたが、福祉や医療と博物館がコラボしている実例も紹介いただき、「そうだそうだ」とヒザをたたきました。
先生がおっしゃるように、回想法は認知症などに効果のある治療法のひとつでしょうが、そのなかで高齢者の生活体験が聞き取れることは、博物館にとっては情報収集の場もなり得るでしょう(高齢者のみなさんが許容する範囲内で)。
もう長いあいだ低迷する経済と歩調を合わせて、集客数や費用対効果を上げる努力が博物館にも求められてきましたし(想像だけど)、その対策として誘客しやすい企画や広告展開に力を入れているように思えます(想像だけど)が、このままでは、地味でも意義のある企画や住民に役立つ展示などが、コストがかかるとか利益率が低いからという理由で敬遠されるのではないかと心配になります。
住民の文化的生活に寄与することを博物館が第一義に考えるなら、派手なパフォーマンスはなくとも、地域が元気になる回想法のような実践こそ重要ではないでしょうか。直接的な利益はなくても、中長期的には社会コストの軽減につながりますし、博物館や学校、市民とお年寄りとの交流が活発になれば、あちこちで笑い声が響き、かつてのようなコミュニティを取り戻そうとする動きにもつながる気がします。
1枚の写真や1個のバーキを前に話が弾み、誰もがプチ幸福を感じられるような機会を博物館が手助けする、ってのは十分アリだと思うんですよね。

(三嶋)
「新都心ある記」が一挙掲載
2014年1月12日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
那覇市の新都心通り会が毎月発行している「新都心かわら板」で、平成23年4月から昨年7月まで連載した「新都心ある記」全17回分が、新年号で一挙掲載されています。
那覇新都心は、米軍家族の居住地区として接収された土地が返還されて更地となり、そこに誕生した街なので、戦前・戦後の痕跡はほとんど残っていません。
それでも、かつて人々が歩いたであろう場所を捜し、同じ場所に立って当時の村の風景や暮らしに思いを馳せてみることは、大きな意味のあることだと思います。戦災や異民族支配という災禍で、平和だった農村が消滅した歴史は他府県には類例がないでしょうし。
そして、かつての姿とまったく脈絡を断ったような、現在の街並みが出現したのですが、それを選択し、是としてきたのは私たち一人一人だともいえるでしょう。
オシャレで、便利で、住みよい街というイメージには、沖縄や地域の姿が抜け落ちていたのですが、いつの間にか、本土を範とするそんな価値観に私たち自身が染まっていたことに、無自覚過ぎたでのではないかと自省するのです。
これは、コンクリートの建物に赤瓦を乗せれば済む問題ではなく、私たち自身のなかに潜む本土化の流れをいかに相対化するかであり、地域や個人のアイデンティティに降りかかるそんなバイアスと、どのように折り合いをつけながら日々の営みを続ける(しかもできれば楽しく)か、という問題のように思えます。
(三嶋)

『しまたてぃ』No.67・新年号が刷り上がりました
2014年1月8日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
同誌に連載中の「戦後の沖縄を歩く」シリーズでは、沖縄市のパークアベニュー(旧センター通り)を取り上げました。
現在の沖縄市は、コザ市(1956年誕生)が、1974年4月に美里村と合併してできた所で、今年が生誕40周年となります。
コザ市時代の体験者は減っているはずですが、「コザ」の名称はいまだに現役で、不夜城を誇った基地の街が醸し出す独特の雰囲気を懐かしく思い出す人や、既視感を感じる若い人も少なくないようです。
本土復帰前には、熱い政治の風が沖縄中で吹き荒れましたが、隣人である基地が今も「馬耳東風」状態なのはみなさまご存知の通り。
しかし、不景気が常態化しているようなこの街は、「反戦平和」と「現実的選択」が拮抗した時代を経た今も、見えない指針を求めてフリコのように揺れつづけているように見えます。
そんなパークアベニュー界隈の雰囲気を、地元の方々の姿とともに紹介した『しまたてぃ』No.67を、是非ご一読ください(宣伝か!)

今回の案内人は、沖縄市センター自治会会長にして猪突猛進の熱血漢である我喜屋さん
(三嶋)

