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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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前川から安里へ駆けつけました

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昨年から続いている(ていうか中断していた)地域マップ作成が、ようやく再開できたので、前川(南城市玉城)で追加撮影。
3時からはFMレキオの放送なので、時間を気にしながらも、あちこち撮影&確認してきました。
原稿の作成段階で、細部がどうなっていたのか思い出せなかったり、きちんと見ていなかったりすることに気付くことも多く(今さらですが)、泣きながら(ウソですが)トボトボと集落を歩いて来ました。


完成したばかりのアパートから俯瞰した中道周辺の風景。
写真左上に、“お宮”と呼ばれる集落で一番の聖地があり、ここを頂点に集落は南向きの斜面に広がっています。スージ道で碁盤目状に区切られた集落の形は、沖縄の伝統的なありようです。
また、立派な石を積み上げた屋敷囲いが、数多く残っているのもこの集落の特徴ですね。大きく重い石をここまで運び(港川から?)、コツコツと加工し、積み上げた先人の労苦は察するに余りあります。
これを見ると、「昔の人は偉い!」と誰もが素朴に感じるはずですので、是非見に行って欲しいものです(なので、ここでは写真は出しません)。


こんなトボケた味のシーサーも、村の大事は守り神。どこにあるか、捜してみるのも楽しいのでは?


月に一度の「沖縄ある記アワー」は、午後3時から4時まで放送。新都心のFMレキオに、前川からあわてて駆けつけました。
今回はゲストに真栄里泰山氏(写真中央)を招き、以前案内していただいた那覇市安里について、國吉宏昭さんと三人でユンタク。
いつものようにあまりうまく喋れないので、いつものように自信をなくしましたが、終了後にユンタクするうちに、いつものように復活。へこたれたらいかんぜよ!
●FMレキオ「沖縄ある記アワー」


安里と那覇新都心とを結ぶ新しい道路から見た、大通り(又吉道路)との交差点(写真中央付近)。
モノレールの向こうには、1960年代ごろまで田んぼが広がっていたようですが、現在の姿からは想像もつきません。
北(写真手前)に向かって歩くと、県立博物館・美術館につながるこの通りを、真栄里泰山氏は「安里坂」と命名しています。旧市街と新都心が直結する数少ない道路ですが、機能性だけではなく、彫刻などを置いて博物館・美術館へのアプローチ道と位置づけたら、市民にもっと親しまれる通りになると真栄里氏は語っていました。
意義ナシです。
(三嶋)

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スムージーとフリオさんとユンタク会

 Category: ユンタク会, Myある記  Comment : 0


この日は昼から知念、佐敷、西原と走って、夜7時からユンタク会。
知念では木創舎の城間光雄さんたちと昼ご飯を食べ、佐敷では331号沿いでスムージーの店を営む玉城万美さんと軽くおしゃべり。
彼女の店で出している、スムージーって知ってます? 
付近の畑でとれた野菜や果物を使った、ヘルシーなジュース、でいいのかな? 美味しいですよ。
近くを通りかかったら試してみてください。「兼久」バス停近くです。


出来たてのスムージーと玉城さん


こちらも出来たての西原町役場。屋根の上にあるフリオ(ゴヤ)さんの作品を見たくて、車を止めました。
踊っているような赤やブルーの線が、彼らしいですね。ダンス好きだしなあ。
右側の角にある何かが夜には光る、とか何とか新聞にあったような気がする。
よく見ると形がサワフジの花に似ているけど・・・西原町の町木だから、それか? 
今度会ったら、聞いてみよう。

この日のユンタク会には、劇団伊良波の赤嶺啓子さんが登場。
「安里ある記」の報告のあと、玉那覇さん、砂川さん、國吉さんと芝居フリークたちが揃い、赤嶺さんを囲んでディープなウチナー芝居の話で盛り上りました。
これまで馴染みがなく、ウチナー口も分からないこちらは「・・・」。
う〜ん、悔しいなあということで、少しお勉強してみようと決心した次第。
とりあえず見てみよう!ということで、赤嶺さんたちが母の日公演を行う11日、パレット市民劇場まで、みんなで出かけることになりました。初体験だなあ!
(三嶋)

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前川途中報告

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


 現在、旧玉城村前川(メーガー)の地域マップ作りを進めています。
 区長さんや地元の方々と、散策や聞き取りなどを行ってきましたが、位置の確認(道が碁盤目状なのでこんがらがるのです)のために、追加取材が必要でした。
 完全ではないのですが、今回はその一部だけ報告します。


前川に残る戦跡、民間防空壕跡のひとつ。

 民間防空壕は、沖縄戦を前に地域の家々・門中単位で掘られたもの。
 雄樋川(マーヒーガー)沿いに、団地のように並んでいますが、同様のものをこれまで見たことがなかったので驚きました。メーガーヒージャー(前川樋川)と呼ぶ地域の産川も近くにあり、足場も整備されていますので、平和学習などには絶好の場所かと思います。
 写真の場所は、足下が整備されていない南側で、火炎放射器の焦げ跡(?)や、茶碗のカケラなども生々しく残っていて、一人で行くにはちょっと勇気が必要ですね。


民家の壁に描かれたかつての風景。

 クムイ(溜池)のそばには5本のマツの大木があり、その幹に幕を張って村芝居を行ったようです。マツ3本は40年ほど前まで残っていたとも聞きましたが、クムイも埋められた現在、描かれた風景は道路の位置以外、まったく過去のものとなっています。
 村芝居の場所だったことから、この一帯はバンク(舞台)と呼ばれていたそうですが、沖縄各地で使われているこの「バンク」あるいは「バンコ」という言葉は、「銀行」の語源と同じ「腰かけ」や「カウンター」ではないか、とさる先生から聞いたことがあります。偶然、英語とウチナー口が同じになったのか、共通する何かがあったのか面白いですね。


道路際ギリギリに立つアガリ(東)のシーサー。

 道路建設にあわせて移動させられたようで、何とも窮屈な感じのシーサー。近寄ると、沖縄戦の弾痕が体に残り、顔はほとんど欠けたひどい状態。村に入る災厄を、文字通り体を張って払いのけたのか、満身創痍のシーサーは痛々しい姿です。
(三嶋)

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前川・底川・知念調査を実施

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 南城市で関わっている地域資源調査で、前川・底川・知念を回ってきました。
 底川と知念は地図もつくりましたので、とりあえず終了ですが、前川(メーガー)はまだあいさつだけでしたので、ほとんど初めて。
 区長さんと数人の方に案内していただきましたが、印象に残ったのは石積みの多さ。屋敷囲いやヒンプン、ワーフール、石畳道など、あちこちにたくさんの石積みを確認し、その精緻な技術や多大な労力に驚かされました。


 ガンガーラの谷に通じるヒージャー(樋川)の前。集落で一番重要な泉で、かつては毎日ここから水を汲み、坂を登って部落まで運んだということです。
 坂の上部には、家族や門中で入ったという民間防空壕が川に向かっていくつも並んでいます。足場も整備されているので、平和学習などに利用されているとのことでした。


 前川の集落内に残る石畳道と屋敷囲い。
 石を運んだり積んだりする気長で難儀な作業は、農閑期や天気が悪い時に続けられたとのこと。
 天気のいい日は農作業だし、いったいいつ休んだの?


 字知念の底川(スクガー)で発見した昔のレンガ。
 先月の忘年会でも底川には来ましたが、歩くたびに何か見つかる所です。このレンガはサイズが今のものと違う、と参加者の一人。つなぎがセメントのようだし、戦後のものでしょうか。


 字知念の集落を下りて行った先、畑のわきから林を抜けると、きれいな海岸が目の前に現れます。
 でも、残念ながら護岸はコンクリート・ブロックで固められているので、みんなガッカリ。少し前までは白砂の自然海岸だったようですが。
 本土にはない白い砂浜は、沖縄がほこる地域資源のひとつだと思いますが、埋め立てや護岸工事で、その多くが姿を消してしまいました。価値観は時代によって変わります。無くなってから気付いても、自然環境は取り返しがつきません。
 人工物を自然に戻す公共工事を、市民も参画しながらみんなで実践するようなことも、考えていいんではないでしょうか。
(三嶋)

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「スクガー(底川)ある記&忘年会」が終了

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 思ったより多くの方の参加をいただき、「スクガー(底川)ある記&忘年会」が無事終了しました。
 スクガー(底川)は、油断するとすぐ樹木に覆われてしまうような緑濃い場所ですが、「底川を守る会」の方々が汗を流して整備されていたので、問題なく散策することができました。同会の方々や代表の城間光雄さんに感謝です。


りっぱな石積みが残る屋敷の前で、城間光雄さんの話を聞く


集落の中で一番広い屋敷跡。建物はありませんが、屋敷囲いやフール、井戸などの石積みが残っています。大きな石材は、具志頭村(現八重瀬町)港川から字知念の海岸まで舟で運び、山道を馬車か人力で担ぎ上げたのではないでしょうか。しかし、その作業がいかに大変だったか、現地の斜面を見ると実感できるはず。長い年月をかけ、少しずつ積み上げたんでしょうね。たぶん。

 以上、2013年の「沖縄ある記」は最後までドタバタでした。もう少し計画的に動きたいものだと反省しますが、たぶん来年も変わらないんでしょうね(苦笑)。
 なので、みなさまには今後もご面倒を多々かけるかと思いますが、あたたか〜な気持ちでおつき合いくださいますよう、お願い申し上げます。
(三嶋)

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