okiaruki

沖縄ある記

 

«Facebook
facebook.com/okiaruki

«Youtube
youtube.com/user/okiaruki

«Ustream ustream.tv/channel/okiaruki

 


特定非営利活動法人
沖縄ある記
(地域文化支援ネットワーク)

〒903-0801
那覇市首里末吉町2-141-60

■お問い合せ

info@okiaruki.com

浦添城跡・前田高地をあるく

 Category: 沖縄ある記  Comment : 0


今年、1回目の定例散策を行った。場所は予定を変更して浦添城跡と前田高地である。首里城以前の王城である浦添グスクは、上るティダ(太陽)を称えたことで知られるだけに、新年にふさわしく、明るく年頭を飾ろうかとのこじつけでもあるのだが。

前田高地は4、5年前のハリウッド映画、「ハクソー・リッジ」の舞台であり、その影響で訪れる人も増えている戦跡。知らない人もいるのではと考え、再訪してみることにした。

駐車場から南側の小道を行くと、すぐ左手に見えてくるのが、集落の御嶽とされるシーマヌ御嶽。頭上を覆う樹木に圧倒されながらしばらく行くと、大きな入り口を持つガマが現れる。 戦時中は日本軍陣地が構築され、奥に進むと北側のガマに通じているとSさんが教えてくれる。壕内で非業の死を遂げた住民もいた、と語る体験者の話もあるそうだ。しかし、戦後の調査も不十分なままなのだろう。誰も責任を取らないまま、死者を放置したまま時間だけが通り過ぎている。
浦添城跡南側斜面で、昨年発見された約600年前の城壁を眺める。
城壁は沖縄戦で破壊されたほか、戦後には建築材料として多くが持ち去られているため、本物の石積みが残っていたことは大きな関心を呼び、見学会には700名もの人が押し寄せたという。(写真;佐藤)
浦添グスクの地下には、いたるところに日本軍の壕があり、互いに連結しながら米軍との死闘を繰り返した。写真は、「缶詰壕」と呼ばれた日本軍の食糧倉庫で、大量の缶詰が当時保管されていた。
同地で激戦を体験した沖縄学研究者の外間守善は、この壕に隠れた際、缶切りがないため目の前の缶詰を開けられず、大変苦しい思いをしたと『私の沖縄戦記』に書いている。そして、缶詰を食べている二人の古参兵に、缶切りを貸してくれるよう懇願するが断られ、一層悔しい思いを募らせるのだが、そのあと現れた米兵の機銃掃射で古参兵二人は亡くなり、奥にいた外間は助かることとなる。
何が生死を分けるのか分からない、不条理が支配する極限状況の中で、幾多の命が奪われ、偶然を手繰り寄せたわずかな人々が、かろうじてか細い命をつないだのだ 。
浦添グスクのある丘陵東端で、屹立する為朝岩(ワカリジー/ニードルロック)。近づいて見ると意外に小さく感じるこの岩の周辺で、北側の崖(ハクソー・リッジ)を登ってきた米軍と、南側の地下壕に籠もって撃退する日本軍との間で、血みどろの肉弾戦が繰り広げられた。
たくさんの墓が並ぶグスクの北側斜面上部は、絶好のビューポイント。眼下に見える西海岸の米軍上陸地点や嘉数高台などを眺めると、高所に拠点を置く戦略上の必然性に得心する (写真;佐藤)

映画公開の影響が続いているのか、同地を訪れるアメリカ人と思われる人々もちらほらと見られた。

彼らの父や祖父の血と涙が、この地を濡らしたことをどう思うのか、そして今も居座り続ける米軍基地をどう考えるのか、聞いてみたい気もするが、日米の国の壁は個人の思いなど構わない。78年前の凄惨な闘いなどなかったかのような陽気のもと、しかし有事になれば沖縄は再び戦場になるという現実を、改めて噛み締めた。

浦添城跡・前田高地MAP

来月12日は、「糸満ある記」を予定しています。興味のある方はご参加ください。詳細はご連絡いたします。

<三嶋>

--------

 

コメントを投稿する

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です