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【ご案内】スクガーマーイが始まるよ

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南城市知念のスクガー(底川)集落跡を回る散策会と、附帯事業の工芸体験が今週末から始まります。
メインはスクガーマーイで、21日(土)・22日(日)・23日(祝)、28日(土)・29日(日)に実施。
時間は午前10時〜と午後2時〜。1日2回です。
参加費無料ですので、ほとんど知られていない「幻の村跡」散策を、この機会に是非どうぞ!

場所:ギャラリー木創舎 南城市知念字知念1241-8


sukuga20151121
●スクガーマーイチラシPDF

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ニクブクはムシロでムシロはゴザ?

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今月末に予定しているワークショップに向けて、城間光雄さんのギャラリー・木創舎(知念)でニクブクの勉強会を開催しました。
講師は那覇市繁多川公民館でも教えている与儀善邦さん。
材料は本来ならワラ(藁)やイグサ(藺草)なのですが、城間さんの提案で、サンニン(月桃)の茎を裂いた繊維を使ってやってみることにしました。継続的にやるなら、入手しやすい材料がいいし、サンニンの香りも効果的ではないでしょうか。

沖縄の敷物では、ニクブクのほかにムシロ(莚)があります。子供時分の記憶では、宮崎では前者をムシロ、後者をゴザと呼んでいたので、話が混乱していたんですが、調べてみるとどうやら呼称が違うようですね。

ニクブク(宮崎ではムシロ)は、庭先で脱穀などをする時に敷いたりしたもの。以前は普通に自作したそうですが、1960年代中ごろから需要が減って、急速に姿を消していったと思われます。そのころ田んぼがサトウキビに替わって、ワラの入手が困難になったことも一因でしょうか。

しかし、子供の時には自分も作っていた、とか見ていたという人は以外に多いため、今のうちに聞き取りを行ったり、できれば技術も伝えられるようにしたいとの希望も込めて、今回の講習会となったのでした。

実際にやってみると、思いと現実のギャップに打ちひしがれたのですが、なるほど難しいというのが分かっただけでも収穫でしょう(と負け惜しみ)。いつかリベンジを果たしたいものです。
DSCF9280
小さな練習用キットを作り、編み方を説明する与儀さん。サンニンの繊維を小さな束にして、ねじりながら縦糸を前後ではさむように織っていきます。
見ていると簡単そうなのですが、やってみるとこれが難しいんです。
昔は三畳敷き(約180cm×約270cm)が普通だったようですが、気が遠くなる大きさです。

ムシロ織り
戦後の暮らしが分かる写真の一枚(写真提供:NPO法人 琉米歴史研究会)。
女性が編んでいるのは、ムシロ(宮崎ではゴザ)でしょうか。家の柱と柱のあいだに横木を取り付け、大きな機のようにして編むことが多かったようです。

原料にはイグサなどの植物が使われ、夏の夜などにはその肌触りが寝苦しさを軽減させてくれたものですが、防犯上からも窓を閉めてクーラーを使うことが当たり前になると、影が薄くなった感は否めません。

うるま市照間などは今でもビーグ(イグサ)の産地として知られますが、かつては沖縄中でつくられ、特産品として本土に出荷されていたこともあるだけに、消滅させてしまうのは惜しいように思います。
新聞
1965年9月10日付の沖縄タイムス「おらが村の特産盛衰記(1)」では、上記写真とともに、糸満町(現糸満市)兼城では、イグサがキビにつぐ換金作物と紹介しています。
しかし、このころから生産に陰りがみられるようになり、その後、同地からムシロつくりは消滅しました。
<三嶋>

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なつかしのスキヤキ

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常連となりつつある知念の「いろは食堂」。
ふと、スキヤキがあるのに気づき、学生時代を思い出して思わず注文しました。

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甘目の醤油味の野菜炒めに、タマゴを乗せたスタイルは、かつて食べた首里の食堂とほぼ同じ。
でもスヌイ(モズク)、スープ、ご飯が付いて500円だから、学生時代より割安な感じですね。
当時は贅沢メニューのひとつだったので、あまり口にできませんでしたが、これならいつでも食べられるなあと嬉しくなったのですが、気がつけば、今度は胃袋が若いころのようには食べられないと言っています。
<三嶋>

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スクガーで植物観察会

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スクガー(南城市知念)集落跡で、植物調査を実施しました。
参加者は「キバナノヒメユリを守る会」のメンバーに、いつもの顔ぶれ。先生は樹木医の屋比久勉さん。スクガーに最後まで住んでいたという照喜名さんも一緒です。

目的は、来月に予定されるスクガーマーイに合わせたマップ作成のため、その調査・下見というところ。
植物名を書いたプレートを取り付けようとの声も上がっていたため、情報収集でもあったのですが、こちらの思惑はあっさり撃沈。
山に入るとみんなバラバラに動き、勝手に喋り、人の話を聞かないんですよ。
ひっきりなしに思い出話も飛び出ると(しかも面白い)、ついついこちらも引き込まれ、聞いているうちに記録をとる気も失せてしまったのです。

また、植物名もなかなか覚えられず、覚えた名前もすぐ忘れるし。あっちで見た木と、こっちの木が同じか違うか分からなくなりテンヤワンヤ。
方言名は入り乱れ、食い違い記憶違いで情報は錯綜するし、もう喧々諤々がエンドレス。とほほな体験学習だったのですが、みんなが楽しそうだったのでまあいいか。
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いろんな樹木の話が飛び出すものの、実物と名前を一緒に覚えるのが難しい。
記憶力の衰えに愕然とします。
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子供のころは、根っ子の丸い玉のような部分をかじって水の代わりにしたと年輩者の話。
地域には、地域ならではの自然との付き合い方があったはずです。が、そこにあったはずのジンブン(知恵)は、ほとんどが過去形になったのではないでしょうか。
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スクガーの植物相などの解説を、屋比久さんから教えてもらって勉強会はお開き。

学術的な話ではなく、暮らしに根ざしていた植物や自然環境の話が興味深く、面白く感じますね。身の回りにある素材を上手に取り込みながら、自然と共生してきたのが日本の生活文化といえるでしょうし、その土地と環境に合わせた暮らしや文化が、かつては各地に根付いていたはずです。
今日の私たちの社会では、自然と暮らしが分離してしまいましたが、かつての暮らしをノスタルジーで語るのではなく、防災や環境保護に活用していくような、新しい視点や実践が今こそ必要な時期ではないかと感じます。
<三嶋>

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よみがえるアカバンタ

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南城市佐敷の手登根(てどこん)にある、アカバンタに初めて行ってきました。
この場所は、長いあいだ草木に覆われて踏み込めない状態だったのですが、昔のような絶景ポイントとして復活させようと地域の有志が集まって整備したもの。
9月26日の夜には、「アカバンタ毛遊び復活祭」を開催する予定でしたが、台風の影響で直前に急きょ使えなくなり、一同ガックリ。公民館に場所を移して祭は行われたものの、関係者はショックを引きずっているようでした。
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アカバンタからの眺望。目の前に中城湾。西原・中城が近くに見えます。
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9月26日、手登根公民館に場所を変えて行われた「アカバンタ毛遊び復活祭」。
月見を兼ねた祭が実現できずみなさん悔しがっていましたが、祭にかける区民の団結力と熱気には驚かされますね。

琉球王国時代、首里王府では最高位の神女である聞得大君が新たに決まると、首里から知念の斎場御嶽までおもむき、任命式を執り行っていましたが、その途中にあって多くの神女たちが往来した場所がアカバンタでした。
アカバンタは知念と佐敷をむすぶ古道の一部であり、歴史の舞台となった道でもある分けです。

また、戦後になっても、知念から佐敷・与那原に抜ける近道だったという話も、複数の方から聞きました。
知念に住む70代の方は、毎日この道を通って手登根に下り、知念高校(与那原)までバスで通ったと語っています。
直線距離では約3kmぐらいですが、山を一つ越える通学は容易ではなかったはずですが、海岸沿いに知念半島を回るより時間と運賃を節約できた分けですから、そちらを優先させたということですね。
しかし、帰りは通らなかったというので分けを聞くと、ハブのせいだそうです。
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すぐそばにある風力発電施設がアカバンタの目印。
<三嶋>

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