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沖縄ある記

 

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特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

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「津覇あるき」を行いました

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毎月第2日曜の恒例、地域散策で今回は中城村津覇を歩いた。

今月発刊される、しまたて協会発行の情報誌『宿道(しゅくみち)』で取り上げるために取材しており、せっかくなら誌面だけでなくリアルに紹介しようと思ったためである。

津覇は海沿いの小さな農村だが、大通り(国道329号)から集落に入ると、やはりここでしか見られない風景や事物がある。それを探し、学ぶことが地域散策の大きな魅力。名所や旧跡がなくとも(結構あるんだけど)、どの地域にも地域特有の歴史と暮らしがあり、次世代に残す文化があると思う。

この日は、津覇小学校裏の駐車場を起点に、国道を超えて集落を歩き、海岸まで行って折り返すコース。想像以上に暑い陽射しで、少しバテ気味の人もいたが、全員無事に乗り切った。

碁盤目のような形に縦横のスージ道が入り組む、昔ながらの集落形態。
西側の小学校から東にあるき、集落を通って海岸を折り返すコース。
津覇小学校に残る、戦災を生き抜いたクバの木。弾痕が残っていた部分の幹が枯れたため、現在は1本の幹しか残っていないが、たくましい生命力に驚かされる。
戦前からの石積みと思われる屋敷囲い。今風のコンクリート屋ばかりとなった集落だが、わずかに戦前の痕跡も残されている。それにしても、道幅の狭い筋道が縦横に入り組む集落内は、ヘタすると迷いそうになる。
津覇の海岸。南側に知念半島が見える。リゾート気分が横溢したような風景だが、中城湾岸の多くはコンクリートで固められ、自然のままに残る砂浜はわずか。埋め立て工事の影響で、タコがたくさん獲れたという、きれいな海は消えてしまった。
津覇のテラ近くに残る旧日本軍のトーチカ。六角形の分厚いコンクリートの塊に、四角い窓が4カ所空いている。上陸する米軍を迎え撃つためのものと思われるが、詳細は不明とのこと。林の中にひっそりと残る戦跡に、足を止める人はいるのだろうか。

津覇の村は、戦前からあまり変わらない農村地帯。

1966年の沖縄タイムスには、中城村で1番の人口がありキビの生産高も1番とあった。海沿いに広がる平地いっぱいにキビ畑が広がり、住民はこぞって黒糖生産に追われていたのだろう。

厳しい暮らしに追われながらも、隣同士で助け合いながら、村中が家族のような日常が繰り広げられていたのではないだろうか。

眩しい太陽と、焼けた道路の熱気で汗にまみれたが、慌ただしい日常からしばし切り離されたひと時を味わい、有意義な「ある記」となった。

<三嶋>

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「津覇ある記」を開催します

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沖縄ある記の月一行事、地域散策を、今回は中城村津覇で開催します。8月14日「中城村・津覇ある記」ですね。

なので、おヒマな方は、誰でも是非ご参加ください。お金は取りません。

中城村南上原と奥間をむすぶ道にある散歩道(東太陽橋)から見た津覇集落
津覇小学校前の国道329号。かつてケンドーとよばれ西原までサトウキビを運ぶトロッコも通っていた。今も村内を貫く重要道路として機能している。周囲にはマチヤグヮーもあったが、現在は姿を消した。
集落内に入るとスージグヮーが縦横に張り巡らされ、今も残る古のなごりを実感する。が、慣れないとこれが迷路のよう。初心者は確実に迷います(笑)

「津覇ある記」、時間は9時半集合で11時半までを予定しています。

集合場所は津覇小学校裏の駐車場です。

参加できそうな方はご連絡ください。よろしくお願いします。

<三嶋>

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安謝ある記

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毎月第2日曜日に実施している散策で、今月は那覇市安謝を歩いた。

以前に取材しているためボクが案内したが、みんな勝手にユンタクするので楽といえば楽だ(笑)。

マックスバリュー安謝店の裏から東に進む。この道はカニクグヮー道というらしい。そして東西に延びる丘陵地帯を右折して、集落の中心に近づく。
<写真:三上一行>
安謝小学校近くの内間商店。車が見える通りがメーミチという集落のメインストリート。北側の丘陵地帯から下る道の一番低い所で、この十字路から手前の安謝小学校に向け上り坂となる。
最近まで営業していた内間商店は、戦後、配給所だった所。その向こうの赤瓦屋根の建物が獅子を納める獅子家(シーシヤー)。 この辺から少し南東側に行くと、米軍牧港住宅地区(マチナトハウジング=現在の那覇新都心地域)が位置するため、そのフェンスが学校のそばから環状2号線に向かって伸びていた。
1970年ごろの安謝小学校前の通り。トンネルがある道路が国道58号で、戦前は急な坂道だったが、戦後、米軍がかさ上げして勾配を緩めたという。しかし、通学時に道を乗り越えて道路を横切る子供たちの事故が多発したため、安謝小学校の稲嶺校長らが陳情してトンネルを造らせたという。以前はトンネルの中で野菜などを売るおばさんたちもいて、世間話に花が咲くこともあった。「ぺんてる」の看板がある場所には、1960年代、ユーフルヤー(安謝湯)があったという。
<写真:安謝自治会>
かつての安謝港と思われる場所。安謝交差点から泊漁港に続く道路が見えるが、そこから海側が埋め立てられたため、港も消滅して街の中に消えることとなった。那覇港や泊港の利用が出来るまでのわずかな期間ではあったが、安謝港は闇貿易をも含んだ貴重な貿易港として存在し、造船所で働く人や物流関係者などで周辺はたいへんにぎわったという。
<写真:沖縄県公文書館>
米軍がアンカー・ヒルと呼んだ岩山。1945年5月9日、安謝川を渡って偵察に来た米海兵連隊の中隊は、ここで日本軍の攻撃を受け撤退している。琉球王国時代には処刑場だった場所で、現在は恵比寿神社が創建されている。 安謝は沖縄戦当時、安謝川を渡河した米軍(第6海兵師団第22連隊)と、それを迎え撃つ日本軍との間で激しい戦闘が行われた場所である。集落北側の高台の地下には、トンネルで連結された日本軍の強固な地下陣地があり、南下する米軍と一進一退の攻防を繰り広げたとされる。
<写真:沖縄県公文書館>
1945年3月30日、米軍の本島上陸の直前、艦載機から攻撃を受ける安謝。
<写真:沖縄県公文書館>

那覇新都心に隣接するだけに、安謝は古い集落から市街地へと変身しつつある。戦争や復帰前の記憶が薄れ、集落のつながりも希薄になりつつあるのかもしれない。しかし、地域の歴史は住民の共有財産であり、次世代に伝えるべき宝だけに、先達の歩みは伝えていって欲しいものだ。

安謝には龕屋(ガンヤー)も残っていて、行き場をなくした哀れを感じさせるが、その役割や歴史を記録し、次代に伝えることが重要だと思われる。

<三嶋>

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『アメリカ世の軌跡』発刊です!

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お待たせしました!

昨年秋から制作していた書籍『アメリカ世の軌跡』がようやく完成し、発刊することが出来ました。

A4版・191ページ・カラー・2800円

いや〜長かったですね。見るたびに誤植や言い間違いが見つかって、修正を繰り返したので、やたら時間がかかってしまいました。

しかし、沖縄の戦後から「復帰」までの政治・経済・社会の動きを、詳細な年表と写真で綴った書籍はこれまであまり見たことがないので、画期的ではないでしょうか。自画自賛になりますが、「復帰50周年」だからこそ、復帰以前の戦後を知る必要があると思い制作した次第です。

いろいろ突っ込みどころがあると思いますが、どうぞ手に取ってご覧ください。

<三嶋>

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風樹館あるき

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今月の「ある記」は6月11日、風樹館見学であった。

風樹館は、企業家の金城キクさんが寄贈して出来た、琉球大学の資料館(博物館)。

首里から西原に移転して建てられた現在の建物は、建築家・金城信吉の設計。那覇市民会館の設計で知られるが、完成を見ることなく亡くなったため、最後の作品となったものである。

沖縄ある記の会員でもある、学芸員の島袋美由紀さん。
沖縄に棲む最大・最小の昆虫標本を見ながら、地域の特異性に納得。
風樹館にはさまざまな生き物の標本が置かれているが、代表選手はやっぱりヤンバルクイナだろうか。港川人がいた約1万8千年前には本島全域に生息し、飛ぶことができたと考えられているそうだ。過去の骨格には胸の所に筋肉を支える骨が見られ、現在の骨にはなくなっていることから推測されるようで、なるほどと感心する。

ジュゴンの骨とイノシシの骨を持って比べ、前者がはるかに重いのは、水中で生活する上で獲得した特性だとのこと。実際に触りながらの解説には説得力がある。なるほどねえ。

たくさん置かれている骨格標本はどれも美しい。小さく繊細なパーツが絶妙につながり、理に沿った動作を宿主に授ける様は、迷いと失敗ばかりの人間を嘲笑うかのようではないか。彼らのシンプルで潔い行動原理が、こんな時代だからかうらやましくもある。

ギリギリの人員と予算で、志と思いのある人々に支えられているこの風樹館。膨大な時間のなかで費やされてきた、地球の歴史や生物の営みに思いを寄せ、個人や国の利益で奔走する人々の愚かさを笑うには丁度いい、静けさに満ちた知的空間である。

<三嶋>

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