okiaruki

沖縄ある記

 

«Facebook
facebook.com/okiaruki

«Youtube
youtube.com/user/okiaruki

«Ustream ustream.tv/channel/okiaruki

 


特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

〒903-0801
那覇市首里末吉町2-141-60

■お問い合せ

info@okiaruki.com

竹取り物語

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


在来資源・素材を生かした地域活性化を指向する、南城市商工会のお手伝いで、ヤンバルまで竹取りに行ってきました。
お目当ての竹は、「蔓草庵」の島袋正敏さんに同行していただいたので、さほど苦労することなくゲット! 
朝からショボ降る雨に濡れたり、川の中を歩いたりもしたので少し疲れましたが、結構テンションが高まり、たまには体を使わないといけないなと思った次第(思っただけで終わるでしょうが)。


かたまって生えているシジャダキ(ホウライチク)の中から、1本ずつノコを使って切り出し。虫が入っているものも見受けられるようで、竹林は切らないとダメになるようです。地元でも竹が使われなくなっていることの証しでしょうか。


竹は直径3cm前後。孟宗竹のように太くありませんが、それでも10本も束ねて担ぐと結構な重量感。キビ担ぎほどではないですけどね。
(三嶋)

--------

 

やんばるの川歩き

 Category: Myある記  Comment : 0


名護市で行われた天仁屋川の川歩きに参加しました。
少しヒンヤリする水温でしたが、濡れながら川の中をジャブジャブ歩く感覚は、思えばずいぶん久しぶり。参加者も同じ気分なのか、ウキウキした様子でずんずん上流に向かって歩きます。
途中途中で島袋正敏さんの解説や実演もあって、それも聞き逃せません。
正敏さんの話からも、濃密だった川と人の暮らしは、自然豊かなこの地でも過去のものになっている様子。
かつての暮らしを記録することが、ここでも喫緊の課題のひとつといえるようです。


天仁屋川の河口から、上流の滝つぼを目指します。滑りやすい足下に気をつけながら、みんな楽しそうに川の中を歩いています。


三面張りが途切れるころから岩のゴロゴロ地帯が続きます。本土の河川を思わせるような光景ですが、見上げると亜熱帯の樹木が空を覆うように繁茂しています。


最終目的地の滝(名前を聞きわすれた)に着きました。直前にはかなりの傾斜のガケをよじ登ったりしたので、かなり達成感もあります。
写真左側に切れている斜面中腹には、ネコの額ほどの平地があり、大正期には水車が設置されていたそうです。沖縄で水車はあまり馴染みがありませんが、ここでは滝の水を利用した水車で、製糖を行っていたとのこと。
重いキビを背負ってガケを下り、でき上がった黒糖を詰めた樽(60〜70kg)を背負って再びガケを登っていた、との話に一同ビックリ。
たどり着くにも一苦労するようなこの場所で、人々はどんな思いで激務に耐えたのでしょう。
遠い時代の人々に思いを馳せました。
(三嶋)

--------

 

名護の「やんばる山学校」

 Category: Myある記  Comment : 0


 中城の旗立て岩を見た日の夜、名護博物館友の会を中心に行っている「やんばる山学校」プロジェクトの、伊平屋島調査報告に出席。
 ボクも実行委員会メンバーの一人だし、これまで何もしていないので伊平屋に同行したかったのでが、諸々の事業で行けず残念でした。「田名池再生プロジェクト」で数年前に訪ねていたことや、沖縄戦との関わりなどを調べていたこともあって、伊平屋はボクにとっても気になる存在でした。これを機に、またイロイロ勉強したいと感じた次第です。

熱心かつ気の置けない会話が飛びかった報告会(名護博物館ギャラリー)。


伊平屋村野甫島の飯井敏雄氏宅(現在は空家?)にあった慰霊碑の一部。旧日本海軍パイロットだった同氏は、昭和20年5月17日、伊平屋北方で撃墜・墜落したあと島民に救助され九死に一生を得る。戦後、その恩に報いるため同地に移住し、かつての仲間の供養も行っていた。写真は2011年撮影。
(三嶋)

--------

 

ウガン森の住人

 Category: Myある記  Comment : 0


 名護市許田のインターから、国道58号に降りてくるカーブの左側には、名護湾に突き出た森があります。
 地元でウガンムイ(御願森)と呼ばれるこの森に、自分たちで家を建て、自給自足に近い形で住んでいる夫妻の話が新聞に出ていました(沖縄タイムス1960.07.24)。
 人が住めるような所には見えないと思いつつも、以前から気になっていたので、浜降り(大潮)の翌日、現場に行ってみました。 
 で、海側から森を見上げながらグルッと一周したのですが、文字通り「取り付く島もない」状態。
 どうすれば、あんな所で暮らせたのか・・・まあ50年以上前の話だし・・・今度は地元の方に聞きに来ようかと思いつつ、不完全燃焼のまま引き揚げました。
 社会が豊かになりはじめた当時、世間の人たちとは逆にスローライフを志向した人がいたことに、ボクは軽い衝撃を受けたのですが・・・どなたか情報をお持ちの方はいないでしょうかね。
 森の頂きに近い場所に御嶽があったので、撮影させてもらいました。
(三嶋)

--------

 

高倉の葺き替え2

 Category: Myある記  Comment : 0


 名護博物館の高倉葺き替え続報。
 学芸員・職員・サポーター、一丸となって作業に取り組んでいます(あんまり変わってないか?)
 中南部と異なり、山が身近な沖縄島北部(やんばる)では、さまざまな形で自然の恵を暮らしに取り入れてきましたが、戦後、私たちの社会は、その多くを不必要なものとして忘れ去ろうとしています。
 失われつつある山の文化や、自然との共生の中で育まれたジンブン(暮らしの知恵)を、次代に伝えることも博物館の大きな役割のひとつでしょう。
 また、アイデンティティの自覚という視点からも、 “ワッターシマ”の暮らしや文化の保存や継承に、地域住民も積極的に関わることが求められています。
(三嶋)

--------