ニクブクはムシロでムシロはゴザ?
2015年11月14日 Category: 沖縄ある記 Comment : 0
今月末に予定しているワークショップに向けて、城間光雄さんのギャラリー・木創舎(知念)でニクブクの勉強会を開催しました。
講師は那覇市繁多川公民館でも教えている与儀善邦さん。
材料は本来ならワラ(藁)やイグサ(藺草)なのですが、城間さんの提案で、サンニン(月桃)の茎を裂いた繊維を使ってやってみることにしました。継続的にやるなら、入手しやすい材料がいいし、サンニンの香りも効果的ではないでしょうか。
沖縄の敷物では、ニクブクのほかにムシロ(莚)があります。子供時分の記憶では、宮崎では前者をムシロ、後者をゴザと呼んでいたので、話が混乱していたんですが、調べてみるとどうやら呼称が違うようですね。
ニクブク(宮崎ではムシロ)は、庭先で脱穀などをする時に敷いたりしたもの。以前は普通に自作したそうですが、1960年代中ごろから需要が減って、急速に姿を消していったと思われます。そのころ田んぼがサトウキビに替わって、ワラの入手が困難になったことも一因でしょうか。
しかし、子供の時には自分も作っていた、とか見ていたという人は以外に多いため、今のうちに聞き取りを行ったり、できれば技術も伝えられるようにしたいとの希望も込めて、今回の講習会となったのでした。
実際にやってみると、思いと現実のギャップに打ちひしがれたのですが、なるほど難しいというのが分かっただけでも収穫でしょう(と負け惜しみ)。いつかリベンジを果たしたいものです。
小さな練習用キットを作り、編み方を説明する与儀さん。サンニンの繊維を小さな束にして、ねじりながら縦糸を前後ではさむように織っていきます。
見ていると簡単そうなのですが、やってみるとこれが難しいんです。
昔は三畳敷き(約180cm×約270cm)が普通だったようですが、気が遠くなる大きさです。
戦後の暮らしが分かる写真の一枚(写真提供:NPO法人 琉米歴史研究会)。
女性が編んでいるのは、ムシロ(宮崎ではゴザ)でしょうか。家の柱と柱のあいだに横木を取り付け、大きな機のようにして編むことが多かったようです。
原料にはイグサなどの植物が使われ、夏の夜などにはその肌触りが寝苦しさを軽減させてくれたものですが、防犯上からも窓を閉めてクーラーを使うことが当たり前になると、影が薄くなった感は否めません。
うるま市照間などは今でもビーグ(イグサ)の産地として知られますが、かつては沖縄中でつくられ、特産品として本土に出荷されていたこともあるだけに、消滅させてしまうのは惜しいように思います。
1965年9月10日付の沖縄タイムス「おらが村の特産盛衰記(1)」では、上記写真とともに、糸満町(現糸満市)兼城では、イグサがキビにつぐ換金作物と紹介しています。
しかし、このころから生産に陰りがみられるようになり、その後、同地からムシロつくりは消滅しました。
<三嶋>