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特定非営利活動法人
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中央パークアベニュー

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『しまたてぃ』67号で取材した中央パークアベニューの、Web版制作のために追加撮影をしてきました。
沖縄市は、1974(昭和49)年4月にコザ市と美里村が合併して誕生した地域ですが、40年たった今も、“コザ”という名前に愛着をもつ人は多いはず(たぶんだけど)。それだけ、コザ時代が強烈な印象を残したといえるのでしょう。
否応なく基地の門前町として生きてきたこの街の戦後は、日米琉の綱引きに、たえず揺すぶられてきた沖縄そのものです。
憎しみと憧れを同居させたまま向き合ったアメリカと、救いを求めた「母国」日本の沖縄への眼差しは、本土復帰を経た今も変わっていないようで、“手のかかる継子”以外の何者でもないのでしょう。


破産した「コリンザ」から東に続く中央パークアベニュー。それまでセンター通りと呼ばれた道路が、大幅な改修・改称を実施したのは1985(昭和60)年4月。基地経済からの脱却を企図し、歩行者優先のオシャレな通りへと生まれ変わったのですが、遠のく客足を引き止めることは今も厳しいそうです。


“ビジネスセンター”に由来する、センター通りの建設が始まったのは1950(昭和25)年6月。原野だった場所はあっという間に商店街となり、大勢の米兵がかっ歩する歓楽街へと変貌しました。


現在の沖縄市は多国籍の人々が暮らす街。さまざまな人種や世代が、多彩で自由な空気を満喫しながら、独自の文化を形成しています。
ドル時代のように儲からなくても、それでイイんじゃないの、と思わず声をかけたくなったのでした。
(三嶋)

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安里川の南が海だった話

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 『しまたてぃ』の追加取材で、安里に行ってきました。
 今回は特に、おもろまちから続く新しい道路が、安里大通り(又吉道路・崇元寺通り)とクロスする安里一丁目交差点を紹介。
 交差点の南側にある御嶽が、これまでよく分からなかったのですが(何の表示もないし)、それが「浮縄(ウチナー)の御嶽」だと真栄里泰山さんに教えていただきました。
 金丸を国王(尚円)に推挙したことで知られる安里大親が、この場所で釣りをしながら、金丸とクーデター計画を練ったという話や、ここが「沖縄(ウチナー)」の語源とする説もあるようで、そんな重要な場所という認識がなかったこちらはビックリした次第。
 慌てて再訪し、よく観察したのですが、以前の場所から移動したせいなのか、歴史を伝えるものは何もなく、目の前をたくさんの車が通過するのみ(みんなもたぶん知らないハズ)。
 また、そばを流れる安里川は、遠い昔は海の一部で、このあたりが港だったようです。
 海を干拓した場所が対岸の牧志で、真栄里氏が小学生時分(1950年代)までは田んぼだったそうです。
 しかし、現在マックスバリューが見える付近に、水田が広がる風景を想像することはかなり難しい作業ですね。



2004(平成16)年当時(上)と、現在の安里一丁目交差点。上の写真の左端に写る、「外間金物店」だけは今も健在。


「浮縄の御嶽」。安里川を越えた向こう側に、かつては水田が広がっていました。


安里一丁目交差点の北西側に残るムラガー跡。戦後まで住民の暮らしを支えた命の水ですが、交差点が建設される際、その真ん中に位置する井戸は埋められ、現在の位置に祠が造られたようです。
(三嶋)

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しまたてぃPlus更新情報

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しまたてぃPlusの連載「沖縄の戦後を歩く」に【石川銀座・栄・南栄通り】【安謝トンネル通り】を追加しました。
下記のリンクからご覧下さい。


しまたてぃPlus

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前川途中報告

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 現在、旧玉城村前川(メーガー)の地域マップ作りを進めています。
 区長さんや地元の方々と、散策や聞き取りなどを行ってきましたが、位置の確認(道が碁盤目状なのでこんがらがるのです)のために、追加取材が必要でした。
 完全ではないのですが、今回はその一部だけ報告します。


前川に残る戦跡、民間防空壕跡のひとつ。

 民間防空壕は、沖縄戦を前に地域の家々・門中単位で掘られたもの。
 雄樋川(マーヒーガー)沿いに、団地のように並んでいますが、同様のものをこれまで見たことがなかったので驚きました。メーガーヒージャー(前川樋川)と呼ぶ地域の産川も近くにあり、足場も整備されていますので、平和学習などには絶好の場所かと思います。
 写真の場所は、足下が整備されていない南側で、火炎放射器の焦げ跡(?)や、茶碗のカケラなども生々しく残っていて、一人で行くにはちょっと勇気が必要ですね。


民家の壁に描かれたかつての風景。

 クムイ(溜池)のそばには5本のマツの大木があり、その幹に幕を張って村芝居を行ったようです。マツ3本は40年ほど前まで残っていたとも聞きましたが、クムイも埋められた現在、描かれた風景は道路の位置以外、まったく過去のものとなっています。
 村芝居の場所だったことから、この一帯はバンク(舞台)と呼ばれていたそうですが、沖縄各地で使われているこの「バンク」あるいは「バンコ」という言葉は、「銀行」の語源と同じ「腰かけ」や「カウンター」ではないか、とさる先生から聞いたことがあります。偶然、英語とウチナー口が同じになったのか、共通する何かがあったのか面白いですね。


道路際ギリギリに立つアガリ(東)のシーサー。

 道路建設にあわせて移動させられたようで、何とも窮屈な感じのシーサー。近寄ると、沖縄戦の弾痕が体に残り、顔はほとんど欠けたひどい状態。村に入る災厄を、文字通り体を張って払いのけたのか、満身創痍のシーサーは痛々しい姿です。
(三嶋)

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今月のFMレキオ「沖縄ある記アワー」報告

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 毎月の第3金曜日、午後3時から4時までは、FMレキオ(那覇新都心)が放送する「沖縄ある記アワー」の時間。
 これまで会長の國吉さんに誘われて一緒に番組を進めてきましたが、あまりにも気を抜きすぎていたかと反省し(遅いけど)、今回から國吉さんを差し置いて、ボクが仕切るような形にしました(独断で)。
 ということで今回の企画を考えていたら、先日、大山田芋ファンクラブとコラボしたことを思いだし、同会の仲村さん夫妻をゲストにユンタクすることにしました。
 結果はまあ・・・(笑)。いつものようにタドタドしく、お聞き苦しかったと思いますが、ご容赦ください。
 しかし、とにかく、あちこちで頑張っている人たちがいるので、少しでもその活動を知らせ、情報交換のきっかけになれば嬉しいと感じています。
 また、こちらも大いに刺激を受けますし、頑張らなくちゃと気合いが入ります。
 さて、次回は何を喋ろうかな?

左から仲村さん夫妻・筆者・國吉さん
(三嶋)

FMレキオ

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